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立場が違えば、きっと私は貴方の話を聞かないだろう

例えばの話。ある人が自身の功績について一生懸命、無我夢中に文字にしたとする。それは3000文字を優に超えそうだ。これを偶然開いた貴方に、是非考えてみて頂きたい。その「ある人」が、貴方が尊敬する人または『推し』だったら、その文章は最後まで読んだだろうか。きっといともたやすく読み切っただろうし、なんならそれに向けて感想まで綴り出しそうなくらいだろう。

しかし、その「ある人」が全く知らない人で、もっと言えばその「功績」も興味を引く内容でなかった場合、貴方はそれに目を向けるだろうか。きっと見向きもせず…いや、見えてすらいないだろうと思うのだ。

自分を知ってくれている人達により自分を知ってもらうためであれば、自分の功績を語ることはなんら問題は無かっただろう。しかし自分を知らない人達にも自分を知ってもらう為に語る言葉として、功績を語ることほど無意味な事はない。何故ならその功績がどの程度凄いのかが、相手には理解できないからである。

発信と言うのは「フォロワー」に向けて行なっているだけでは、間違いなく「内輪話」の域を出ないだろう。広く多くの人に見て貰うためには、自己演出(セルフプロデュース)も必要だ。引き付けて、興味を持たせ、熱中させ、共感させる。演説の技法でも用いられるものだ。1つの文章として書き上げた時に冗長的でないか?同じことを繰り返し話してはいないか?回りくどい言い方になっていないか?そして、その文章は単純英訳できるか?多分この「英訳」と言うのがが一番のポイントだろう。

日本語というのはどうにも深読み推奨な傾向がある。詳細を言わず、「察して」と言わんばかりの言い方で話を進めようとする。または矢鱈と否定形を交えた言い方をする。「〇〇して頂けませんでしょうか」とか何が言いたいんだ。して欲しいのかしないでほしいのかハッキリしてくれ。…と、こんな具合だからか、昨今そのまま受け取って「話が通じない」なんて問題が発生したりするわけだが。

これらがどう「英訳」と結びつくかと言うと、答えは簡単、「Google翻訳」だ。日本語特有の言い回しをそのまま変換しようとすると、主語なし、否定形、複雑な言い方の所為で意図しない文章が出来上がる。逆変換してみ?自分の話してるのに突然「彼は…」とか言い始めるから。誰やねんお前。

Twitterみたいに短文しか投稿できないツールであれば尚更だ。140文字の世界で勝負を掛けるならまだしも、幾つも連なる『面白味のない』話に誰が食いつくというのか。幾つも連ねるのであれば、最初の140文字で「その先が読みたい」と思わせるかどうかかが決まると言っても過言ではないのである。ちなみにツリー化もひとつの手だろう。押せば続きが読めるしな。その手間の差は大きい。

結局のところ、出だしで「おぉ、もうちょっと読みたい…」と思わせる様な言葉が書けなければ、最後まで読んでもらう事など到底難しい。実際に人気ブロガーだって、最後までちゃんと読まれているのかと言われれば100%そうではないだろう。きっと「いいね」だけ押して最後まで読まないなんてあるかもしれない。投稿してるからご挨拶代わりにとりあえず押しとく、みたいな。

繰り返しになるが、コンテンツ発信は演説と同じで、「引き付けて、興味を持たせ、熱中させ、共感させる」と言う一連の流れが必要だ。これの順番を間違えると、独り善がりの語り草になる。

ま、言うて私のこれも独り善がりの語り草なので、面白かろ、と思いながら書いてはいない。それでも貴方がここまで読み切って、面白かったと思って貰えるなら、それだけで書いた意味はあったかな。

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