見出し画像

『公園から感じる―ワークショップ―』 感覚世界を巡る小さな冒険

「気持ちを描いたの!」
そんな言葉を口にしてくれたのは、お父さんの手を引いて、自分の描いた絵を自慢げに指さす、3〜4歳の女の子だった。

私たちは、いつも「音」や「風」や「ひかり」や「カタチ」に囲まれています。それらは、当たりまえ過ぎて特に意識もせずにさまざまな “感覚” として受け止めていると思います。

そんな風に当たりまえに備わっている “感じる” という感覚を改めて意識化する体験を通して、私たちの『感覚や知覚の豊かさ』を手に取るように見つめ直してみる機会を作ってみようと思って企画したのが『 公園から感じる ― ワークショップ ― 』です。

なにか難しいことをするのではなく、ただ、ひとつひとつ立ち止まってその場を感じてみる。公園を散策する中で感覚を巡る小さな小さな冒険へと誘い、その小さな冒険を経て、それぞれに感じた何かを、意味からなるべく遠く離れて自由に絵にして表現してみる。さらに、感じたことを詩のように言葉にして添えてみる。

これは、そんなささやかな(内面世界では壮大な冒険の)試みの記録です。

ポットラックプロジェクトに持ち寄り企画のひとつとして参加

公園を巡る12の小さな冒険

公園の小さな林の中を散策するように点在する12のお題。

私たちの五感の中で、視覚情報は8割をも占めるといわれています。さらにスマホやテレビや広告など視覚的な情報の洪水の中に暮らしているので、ますます視覚優位が過剰なまでに進んでいるのではないかと思います。

そんな背景から、まずは日常的な事柄の向こう側に小さくジャンプしてもらうために、視覚から解放されるように『音』にフォーカスするお題いを初めに5つ配置しました。

その場で聞こえる、鳥の声や風の音を注意深く聴くことで、耳の感覚を開くように促して、少しずつ意識をチューニングするように設えました。

前半のクライマックスは、バイノーラルマイクを木の上に設置して、鳥の視点でざわめく風や公園の響きをヘッドフォンで体感してもらうという特殊な体験。(Adphox Corporationのなるさんが提案してくれて設置をしてくれました)
それは、音の粒子が鮮明に描きだされるように、木々が風に揺れ波になって行く様子や、遠くの足音が手に取る聴こえる感じは、まるでフクロウの耳にでもなってしまったかのようです。

バイノーラルマイクを木の上に設置する、なるさん


風の音を聴いた後には、風を身体的に感じてもらうお題として、聴覚から皮膚感覚へと移行して、普段当たり前に通り過ぎてしまうような事柄を、あらためて未知化して探ってもらうことにしてみました。

『風の重さ(質量)を感じてみる』

このお題は、空に浮かぶ飛行機を見て、「あぁ、空気には質量があって、飛行機はその質量の上に乗って空という海に浮かぶ船なんだなぁ〜」と感じたことが根底にあって、そこに在ることがあまりにも当たり前になっている空気の存在を感じてみて欲しいという想いから生まれたものです。

そもそも「風ってなんなの?」「どこからやってくるの?」などいろいろな想いや、風との対話がそれぞれの心の中で生まれたかもしれませんね。

「なにもしない」ことが生み出す特別な何か

風を感じて、さらに感覚が開きはじめたところで、次は、よりその場を、公園そのものを感じるように『砂時計が落ちるまで、なにもしないで公園を感じてみる』というお題にしました。

砂時計が刻む、なにもしない時間

スマホを手している私たちは、なにもしない時間を過ごすことが日々の中にいったいどれだけあるのでしょう?なにもしない3分間は意外と長いかも知れません、でも公園の鳥の声や木々のざわめきを聞き、静かに吹く風を感じ揺らぐ木漏れ日を眺めていたらどうでしょう?

ある夏の日、町の中にある用水路で水面の揺らぎを、三脚にカメラをセットして動画撮影をしました。5分間と決めて時間が経つのをぼんやりと立って待っていたのですが、なにもしないで待つ5分は意外と長く、いつまでたっても進まない時間。でも、水音や木々の揺らぎややわらなか日差しに包まれて、リラックスしてくると、だんだんと周りの木々や草花や木漏れ日の中に自分が溶け出して、体が粒子になったように自然と一体化して行くのを感じました。
何ももしないでその場にいる自分をその場が受け入れてくれたと感じ、なんとも言えない多幸感に包まれていました。

参加してくれたひとりの方は、公園という日常的な場所で「なにもしない」時間を過ごしたことで、日々、何かをしなくてはという、自分の中にあった小さな焦りのような葛藤がほぐれ、許容されたような気持ちになったと語ってくれました。

「なにもしない良い時間」が、あなたの中に何を生み出すのか?

内面世界への穏やかにダイブをする3分間、小さな小さな冒険の旅です。

また、公園という場を考える時、20代前後に公園で過ごした時間を思うことがあります。休日には小さな自然を楽しむ人で穏やかに賑わいます。沢山の人がいることを木々はどんな風に感じているのだろうか?
森の一部が残されたその場所は、遠い昔から変わらずにそこにあって、私たちはその森の記憶の一部となって、100年後も200年後も森と繋がっているのではないか?人々は無意識に森の記憶の一部になるために公園で過ごしているのかもしれないと。

そして、私の過ごした時間もあの場に永遠に刻まれていると思うと、なんだかそれだけで穏やかな気持ちが今もします。

ちなにみ、家にはデジタルのタイマーしかなかったので、ポットラックの参加メンバー3名から砂時計を貸していただきました。持ち寄り感があるほっこりとした場になってなんだかとても嬉しい気持ちになりました。


小石を巡る小さな小さな旅

さらに進むと、ちょうど小さなテーブルか棚かのようここに何かを置いていいよと言っているような木がありました。メモ用紙とペンを置くのにちょうど良かったので、ここに『小石を拾って、詩的な名前をつけてみる』というお題を配置しました。

足元に転がっている小石。公園にある小石はだいたい土埃で茶色くてあまり個性がないように見えますが、沢山ある中から一つを探し出そうとすると、急に色々な形や色が見えてきて、一つ一つが個性的に見えてくるのは、なんだかとても不思議です。

そして、小石に名前をつけると、さらに愛着まで湧いてきますね。

 くつくつ くすくす くつくすくす
 ころころ あいらしくて ちょっぴし ざらざらしているような
 1こげ岩

どれも個性的で、たった一つの存在として浮かび上がってくるようです。

みんなに選ばれた石たち

私たちは見たいものだけを見ているとも言えます。見ているもの全てが明瞭に情報として入り込んできたら、きっと情報の海に溺れて頭がパンクしてしまうでしょう。
脳内活動における「見る」ということを考えると外からの視覚情報はたったの3%くらいに過ぎず、あとは脳内での記憶の参照などから見るということが作られていると言われています。(10年以上前に調べたことなので...)

小石を選んで拾うというささやかな行為の中にも、たくさんの不思議や普段は気づかずに見過ごしていることが、薄紙を剥がすように見えてくるのではないかと思います。

公園から宇宙へ“感覚”の触覚を伸ばす

『空を見上げて、空の向こうに広がる宇宙を感じてみる』

見上げると青い空が広がっていて、それは『空』以外のなにものでもなく、そこにしっかりと存在していると感じます。

でも、その向こう側を想像してみるとどうでしょうか?

昼間は、青空に覆われているけれど、地上と宇宙空間を遮るもの雲くらいしかなくて、きっと宇宙の果てまでも遮るものはほとんどなく、永遠との接点はいつも目の前に在ることを思うと、空に吸い込まれて行きそうな心持ちになります。
そんなことをいつも考えていたら、なんだか足元がぐらぐらと揺らいでしまいそうですが、そんな心配をするまでもなく、すっかりそんなことは忘れてしっかりと大気に守られて、のんびりとしていられます。

“感じる”ことも大切だし、“感じない”こともまたとても大切なことなのかもしれないですね。

「あぁ、いい天気だな。」と、それだけでも十分にステキなことだと思えて来ませんか?

意味から自由になって表現してみる

公園を感じることから始まって、地球の中や宇宙空間を感じる小さな冒険から戻って、そこで感じたことをクレヨンで絵にしてもらいました。

なにを感じたのか?どんな気持ちだったのか?

絵から想像してみるのも、楽しいそうです。

みなさんに描いてもらった絵と言葉

そして、そして、最後のお題は『椅子に座って人を待つ、感じたことについて話してみる』でしたが、小さなお子さんが多かったこともあり、あまりこのお題をやってくれたかたがいませんでした…

ですので、よかったらこの記事を読んで感じたことをコメントに書き込んでもらえたらとても嬉しいです。

あなたは、なにを感じましたか?
ぜひ、教えてくださいね ^ ^ 



ポットラックプロジェクトと「豊かさ」などについて

羽村市のS&Dスポーツパーク富士見(富士見公園)を起点に進めている、
ポットラックプロジェクト(地域との連携による居場所づくり)に参加してみています。
行政のまちづくり部、企画部、産業環境部など横に連携して繋がり(このこと自体がかなり画期的な取り組み!)、市内で様々な活動している方々を巻き込んで市民主体の活動へと3年間かけて育てる事業で、ファシリテーションには、なんとStudio-Lさんが入ってくれています。
市民参加として単に楽しむというのもあるし、地域活性化の取り組みとしての魅力的な学びの機会でもあります。

これは、参加しなかったらもったいないぞ!と参加させてもらっています。

また、『居場所づくり』は自分にとって大切にしていることの一つで、不定期に開催しているイベント企画『音と暮らし』の中心的なテーマでもあるんですね。

 持続可能性とか平和とか大きなテーマも含まれているかも知れませんが、もっと身近でそれぞれが、自身で感じる『豊かさ』の定義を変えるべきタイミングなのかなと感じています。

それは、共通の価値観(流行)や経済的なことではなく、内面的な部分にじんわりと広がる感覚や気持ちなど、すごく個人的なことが静かにアップデートされ、豊かさの共通幻想が溶解して個人の手に、それぞれの『豊かさ』が還されてゆくような、小さな小さな内面の革命のようなものなのかな?と思います。

すでにあちこちで起こっていることでもあるし、繰り返されてきたことでもあるとは思うけれど、手で触れることができるような実感を伴って、顕れてきているんじゃないかな?と。
(それを自分なりの表現で見えるカタチにしてみたいな、と思ったのが今回の企画でもあったりします。)


公園で自分たちのやってみたいことをカタチにする。
さて、ここから何が生まれてくるのか?どんな『豊かさ』が見い出されてくるのか?楽しみでしかたありません。

だれでも参加自由な取り組みなので、まだ見知らぬあなたにお会いできることを楽しみにしています。

 次回、ポットラック・ピクニックvol.4の開催は、
 7月15日(月・祝)13:00〜20:00頃まで
 羽村市 S&Dスポーツパーク富士見(富士見公園)子ども広場


夕方からのキャンドルナイト&持ち寄りバータイムに参加します。
よかったら遊びにいらしてくださいね。水色さんは?と聞いていただければどこかに居いますよ◎



2024年3月2日に開催したキャンドルナイト&焚き火は、こんな感じでした。まだ寒い中でしたが沢山の方が参加してくれました。

ポットラックピクニックvol.2

「焚き火」と「キンドルナイト」をイメージして作ったプレイリストも貼っておきます。ゆるやなか『チルな時間』を過ごすお供にぜひ。



長文になりましたが、ここまで読んでくれて、ありがとうございます◎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?