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「料理はだれがする?」 令和の避難所と35年前の地方の高校(前編・背景)

30年前の長野県の地方の進学校で一人の女子がどんな経験をしたのか書いてます。これは高校の背景です。
ちなみに、母校は最近定員割れを起こしたそうです。時代の流れです。

わたしが通ったのは旧制中学(男子校)から始まった学校で、共学になってから40年ほど、在学当時はバンカラの流れが残っていました。
もっとも、私たちの2年後の入学生からは「現代にそぐわない自由がある」という理由で「クラスコンパ」などに制限がかかるようになりました。

ばん‐カラ【蛮カラ】読み方:ばんから

[名・形動身なり言葉行動粗野荒々しいこと。わざと粗野装うこと。また、そのような人や、そのさま。「ハイカラ」に対す造語。「—な学生」「—を気取る

Weblio辞書より

わたしたちが通っていたころ、正門の門扉は閉ざされることなく、開け放たれていました。
初代校長の銅像と、学校行事(登山)でなくなった生徒と先生のために慰霊碑があり、前庭は牡丹や桜が植えられ、美しく整えられています。

生徒は正門からではなく、正門わきにある<登竜門>と呼ばれる石畳の道を歩いて登校します。学校自体が坂道に立っているため、この道もやや登坂です。

元は男子校(高校としては一年間、それ以前は旧制中学)で、私が入学したときはクラスの三分の一は女子でしたが、令和とは違うこともありました。

まず、<生徒会長、部長(女子のみの部活を除く)、応カンは男性>となぜか決まっていました。(今は違います。)

応カンはとは応援団です。<應援団管理委員会>が正式名称で、文化祭の時に校門に飾る杉のアーチと鯉のぼりは応カンの担当だったそうです。ありがとう。応カン。
他にも校歌を歌えるようになる訓練も応カン担当で、それなりにため息物でしたが、某・郷友会よりマシでした。

高校は私服通学ですが、なぜか(『なぜか~することになっている』が多いです。)応カンに所属すると引き継がれた学生服を着て授業を受けます。

校風に<自由・自治>をうたいながら、なぜか1年生の時だけ、(委員会とついていたから?)応カンにはクラスから男子を一人、出すことになっていました。
(今もクラスから一人出すのか分かりません)

部活と両立は難しいと言われて、毎日練習のある運動部に入部した人は
「XX部に入ったので無理です。」
と言います。途中でその後やめるひともあるけど、一度は出す必要があるとか。まあ、PTAの役員選出のときと同じ感じです。

応カンに入る人の名簿を提出する締切日があるので、一日で決まるクラスもあれば、何日もかかるクラスもありました。クラスによっては男子だけ残って決めます。

文化祭のときはクラス単位の行事はないと思っていましたが、体育祭が最終日に設定されていた年代もあるそうです。(記憶があいまいです。)

模擬店や発表は部活ごとです。つまり生徒会や部活・応カンに所属しないか、模擬店も発表もしない部活(私の部では何もしませんでした)だと、学校に来る場合、友人の作品や発表を見て回るお客になります。

当日(日数は忘れました)はホームルームがないので出席を取りません。したがって、登校しない生徒もいると噂がありました。

前夜祭では前庭に灯篭をかざり、講堂では生徒による寸劇があり、希望者が見ます。こちらは出身中学別に行います。クラスごとではありません。寸劇に登場するのはなぜか全員男子。同性愛ネタや裸芸があります。上級生が内容を考え、1年生や2年生が演じます。(3年生は分かりません。)

なので1年生は悲惨です。
「女子には見てほしくない」「あれはちょっとね」という内容です。私はその話を聞いて見に行きました。飽きて途中で帰った気がします。

2年の時も部活の後輩が出るというのでちょっと見て、
3年の時は「最後だから見てみたい」といったクラスメイト(女子)がいて、付き添いで行きましたがやはり最後までは見なかったか、それとも最後だから最後まで見たのか思い出せません。

最終日には校庭で火を焚きます。キャンプファイヤーです。小学校のようにダンスをしましょうとか、牧歌的なものではなく、希望者が全員で周りをぐるぐる走り、暑いので誰かがホースで水をかけます。びしょぬれになります。

走る人たちは生徒で、最初は自分の友達と肩を組んで走りますが、だんだん高揚してきて男女問わず肩を組みながら走ります。たまに先生も走ってました。
で、ひと段落すると、司会により(ちゃんと見ている係がいるのです。水をかける人達、生徒会かな?)<語り=かたり>に入ります。

ちなみに<語り>とは自分の話したいことを話す時間です。「おしゃべり」と違う点は、「話す」という行為を「テーマを決め、宣言して始める」ことではないでしょうか。

相手は友達や、誰かが提案したテーマ別のグループ(初対面を含む)のこともあれば、キャンプファイヤーの後のように学年・部活・クラスなど問わずその場に居合わせた人たちですることもあります。

ちなみに生徒が許可なく(悪口・個人批判はNGです)、自由に意見を表明できるスペースがあり、年に一度くらい誰かが模造紙に意見を書いて張り出すことがありました。無記名はNGで、はがされる決まりだった気がします。ラインやガラケーのない時代です。
この空間は2棟と呼ばれる木造校舎の生徒の昇降口にあり、名前もあったはずですが、忘れました。
この2棟は平成5年あたり解体されたはずです。

おまけ
生徒の中には姉妹・兄弟親や祖父母が同じ学校に通った経験を持つひとも当然います。そして地域社会でも「卒業高校名」は幅を利かせることもあります。卒業校にいつまでこだわるんでしょうか。はあ。

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