ミステリー小説の世界はどんどん速度を増していく|『沈黙のパレード』東野圭吾
東野圭吾さんの『沈黙のパレード』を読了した。久しぶりのガリレオシリーズ。といっても私は欠かさず読んでいる人間ではないので、これまでのガリレオをほとんど覚えていないけれど。
私は湯船につからずシャワーで済ませがちな人間で、そのアメリカンなライフスタイルのはじまりは小学生の頃まで遡る。生粋のシャワーラバー(というかただの面倒くさがり)なのだけれど、最近はもうアラウンドサーティーも堂に入るほどの妙齢。そろそろ湯船につかることを日常にして美女風の生活を送ろうということで、『沈黙のパレード』はそのお伴に選ばれたのだった。
『沈黙のパレード』、通称「チンパレ」(私談)は常に脱衣所に置かれ、少し濡れた私の手に取られた。何もなしで湯船につかると元々のぼせやすい上にぼーっとするのが苦手なため、もういいかと烏の行水になる。しかしチンパレがあれば、私はいくらでも湯に浸り続けられるのだった。奇遇にも主人公の名前は「湯川」である。大抵、「もう限界」とのぼせた状態で湯川に別れを告げ、湯から出る。
毎日湯を張れるわけではないから、自然とチンパレの読書スピードは牛歩となるが、さすがシリーズもの。キャラ立ちのしっかりした作品のため、途切れることなく毎回風呂場で読み進めることができた。
ただ、物語の中の事件が湯川たちの手によって解決に向かおうとすると、私は居ても立っても居られなくなった。ちまちまと読んではいられない!はたして、チンパレは風呂場を飛び出してリビングで私の手によって読了へと進められたのだった。
私は過去には東野圭吾の作品が好きだと公言していたし、伊坂幸太郎に至っては長年好んで読み続けている。どちらもミステリー小説を多く執筆している人だが、私は決して「謎や事件の解決」にわくわくしているわけではないことに気づいた。世の中ではたくさんの悲しい事件が起き、人もたくさん死んでいる。だからせめてフィクションでは人の死や痛ましい事件なんて見たくない。なのになんでミステリー小説を好んで読んでいるのだろう。
今回『沈黙のパレード』(そろそろ正式名称で言わないと怒られそう)を読んでわかった。私は「なぜ犯人はこの行動をしたのか」という心理の掘り下げがすきなんだ。
だから後半に進むにしたがって読むスピードが増していくんだ。
三年前に東京で行方不明になった若い女性、並木佐織の遺体が、時を経て静岡県のゴミ屋敷で見つかった。捜査線上に浮かびあがったのは蓮沼寛一という男。23年前に小学生の女の子を殺害した容疑がかけられていたのに、黙秘を貫き無罪となった男だった。今回こそはと警察も総力を上げるが、蓮沼は相変わらずの黙秘でまたも釈放されてしまう。佐織は両親が営む食堂「なみきや」の看板娘。その佐織の命を奪った蓮沼に、町の人たちは恨みを募らせていく。
書籍の帯にはこう書いてある。
容疑者は彼女を愛したふつうの人々。
哀しき復讐者たちの渾身の謎(トリック)が、
湯川、草薙、内海薫の前に立ちはだかる。
この帯でわかるのでネタバレにもならないが、蓮沼はある日死体で発見される。容疑者は佐織を愛した町の人々だ。誰がどんな想いで、どう事件に絡んでいくのか。この作品の魅力は、それが何重にも層になって露わになっていくところにある。
容疑者たちの想いを知り、意志を知り、私にとってのミステリー小説の醍醐味「なぜ犯人はこの行動をしたのか」という心理が掘り下げられていく。
ミステリー小説はそして、速度を増していくんだ。