マガジンのカバー画像

社会

93
運営しているクリエイター

#意識

意識と無意識

無意識を切り離したわたしたちわたしたちはもともと意識と無意識を持つ存在です。脳と身体、これを持つ存在です。でも、わたしたちはこの一方だけを特別なものとして崇めて、もう一方は、自分たちに都合の悪いものとして切り離しました。 私たちにとって大切なのは、意識だけであり、無意識は別にこれといって大切な部分ではないといって、わたしたちは無意識を自身から切り離してしまいました。 脳と身体も同じです。重要なのは脳だけであり、身体などたいして重要ではない、だから、身体などいらないという事

環境と呼応する事を止めた私たちが向かう破滅への道

ここへきて、外の環境は大きく変わった。でも、私たちは何も変わらない。人間だけに限らず、この地球上にいる生物というものは、いつも外界の変化と共に生き延びてきた。 外の環境が変化するにしたがって、これまで生き延びてきた生物は、自らもその様態を変化させてきた。そうする事によって、彼らはその命を何とか繋いできた。でも、外界の変化に伴って、自分を変化させる事が出来なかった生物は皆その姿を消した。 今私たちを包むこの世界は大きく様変わりしている。外の環境はものすごいスピードで変化して

作り上げられた自己イメージからの脱却

自分がしているのか?それとも、させられているのか? 自分が考えているのか?それとも考えさせられているのか? 自分の思いなのか?それとも他人の思いなのか? 自分の意思なのか?それとも他人の意思なのか? これは、私なのか?それとも他人なのか? こんな簡単な事が、たまにわからなくなる。 どんどんどんどん自分を突き詰めていくと、一体自分とは何なのか?すらわからなくなる。 これが自分だと思っていても、それは自分が自分をこういう人間だと定義しているに過ぎない。だとしたら、本

スクラップ&ビルド(私たちは創造し、そして破壊する生き物)。

人間というのは、不思議なもので一時行動を変えたとしても、そこに絶えず意識を向け、力をかけ続けなければ、又すぐに元の状態に戻ってしまう。伸ばしたゴムが、手を離した瞬間に元に戻るのと状況は全く同じ。 何かを言われて、その時は直したとしても、それは又すぐに元に戻る。 こうした人間ってものを観察していると、自分に絶えず力をかけ続け、その行動を意識し続けるという事が、いかに難しい事であるのか?を思い知らされる。 何でもそうだが、少し慣れてくると人間ってのは、すぐに力を抜く。そうす

根拠のない楽観主義(私たちは皆おとぎ話の世界の住人)

私たちは、目の前にある事象を何でもかんでも、自分に都合よく解釈しようとする。なんだかんだ言って、目の前にある現実を私たちは何も見ようとはしていない。 どんなに大変な事があったとしても、それは一時の事であり、必ず、その後には、良い事があるという呪文を私たちは自分にかける。そうやって、何も、自分の目の前にある現実を見ようとしない。 今、この世界はコロナで大変な事になっているけれど、このコロナも、いつか必ず克服できると、皆そう明るい未来を想像していたりする。人間というのは、とに

私たちが見ているのは、この世界のほんの一部。自分に都合よく切り取ったそのワンショット。それが世界じゃない。全てじゃない。

私、何をこんなに必死になって何かを買おうと、ショッピングモールの中をうろついているんだろう?ふと我に返って考えてみた。 何を買う訳でもなく、ただ無目的に街に繰り出して、ショッピングモールの中をうろつく。一体自分は何をしているんだろう?そう思って、色々な店を眺めてみた。 どの店にも、そうそう変わりのない似たかよったかの商品が並んでいる。どれを買ってみた所でよくよく考えてみれば大差ない気がした。 どの店にも多量の商品が並ぶ。あれだけの商品が、全て売れるわけじゃないよなと思っ

グローバルな視点を持たない日本人

私たち日本人というのは、世界で何が起こったとしても、その事に対してあまり関心がない。自分の見えない事には一切興味を示さない。グローバルな視点を持っていない。いつもいつも思う事なのだが、私たち日本人というのは、本当にその視野が狭い。 もっと広くグローバルな視点を持って、この世界を見てみれば、私たちが考えなければいけない事なんて山の様にある。でも、日本人は特にだけれど、そのグローバルな視点を持っていない。大きな視点を持ってもっと世界の事について色々と考えるべきだと思うのだが、私

教育とは果たして私たちを幸福にしたのだろうか?

私たち人間というのは、新大陸を発見する為に、皆海へと出た。そしてそこで次々と新しい大陸を発見してきた。未踏の地に踏み入り、そして、その地を次々と開拓していった。 私たち人間というのは、新しいものを発見し、そして拡大する為に、多くの犠牲を出してきた。 自分達が望むものを手にするために、私たち人間とは今では考えられないほどに簡単に人を殺してきた。私たち人間は、本当に残忍な生き物なのだ。 何もかも殺して、そしてそこにあるものを何もかも奪う。そこに生きている人間たちの大切にして

フィクション疲れ

私たちは一体何を信じてこれからの時代を生きて行ったらいいのだろうか? 私たちが信じている何もかもがフィクションであり、そのフィクションは常に作り変えられる。常にアップグレードされて行く。昨日まで信じていたストーリーが、今日になったら全く違ったものに書き変えられる。こういった世の中で一体私たち人間は何を信じて生きて行けばいいのだろうか? 私たち人間というのは、いつも自分の信じる事の出来るストーリーというものを常に追い求めている。そしてその自分の信じるストーリーの元に私たち人

アニメに学ぶ私たちの在り方

正義感もあまり強くなりすぎると、悪になる。 何が正しい行為なのか?なんてことは人それぞれ違う。でも、この社会は、こうする事が正解だ!という答えをいつも明確にして、それに従わない人をまるで犯罪人の様に扱う。 この社会というのは、自分たちの言う事を聞かない者たちを悪者にしたてあげて、その者たちをこの社会のスケープゴートにしている。彼らに国民の不満や、怒りが向くように全て仕向けられている。 私たちが今抱えている不満や、怒り、それが国家に向かない様に、私たちは今自粛しない人に意

人間が企む人間の野獣化計画

不安によって、私たちはより強烈に結びつく。不安というものを互いに共有する事で私たちはより強固に結びつく。 人々が同じ不安や恐怖というものを皆で共有した時に、そこには恐ろしい力が生まれる。 この不安を共有した者たちが作り出す力というものは、盲目的でとても恐ろしい。 不安を共有した人たちが持つ意識というのは、自分たちは正しいという意識。この意識が大勢の人間の間で共有された時、そこには正しい人間と正しくない人間というものが生まれる。 不安を共有した人間というのは、ある種特権

世界平和を謳うデストロイヤー

もっと色々な事を考えろ!とそう言われても私たちには考える事が出来ない。何故か?それはいつも何も考えていないから。頭を使っている様で、実際には、その頭を何も使っていないから。 私たちは何も考えていない。ただ目の前にある事に反応しているだけで、それに対して何かしている訳ではない。 起こった事に対してただ反応しているだけで、それに対して主体的な行動がとれている訳ではない。ただそこに起こった事に対して、私たちはあーだのこうだのと言って反応しているだけ。 自分の意思を持ってそれに

目に見えないものを称えよ

ガラスの球を高い所から落とすと、その球は地面に落ちてバラバラに砕け散る。その近くにいれば、バラバラに砕けたガラスの破片が、落ちた時の衝撃で自分の所に飛んでくることもある。 今、この世界とは、まさにこの状態。 1つにまとまっていたものが、何かの衝撃で壊れ、バラバラに砕けてあちこちに飛び散った。落ちた時の激しい衝撃で、その周りにあるものも影響を被り、皆壊れる。 コロナウィルスによって、今国が、そして社会が壊れ始めた。 私たち一人一人の人間というのは、皆それぞれ社会というも

LOCKDOWN (何もかも縮小されて行く社会の中で)

これから私たちは、色々な意味で追い込まれ、そして色々なものを自身に負担しなくてはいけなくなる。私たちがこれから背負うものは、今まで以上にたくさんのものになる。 私は不安をあおる為にこうした事を書いているのではなく、知って欲しいから書いている。バカバカしいと思うなら、読むのをやめてください。 今私たちの生活がコロナというものによって少しずつ浸食され始めました。これにより、私たちの心の中には、何らかの不安というものが生まれ始めました。私たちの心の中に不安というものがあり、その