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大の旅嫌いがNASAの四大基地巡りだなんて。

アウトドアもスポーツも苦手。

大の旅行嫌い。

にもかかわらず一ヶ月近い取材旅行をぼくは経験している。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫 第34回

・1980年
 SF作家の野田昌宏さんとアメリカ横断NASA三大基地めぐり。

・1982年
 新人女優石原真理子さんの北欧一周写真撮影取材。

・1985年
 ジャズ・ピアニスト山下洋輔さんとアメリカ縦断ジャズ道場破りの旅。

生まれて初めての海外旅行が故・野田昌宏さんとのNASAの旅だった。

何と紹介すればいいのだろう野田昌宏さんのことを。

政治家麻生太郎の従弟。

『ひらけ!ポンキッキ』、『料理の鉄人』、『発掘!あるある大事典』、『クイズ$ミリオネア』の生みの親。

小説「スターウォーズ」の翻訳者。

世界的なパルプ・マガジンの収集・研究者。

野田大元帥は色んな顔を持っている。

ぼくは野田さんの最初の短編集『レモン月夜の宇宙船』を読んで以来のファンだ。

野田さんにお供したアメリカNASA四大基地巡りの珍道中ぶりはこんな感じで始まった。


 最初の取材旅行はアメリカ横断の旅。1980年のことだ。
 今は手薄になったけれどオーディオにハマった時期がある。レコード盤面上にうすい膜をはってレコードとレコード針との摩耗をふせぐディスクプロテックというクリーナーを使っていた。このクリーナーのセールスポイントはNASAが開発した技術を応用していることだった。
 宇宙服のヒートシステムを組み込んだスキー靴、宇宙食のためのフリーズドライ方式、特殊ショックアブソーバーの入ったアメリカンフットボールのヘルメット、オベーションのギター、ボーズ・スピーカー、圧倒的な浄化能力を持つ浄水器、耐熱効果の高いスペース・ブランケット、水にぬれても書けるスペース・ペン。
 NASAのスピンオフ(副産物)はぼくらのまわりにたくさんある。
 年間何兆円にもなる膨大な予算(税金)を使い、たったひとりの人間が月に立つことになんの意味があるのかと批判されていたNASAは、自分たちが開発した技術がいかに人々の暮らしに役立っているかをアピールするため民間に技術を開放している。
 おりしも再使用可能な有人宇宙飛行船スペースシャトル第一号コロンビア号打ちあげの一年ほど前。NASAは自分たちのエコな計画をアピールしている最中だった。NASAを取材するチャンスとふんだぼくは、ムック本『NASA これがアメリカ航空宇宙局だ』を企画した。
 ぼくが音楽業界に引きずり込んだSF作家鏡明さんの「NASAと言えば野田御大でしょ」のひとことで著者を決めた。
 野田昌宏さんはSF作家。「スター・ウォーズ」の原作本の翻訳家。宇宙開発評論家。日本テレワークの代表取締役社長で「ひらけ!ポンキッキ」「料理の鉄人」「発掘! あるある大事典」「クイズ$ミリオネア」など大ヒット番組のプロデューサーだ。
 ロケット大好き少年そのままの野田さんは、それまでにもNASAとやりとりをしていたが、実際にNASAを訪れたことはなかったので、執筆の申し入れを断るわけがない。大喜びで引き受けてくださった。
 当初野田さん一人で取材していただく予定だったが「ダメだよ~磯田さんも一緒に行かなくっちゃ。あなたが企画した張本人なんだから」と言われて取材に同行することになった。
 旅行は憂鬱だったが、生まれて初めての海外旅行がこどものころからあこがれていたNASAというのは嬉しい。
 旅の仲間は野田さんと野田さんのアシスタントとしてテレワークの一木正徳さん。
 現地のコーディネーターとともにヒューストン宇宙センター、ケネディ宇宙センター、マーシャル宇宙飛行センター、パサディナ・ジェット推進研究所。アメリカ横断20日間の取材旅行だ。
1980年11月『NASA これがアメリカ航空宇宙局だ』野田昌宏著(株)CBS・ソニー出版刊

以上、電子書籍『きっかけ屋アナーキー伝』 私はUFOを信じてません ~カール・セイガンさん、野田昌宏さん〜より。


この続きはまた明日。

明日は絶世の美少女と白夜のスカンジナビア半島を一周したお話です。

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ブログ「万歩計日和」です。


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