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エッセイ| 音楽と当時の記憶のこと

 吐息も白い朝、アスファルトをザクザクと踏む。コートのポケットに手を突っ込んで、カイロを握りしめていた。私と私以外のものの境目がやけにはっきりと見えていた。信号の音が、音楽の隙間から聞こえていた。

 高校生の頃、よく聞いていた曲があります。オーストラリアのポップロックバンド5 seconds of summerの「Just saying」 という曲です。確か、夏にも聞いていたはずだし、秋にも聞いていたはずです。でもその曲を聞くと思い出すのはいつも冬のこと。入試会場に向かう道のことです。

 私の通っていたた高校ではほとんどの生徒が地元、関西の大学を受験します。私もクラスメイト達と同じように、特に深い考えもなく、神戸大学とか大阪大学とか行けたならかっこいいよなぁ、なんてお昼のお弁当を食べながら友達と話していたことを覚えています。

 状況が変わったのは3年の春の模試のあと。志望校欄が余っていたので、なんとなく書いた東京の大学。結果が返却されて驚いたのは、ずっと雲の上だと思っていた大学が、意外と手が届きそうな場所にあったから。このまま続けていればもしかして、いけるかもしれない。東京という、言葉だけが宙に浮いて、どこか別の国のように感じていたその場所が、確かに地続きの場所にあるのだと思えました。

 取り寄せた大学のパンフレットを、クリスマスのチラシを眺める子供の様に、何度も、何度も読み返した。ページをめくる度憧れは強くなる。自分がその場所に立っていること、たとえどんなに低い可能性でも、想像できてしまったから。憧れはいつしか、確かな温度をもって私の中に住み着いてしまった。
 退屈で、窮屈で仕方がなかったこの街。通学の電車に揺られながら、ふと窓の外を眺めるとずっと先まで続く線路が、確かにその場所まで 続いている気がした。

「先生、第2志望の大学、やっぱりダメでした」
 職員室はほのかに灯油のにおいがしていた。どんな顔で言えばいいのか分からなかった。期待してくれていたことも知っていたし、お前なら大丈夫だろうと優しく送り出してくれた先生のことを裏切ってしまったのが苦しかった。先生は私の顔を見て言う。
「なんだ、第2志望だろう、別に落ちたってかまわないよ。第一志望に受かればいいだけだろ。それに東京に一人で行って、ちゃんと無事に帰ってきたんだ、それだけですごいじゃないか」
 喉元を言葉が通り過ぎたとき、抑えていたものが零れ落ちそうになって、ぎゅっと締め付けられた。
 ほら、さっさと図書室にでも行って勉強しろ、まだ受験が終わってないんだぞ。しっし、と手で払いのけるそぶりをしてみせた、優しさだったと思う。足早に職員室を後にして、図書室へと続く渡り廊下で少しだけ目元を拭った。

 結局だめなんだよ。届きはしないんだよ。分かっているでしょ、あの子はお前よりずっと努力しているのに、お前はどうしてこれっぽっちしかできないんだ。もう頑張らなくてもいいんだよ。十分頑張ったよ。十分すごいよ。全部、全部、うるさい。誰かの声がうるさい、自分の声がうるさい。お願いだから静かにしてよ。
 余計な音をかき消すように、イヤホンをつけてその曲を聴いていた。静かになるまで何度も。

 冷たいアスファルト。踏みつけるとザクザクと音を立てた。車の排気と冬の朝の匂い。私はまたその曲を聴いていた。
 何かになりたいわけじゃない、でも何かになりたいと祈っていたあの頃。悔しさ、焦り、苛立ち、持ちきれないほどの感情を抱えて知らない街をあるいていたこと。シャッフル再生で流れてきた「Just saying」を聴き、ふと当時のことを思い出します。
 思い出すのは、一番強い思い出だから?それもあるけど、本当はどこかで思い出したかったのだと思う。あの時触れた温かさも冷たさも、苦しさも、色も形も変わらないままで。それは今も無口なまま、私の中で生きているから。

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