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グレーゾーン長女の2度の脳症 最大の恐怖・人生の底

長女の誕生日に「 見つめるということ 」について精神的な事を書いたけれど
もっと単純に
日常的に目の前の子供の様子をよく見なければならないと思ったきっかけについて、久しぶりに思い出し考えた

長女が最初に急性脳症になった時である

当時4歳の幼稚園年少
それまで風邪もあまり引かない発熱もあまりない幼稚園も休んでいない

私は完全に油断していた
というよりも
幼稚園では声を発することも誰とも関わることがないながらも、幼稚園は好きな様子の長女
できるだけ登園させたい気持ちもあったし
それが当時の私の心に余裕を持たせるためのものでもあった

夜救急車を呼ぶことになった日
後から思えば長女は朝いつもより元気がなかった
熱はないが珍しく
今日幼稚園行けないかもしれない
と言っていた

しかし私はその言葉を大して気にも止めずに大丈夫大丈夫と長女を送り出した

帰宅後微熱はあったものの食欲はあるし
いつもと変わらぬ様子で過ごした

その日は夫の誕生日で
チーズケーキを焼き
長女と先に夕飯を食べていて
ちょっとお勝手へ行き戻ると長女の様子がおかしくなっていた

詳細は今思い出したくないので割愛またそのうち

救急車を呼び夜の当番医であった総合病院へ行き処置を受けた後の病室

点滴の繋がった娘の隣で
夫から話を聞いた義母から

今日幼稚園行けないかもって言ってたっていうのにね

と誰に向かってというわけでなしに
何度も発せられる言葉に
自分の子供への不注意を深く受け止めた

至って真っ当な発言である
実際娘がそう言ったのを私も聞いていたのだ

明らかなる事実
湾曲も誇張もない
まごう事なきその真実は

私を底のない渦の中へとストンと落とした

後遺症で寝たきりや植物状態になるかもしれない
いやもしかしたら死ぬかもしれない娘

私はぐるぐるぐるぐる抜け出せないループに入り込んでしまった

それまで娘が言ったことのない言葉の意味を
もっと考えれば良かった
休ませて家でのんびり過ごさせれば良かった
なぜもっと頻繁に検温しなかった
なぜいつもより元気がないのに気にしなかった
なぜもっとちゃんと娘を見ていなかった

私は母親として何をしていた何を見ていた


通常の私ではあまりしない
考えても仕方がない事を考え続け
自分が母親としていかに至らないかを探し並べた

娘への申し訳なさから
夫への申し訳なさから
夫の親への申し訳なさから
自分への腹立たしさから
不安な明日を迎えようとしている自分への言い訳に

人生最大の恐怖であった

12歳の時、片目があまり見えなくなった時の絶望なんてちっぽけなものである


この時の脳症の原因は
風邪による高熱のためというものであり
結局特定のウイルスは検出されなかった


約10日の入院の後、後遺症などなく、てんかんでもないので服薬の必要もなく日常生活を送れるようになった娘だが

その後私は折に触れ発症時を思い出しては吐き気を催していた

発症時娘が着ていた服は処分したが
その、服を処分している自分の姿を俯瞰している映像が頭に流れるのである

まるで戒めの様に

自傷行為に通じるものがあったのかもしれない
恐怖や懺悔を感じると
あえて自分に苦痛を与えることで、罰を受け許される様な気になっていたのかもしれない

その年は
春に長女が入園した直後に妊娠が分かったものの流産し
3〜4ヶ月後にまた流産し
検査しても問題がなく私自身不安定な時でもあった
諸事情により経済状態も非常に悪く
意識もせず不満を漏らさずともストレスはあったのだろう

暗い泥沼の底で浅い呼吸をしながら
光を探しても見つからない様な日々であった

今はきっとはそういう時期だ大人しくしていようと腑抜けの様にぼんやりと過ごした

その後睡眠時間4〜5時間に一日の水分補給はコーヒー5〜6杯という生活を改めたからか
翌春に次女を授かった

次女を出産し彼女の喜怒哀楽の激しさにお付き合いするうちに、私はすっかり脱・腑抜け出来たのだが

次女4歳、長女9歳小3の時に、長女は今度はインフルエンザ脳症に罹った

その間熱性痙攣が一度あったが、相変わらずあまり風邪をひかず、発熱せず、小学校は欠席一日という元気さの中でのことであった

二度脳症に罹るのは稀ということで、入院時の検査で採取した髄液を研究機関に提出したが、特別な結果は出なかった

私の母も幼少期に頻繁に引きつけ、痙攣を起こしていた様なので遺伝的なものかもしれない

インフルエンザ脳症の時は
毎年受けていた予防接種を娘達交互の鼻風邪などで受け逃した2月のことであった

接種自体への疑問視もあるが、我が家に接種しないという選択肢はない

その日通常通り学校へ行った長女
夜、微熱と通常の食欲があったものの、何となくだるそうな様子だった

深夜心配で検温しながら様子をみていたら、滅多に吐かない長女が起きてきて吐いてまた寝た後、様子がおかしくなった事に気付き救急車を呼んだ

この時のことは、心の準備と次女の生活もあったためか、一度目の時ほど事細かに覚えていず、吐き気を伴う様なトラウマは抱えていない

神様仏様八百万の神様お父さんご先祖様
娘を助けて下さい
と処置室前の廊下の椅子で祈る他なかった


インフルエンザ脳症の罹患はおもに1〜5歳児
死亡率30%
後遺症率25%

急性脳症の後遺症率は50%

長女が元気に過ごしていられる日々を感謝せずにはいられない

脳症を引き起こすきっかけとしてはウイルス感染による高熱が多く、明確な原因は未だ不明
欧米では発症例がほぼなくアジア人特有の遺伝子、神経細胞の変異などを持つ人が脳症になりやすいなどの研究が進んでいる様だ

長女は元々脳症になりやすい特異体質なのかもしれないので、今後も油断せずに観察せねばならない

こんな事を長々考えたのはきっと

明日長女が
学校でも美術教室でもない組織運営のイングリッシュキャンプへ1泊で行くから

私は緊張しているのだと
今頃思い当たった

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