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コーチングが流行っているから、コーチングを封印します。

一部の方にはもうお伝えしておりますが、

\2022年、コーチングを封印します!/

この意思決定に至るまでは本当にがむしゃらにやってきました。人の心理や認知、脳や生物学などたくさんの分野を貪るように学び、まさにフロー状態な期間でした。

そんな私を知って頂いている方ほど、今回の決断に驚かれたのではないかと思います。ええ、私が一番驚いています。

私も無論マイコーチに定期的に相談に乗ってもらっています。その結果、今回の意思決定に至りました。

大好きな"コーチング"が、いつの間にか視野を狭めていた。

理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由はこれですね。私はコーチングという世界に出逢って、運命にも似たときめきを感じてもうそれしか見えないような状態になっていました。

寝ても覚めてもコーチングや人の心理の世界を学んだり考えたりすることが面白くて面白くて。他のことは後回しにしてしまうほど、過集中状態になっていました。人の心を知れば知るほど、「あれも知りたい・これも知りたい!」と新たな領域に繋がっていく感じです。

コーチングスクール(CTIジャパン)→認知科学(苫米地派)→脳神経科学(DAncingEinstein)→NLP→カール・ロジャーズ派カウンセリング→フォーカシング/NVC→CBT、ACT→ザ・メンタルモデル/メンタルモデル→マインドフルネス、仏教→ユング派→河合隼雄→ポリヴェーガル理論→プロセスワーク(トランスパーソナル心理学)

自分でもよくこんな探究したなと思うくらいハマってました。ハマりやすく、感度が高いのは長所でもあり、飽きっぽいのもまた良いも悪いもないただの特性です。こうして心理の領域にはある程度詳しくなり、手法もたくさん学びましたが、メンターとの関わりの中で、自分がこの得意領域に専門特化しすぎて自分の世界を狭めていることに気が付きました。

要するに、自分の強みに依存しすぎていたんですよね。好きこそものの上手なれは一見良いことしかないように聴こえますが、「専門特化したほうがいい」という私自身の思い込みが、私の未来の可能性を狭めていることにやっと気が付いたのです。

これからの時代を生き抜くために身に着けたいもの

会社勤めを辞めたこの1年間で経営者や個人事業主など、会社員時代にはつながりが薄かった多様な人々との出逢いがありました。会社勤めの頃は「会社員としてどうキャリアアップしていくか」の視点でしか捉えておらず、また上司にもそういった「こうしていけば順調にキャリアが積めるよ」といったアドバイスを頂いていました。(それはそれで有難かったです)

ただ、個人事業主として、また経営者として生業を持つ大勢の人たちとの交流の中で「いろんな生き方、在り方がある」と自分の世界が一気に拡がったのです。

多様な価値観、生き方、働き方に触れた結果、私がこれから身に着けたい、大事にしていきたいと思うことは以下の3つだと今は感じています。

目的なく本気で遊ぶ力
自分で思考し、内省や振り返りをする力
自分で自分のこれまでを壊し、再構築していく力(進化/適応)

目的なく本気で遊ぶ力

大人になるにつれて、私たちは常識や、型、概念などに囚われていきます。会社では目的意識やフレームワーク、ロジカルシンキングが評価され、その経験を学習して「常に目的を考え、フレームワークを使いこなし、論理的に考え仕事を進めていくことが評価される」といった信念を創り出します。

だからこそ、

「自由にしゃべってみて」
「自由に遊んで」

と言われると、途端に何をしていいかわからなくなるのです。

「テーマが無いと話せない」
「目的がないと動けない」

こんな状態に陥り、いつの間にか無邪気さや好奇心、なぜこうなんだろうと問いを持つ力が損なわれていきます。

だからこそ、目的がなくても行動できるマインドを取り戻したい。
何にでも好奇心を持って取り組める無邪気さ柔軟さを取り戻していくために「何者でもない自分」に還ってみようと思っています。

新たな機会が目の前にあったとき。自分の心が少しでも「これやりたい!」と思った時。私たちの脳は発達しすぎた結果、衝動ではなく思考で「これをやることに何の意味があるんだ?」と思って立ち止まります。それ自体は全然悪いことではないですし、むしろ必要な能力ですが、その結果「意味がない」と結論づけたが故に行動をしないといった機会損失は自分の人生経験の幅を結果的に狭めることになるリスクも同時にあるなと思っています。

目的や意味なんて、経験を通じて後から自分で見出していくことがほとんどなはずなのに。まず先のことをアレコレと予測して行動が出来なくなる。頭でっかちになっている自分を手放す試みでもあります。

目的がないと動けないと、自分の世界は拡がっていきません。偶発的な巡り合わせを楽しめる力。無目的でも直感に従い動ける人の方が経験の幅も拡がるということに、先日のアート展開催の経験からも身体知として身に染みました。

自分で思考し、内省する力

私たちは、自分の頭で考えなくてもなんとかなる教育を受けてきました。すべてを環境要因にするわけではないですが、イチ視点としてそう感じています。学校教育は、決められた基準やルールに則っていれば結果が出せ、周囲の大人たち(教員や親)も喜んでくれました。幼少期は誰しもが儚く、親に気に入られなければ生きていけません。そのため、身近な大人の顔色を窺い、それを基準値として脳に行動パターンを学習していくのです。

私たち(私はミレニアム世代)の親世代も、戦後の工業化を支えるための人材を育成するための教育を受けてきました。だからこそ、そのままの教育方法を受け継ぎ、それを是として子育てをしてきたのです。「今の時代安定した職に就くためには正社員だ・公務員だ・国家資格だ」とあらゆる外部評価を教えられてきました。私も祖母に「公務員と結婚しなさい」と100回以上は言われています。(苦笑)

その弊害として、外部評価をまるで自分のものさしのように捉え、自分で思考できない人になってしまったのです。(少なくとも私はそうです。)

よくある事例で、何か新しいスキルを得ようと思ったらまず資格、まずスクールに通おうという発想に至るのもいかにそれが是とされる教育を受けてきたかがよくわかります。

スクールや資格以外にも様々な選択肢があるにも関わらず、「それが当たり前でしょう」とまず自分で考えることを放棄し、そう思い込んでしまっているのです。

こうした思い込みによって独学という発想が出てこなかったり、スクールに通わなければスキルは身に着けられないと短絡的に思ってしまうのです。(私も多額を支払ってコーチングスクールに通いスキルを身に着けましたが、正直通わなくてもスキルは身に着けられると今では思います。ただ、かけがえのない仲間たちに出逢えたことは受講費以上の財産だと思います。)

あらゆる選択肢を検討し、自分の頭で考えること。他者から教えられたことや言われたことを真に受けずに、一度自分で咀嚼し、時には批判的に捉え再検討する力。情報化社会でインターネットには人の心理を考慮した広告が出回っている時代。流れてきたものに踊らされるだけではなく、自分で合うものを、自分に長期的な視点で必要なモノやコトを吟味して取捨選択していける力が本当に大事だと感じています。

時には自分にとって痛い選択をしてしまったときも、それを失敗と捉えるか学習と捉えるかも自分で選ぶことが出来ます。

自分の経験や行動に対して振り返り、内省し力に変えていくマインドや在り方こそが重要だと思うのです。

自分で自分のこれまでを壊し、再構築していく力(進化/適応)

これまでの私はこの視点が、ごっそり抜けていました。正しくは「概念的にはわかっているけど身体知化していない」という自分が露わになりました。

スキルや経験は積み上げていくほどにいいと、そう思っていたのです。

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コーチングという技術を深めていくことは当たり前に大事なこと。一方で、技術力を上げれば上げるほど同業と同質化していくというジレンマもやっと腑に落ちました。

金融投資のセオリー同様、一極集中はリスクでもあるんですよね。特に変化の激しいこの時代に、自分で自分のアイデンティティを破壊し、再構築する力こそが最も難しく、最も大事な経験資産になると思っています。(「LIFE SHIFT2」でも書かれていました。)

コーチング業界だってどんどんコモディティ化しています。SNSには「コーチはじめました」「クライアント募集」という投稿が後を絶ちません。

おそらく、参入障壁が低い業界なので今後もどんどんレッドオーシャン化していくと思います。

だからこそ、私はその流行と逆をいくのです。みんなが進む方向はあえて選ばない。
とは言えプロセスワークもポリヴェーガル理論も現在講座受講中でスキルや引き出しをブラッシュアップしている途中ですが、2022年以降は一旦学習欲旺盛な自分も手放し、コーチと言うアイデンティティも破壊し、あらたなる自分を創造するために時間を使いたいと思っています。

そもそも、コーチングだってただの手段であり、私が実現したいことの手段はもっともっとたくさんあるはず。

その未来の可能性への種まきをしたいのです。

最初、「コーチングも学習も封印する」と意思決定したときは正直不安で葛藤しました。サンクコストを気にして、先の見えない未来を憂い、2か月は悶々としていました。この状態を人類学用語で「リミナリティ」とも言うそうです。

【リミナリティ-英:liminality】
人類学者ターナーの用語。日常生活の規範から逸脱し,境界状態にある人間の不確定な状況をさす言葉。
道化・トリックスター・シャーマン・修行者などの位置・状況をさすのに用いる。
引用:Weblio辞典/コトバンク


とある飲み会で、メンターであるやまけんさんにこう言われました。

「今すでに持っているスキルを伸ばすことは、成長ではあるけれど進化ではない。進化とは、これまでの価値観を破壊し、新たな自分を創造していくことだ。」

これを聴いて私は、成長だけじゃなく進化したい、と思いました。やまけんさんはさらにこう言いました。「生き残る上で大事なのは、強くなることじゃない。頭を使って変化適応できる者だ。」強くなれば結果が出る時代は次第に終焉していくのかもしれない。確かに進化論の歴史を辿ると人間は弱くて儚いからこそ必死に頭を使って、仲間と協力して進化してきたことが綴られています。

だからこそ、自分の依存的な執着を手放し、未知なるものを取り入れていく力を育みたい。不安や恐れを乗り越えて軽やかに進化・適応できる人になっていきたい。そういう風な在り方を私が率先して経験していきたいと思い今回の意思決定をしました。

不安だった最初の2か月を通り越し今は、この意思決定に対してワクワクした気持ちがあります。悶々としたあの時点から想像もできないくらいに、「何やろう!?」とこれからの探索に前のめりです。

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(▲絵を描いたり、卓球をしたり、お味噌をつくったりしています。)

誰もが皆、何者かになりたがる時代に、私は何者にもならない意思決定をしました。肩書も、これまでのキャリアも手放すこと。「これを手放したら、私には何も残らないじゃないか」という不安や葛藤から、「何もないから、すべてがある」という世界に足を踏み入れたような感覚です。

逆説的ですが、一見なにもないと思っていた世界を経験すると、実はそこにはすべてがあって、満たされているというワンネス感が得られるのかもしれません。

もうこの感覚を得られたこと、自分自身の体感覚として感じられたことこそが進化の始まりであり、それはもう本当にメンター/コーチであるやまけんさんに感謝です。私の人生を大きく変えてくれた恩人です。

何が起こるかわからないからこそ、人生は楽しい。

そう思えたら世界は勝手に拡がり、私自身も進化していける。
やまけんさんは何よりも大事な私のしあわせの土台を、開き、ともに育んでくれた人です。

あらたなる可能性への種まき期間、やりたいことを全部やって、何者でもない私期間を存分に楽しみます。

さあ、自分らしさという檻を破壊して私をアップデートする物語のはじまりです。

過程は気が向いたらここでも更新していこうと思います。

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▼天才研究家やまけんさんのアート型ビジネスとは?の解説記事

▼私の人生が180度変わった「天プロ」取材記事



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