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消費によって奪われる人生と命

私たち人間は、消費しながら死んでいく。そんな事をいったらなにそれ?って思うかもしれない。でも、実際にはそうだと私は思っている。

もし死にたくないのなら、その消費というものの意味や構造をしっかりと学び考える必要がある。

ただ何も考える事なく、休みの度にどこかに出かけていってお金を消費する。そんな生活をしていたら、これからの世界ではますます生きづらくなる。

きっとそんな人たちが増えてきたんだろう。最近のCMを見て居ると、3分融資だのなんだの、そもそもが手持ちのお金を持っていないのに、借りれば、自分の望む事が出来ると言ったうたい文句がしょっちゅう流れてくる。

あんな馬鹿なものに引っかかる人がいるのか?と思いきや、世の中、そんな馬鹿なものに引っかかる人が多いらしい。

今欲しい。すぐに手に入れたい。だから、お金が必要。お金があれば、お金があれば。そういう人の需要に応えるように、お金をいとも簡単に貸してくれるところが増えた。

借りるのは簡単。でも、借りたら最後。だって、そこでは少なからず何らかの手数料を取られている訳で。

塵も積もれば山となる。

今の日本人の数が約一億2500万人弱だとすると、その一億2500万弱の人間全員から、一円もらうだけで、たったそれだけで、一億2500万弱手に入れる事が出来ると言うことになる。

お金の借り手としたら、少ない手数料で、今のこの瞬間を満たせるのなら、それでいいやと思っているのかもしれないけれど、その手数料がものすごい儲けになっている事を多くの人はあまり考えない。

今、今が大切なの!ってみんないう。でも、その今にお金がないのなら、いくら何かをしたくてもそれはできない。

そう言っても、お金をすぐに借りてしまう人は、出来る!という。お金を借りればそれが出来る!と言う。

全くもって色々な事情を知らない人たちなんだなとつくづく思う。搾取という言葉すら知らないのではないかと。

お金を一時的に借りれて、それで自分の欲は満たせたと思うかもしれない。でも、それで相手のお金を貸してくれたところでは、一人カモが見つかったと大喜びしている事があることを忘れてはいけない。

結局、カモにされているのにそれに気づかない。本当にお気楽だとしかいいようがない。

出来ないのなら、出来ない。それでいいのに、それがいえない世の中になってきた。無理してお金を出して何かをしないといけない世の中になってきた。

使えるお金はこれしかないのに、その中で考えるのではなくて、お金を借りて何かをしようとする。でも それって、そもそも借りているお金ですから!と私は思ったりする。

お金を借りると、得した気になるみたいだけど、それはただ借金しているだけの話で。その事にあまり気づいて居ない人は多い気がする。

お金を借りればやりたいことがやれる。それは確かに素晴らしい事ではある。融資が悪いとは思わない。でも、自分の欲を満たすために、お金を借りるのはどうかと思う。

今じゃなきゃダメという心の病が、何か、これから大きな波を作っていくのではないかと思う。

とにかく今、今じゃなきゃダメ、少しも待てない。そういう人間が最近多く出てきた気がする。

我慢できない、辛抱出来ない。諦められない。手放せない。

これってつまりは異常なくらいの執着。

これに乗じて金貸しが横行している気がする。

多分これからの世界、自分を抑えることが出来なければ、多分その自分はいとも簡単に破綻する。

すべて自分のせいで破綻する。

急いで結果が欲しいと望めば、きっとその先にあるのは破綻だ。

ここで考えるべきは何故、今でなければならないと幼い子供が泣き叫んで、じだんだを踏むかのようになってしまっているかだ。

いい大人が、自分のおもい通りにならないと、じだんだを踏んでキレまくる。それにスムーズに対応する様に、様々な融資を行うサービスが増えてきた。

と考えていくと、これからはわがままで何も我慢できない人間、短期で結果を得たいと考える人間は明らかに破綻のリスクを大きく抱え込むことになるとそう私は考えている。

社会も又、何でも思い通りに出来る世界を創造している感は否めない。何でも可能にすれば、確かにそのサービスは売れる。でも、その何でも可能にするその世界が、後でどれだけの責任を負う事になるか、そこまで、様々な開発者は深く考えていない気がしてならない。


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