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物語を「読む」とは「体験する」である

午前11時34分。

2つあった袋の片方を取って、開けた。ガサッと取り出す。

トースターの扉をあけて1枚入れた。


スイッチを回すと、トースターはブォーンという音を立てながら熱を出し始めた。ジジジジィーという不思議な音もしてきた。


パンは、オレンジ色に照らされる。


そこから2、3歩向きを変え進むと、置き去りにされたスマートフォン。

誰かからLINEは来てないか、と画面をつけると、公式LINEからのメッセージだけ。

まあいいやと窓を見ると、洗濯物が今にも飛ばされそうだ。

今日は、風が強い。


ぼーっとする。








チンッ。




やけた。




こげている。




少し回しすぎたかな、まあいっか


ピーナッツバターの入った瓶を手に取る。ああそうだスプーンも。



皿に乗せたパンも一緒に、めんどくさいから全部持ってテーブルへ向かう。

先に淹れたミルクティーが待っていて、湯気をうっすら出している。

そういえば少し飲んじゃったからなんとなく少ない。



座布団に座り、いただきます、とボソッと告げる。誰かに。みんなに。

瓶を開ける。パンをちぎる。スプーンの裏でテキトーにとって、ぬる。


うーん、少ないな。でも太りそう、でもまあ、もうちょっとなら。


ピーナッツバターは熱いパンのせいで余計に香りを強くさせる。

目を閉じて、もう1度香りをかぐ。


いい。



サクッ。


うま。




久しぶりに食べる。

やばいおいしい。

ゆっくり噛むと、口から鼻までピーナッツバターと小麦だ。

コゲもなんだかんだいい脇役。



サクサクッ











ーーーーーもう1枚、焼こうかな










「こういう時間がマインドフルネスだな」って直感的に思った出来事があったので、書いてみました。

みなさんにもこれ読んでる時に、想像してもらって、マインドフルな時間を文章で体験してほしいなと思いました。

でもなかなか詳細に書けず、難しいです。少しでも情景をお伝えできたでしょうか、、、


「物語を読む」とは。


さて本題ですが、本を読むって、ものすごく価値があるなって思ったんです。こんなのどこでも言われてることですが、改めて思いました。

「本を読む」という行為は、フィクションであれ、ノンフィクションであれ、”その物語を擬似体験する”ことです。

誰しも決して、他人の人生を歩むことはできません。

ですが、本を開けば、他人の人生に自分を置いて物語の中を進んでいくことができます。



私は毎朝必ず読書タイムを確保して、忙しくても本を読むようにしています。

最近は、音楽業界でプロデューサーとして活躍された方の著書を読んでいるのですが、私はあまりにも音楽に疎いですし、ショービジネスにあった性分ではないのでその世界に行くことはないと思います。

でも私はその本を読むことで、その方が辿ってこられた道のりを想像しながら、擬似的に一緒に進んでいく感覚がするんです。

その人の文章がとても魅力的だから想像しやすいということもあるかもしれませんが、読んでいて鳥肌が立ったり、自然を内に感じたりします。


読み終えた瞬間、こう思いました。

「わあ、ほんといい経験だった」と。


この感情は、その本に出会えたこと、そして擬似体験をさせていただいたことの2つの経験が生みました。本を読まなければ、その方の人生を想像することもありませんでした。ましてや、これから先も自分の人生では関わらないであろう世界の断片に、身を置いた気がしてしまったのです。


前半に書いた「私がパンを焼いて食べた」ストーリーも、あくまで実際に体験したのは”私だけ”ですが、文章を読みながら、「パンを焼いてテーブルへ移動して食べた」という動きを一緒に進んでくれたのではないでしょうか。



改めて、本が持つ力、本を読むという意味を感じました




おすすめの本がたくさんあるので、いつか紹介できたらいいなあと思っています。

みなさん素敵な読書ライフを過ごしてくださいね!



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