「ずっとそうだった」は盾であり言い訳である

「そう言う人間である」と言い切ってしまう事と言うのは、楽なものなのだ。それ以上の説明をしなくて済む。良くも悪くも「だから許して」と言っている様なものなのである。まぁそれで許してくれるかどうかと言うのは相手次第ではあるのだが。

私もよく「ずっとそうだった」と言う言葉を使う。最近になって「このままじゃいけないんだろうな」と思う様になった。そう言い続ける事で自分を正当化することが、如何に自分の成長を妨げるかということにようやく気付いたのかもしれない。

「ずっとそうだった」って本当に悪い言葉だ。良いことに対しても悪いことに対しても「変化を望まない」と言う意味を持つ。より良くする努力も改善する努力も無視して現状維持を望む。実際その選択が本当に正しかったかどうかが分かるのは将来の話だ。もしかしたらそれで良かったと言う結末もあるかもしれないが、往々にして「あの時、あの選択をしていたら」と言う考えが脳裏を過ぎることもしばしば。

言うなればこの言葉は「自分」や「環境」を変えたくない言い訳に過ぎないのだ。「変える必要はありません」と言う盾を構えている状態とも言える。聞く人が聞けば耳の痛い話だろう。私も自覚している。変わらなくて良いと思っていた。変わらないと言うことは如何に楽なことか。何もしなくてもそのままで居られるのだ。これ以上に楽なことがあるだろうか。

楽であると同時に、これは「逃げ」でもある。このままで問題ないと現実を直視している様で現実から目を背けているのだ。変化が必ずしも必要とは限らない。それでも「ずっとそうしてきた」と言う一言で「変化が必要なタイミング」を見失う可能性はとても高くなる。

「変わる」と言うのは、あらゆる事象においてどれほどリスキーなのかは多くの人が認識している事だろう。「変わる」ことに失敗すれば大損待ったなしの可能性だってある。それでも人は変わらなければならない時がある。きっとこれを見た今が、その時なのかもしれないよ。私も、重い腰上げて頑張りましょうか。

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