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人は、別れの痛みさえも希望に変える力を持っている。

こんにちは、カウンセラー/コーチの武石美有紀です。

久しぶりに、ゆっくりと一息できたとき、なぜかふと頭をよぎったのは”過去の別れ”についての記憶でした。(少し疲れているのかな?笑)せっかくなので、今日は別れの痛みをテーマに書こうと思います。

【1】別れの痛み

私にとって大きな別れは、大切に思っていた恋人との別れと、小学時代に部活仲間だった友人の死でした。私の生活の一部、幸せの一部となっていた存在がいなくなるということで、大きな痛みを味わったのを今でも鮮明に覚えています。

別れの後の反応としては、はじめは事実を受け入れることが出来ないんですよね。今まで当たり前にあるものがなくなてしまうことに対して、自分で解釈を付けようとあがいていました。「きっと冗談だよ」「今は忙しいから判断を誤っているんだよ」とかね。いや、違う!!!と現実を見せようとする自分に抗議していました(笑)

それから、少し時が経ち、だんだんと起きたことが事実だということを認識してきます。そして、私の場合は、少しの怒りと、悲しみが溢れてたくさん泣きました。

怒りは、相手に向いたというよりは自分に向くタイプでした。「何でこの時もっと力になることが出来なかったんだろう」「あの時もっとああしておけば良かった」とか、とにかく相手のことは責めたくなかったので自分に欠点を見つけ出し攻撃するというスタイルでした。(Mですよね…笑)それから「誰も悪くないのに何でこうなってしまうんだろう?」というやり場のない怒りを感じたりもしました。でも、怒りはどちらかというと少しで、そのあとに来る悲しみの大波が本当にしんどかったです。一人ではどうしようもできなくて、何人もの友人に助けてもらったのを覚えています。

今では、感情が理解できるようになり、処理が上手になったので、怖くないですが、当時は、感情の波に自分が押しつぶされそうで、どうしようもありませんでした。自分自身のことなのにいつ高まるか分からない感情と、高まった時に処理の仕方が分からずただ受けることしかできないことへの怖さです。

乗り越えた今だからほほえましく過去を見ることが出来るのですが、そのくらい、感情豊かな人にとって、痛みの感情と向き合うということはリスクを感じる怖いことなのだと実体験を持って痛感しています。

【2】別れの痛みさえも希望に変える力を持っている

そんなこんなで、絶望期間を乗り越えると、「これから私自身はどうしていこう?」とようやく未来を考えられるようになっていきます。

当時は、少しずつ、周りの友人の勇気づけの声に耳を傾けたり、元気をもらえる音楽や本に触れたりすることで、まずは、エネルギーを取り戻していったように思います。(絶望期間は、周りの情報はシャットダウン。内に入れる余裕はありません!)

エネルギーがたまってきたら、まず目の前のことを感じてみました。食べ物が”美味しい”とか、お笑い芸人さんが”面白い”とか、作家さんが書く言葉が”美しい”とか、そんな些細なこと。それで、日常に希望を感じられるようになっていきました。「もっと美味しいもの食べたいな~」とか。(私は食べ物が大好きなので、食べることに何度も救われました~。)

それらを繰り返していくうちに、立ち直ってきて、その人がいなくなった世界でも自分自身で新しい道を作っていくことを決められるようになりました。そこまで来ちゃえば、もう大丈夫。たまに記憶がよぎることはありますが、何とかなります!

痛みからの復活プロセスとして、何度も繰り返したな~もはやプロだな~、なんて思いながら、考えをさらに巡らせるわけですが、そこでふと感じたことがあったんです。

「私にとって別れの痛みは最終的には希望になってるんじゃないか」
「人は別れを希望に変える力を持っているんじゃないか」

ということ。

痛みからの復活プロセスには、続きがあるんです。新しい日常を生きていく過程で、私はお別れした人に”約束”をしていることに気が付きました。その人が下さった優しさや学びの数々は、別れの痛みを経験した後でも、私の中で残っています。そこを大切に思う気持ちが生まれてくるんですよね。そして、こんなことを思うようになっていきます。

「あなたがくれた優しさや学びを昇華していくよ」
「あなたも私も幸せになろう」
「そして何十年後、もしかしたら天国でかもしれない、また会って、お互いの人生のよもやま話でもしよう」

そんな”約束”。その約束は、本人としたわけではありません。自分で勝手に決めたことですが、勇気になるんです。それに、痛みが自分のこれからの未来のお守りのようなものに変わっていく感覚を持つようになります。

あれ、となると。

「別れは、本当に別れなのでしょうか?」

その人との全ての痕跡を消し去ることなんて出来ませんから。つまり、無かったことには、もう出来ないわけです。

起こった過去の事実を丁寧に見てあげる。そして、怒りや悲しみというものではなく、自分の中に大切にしまえる形に変えて、思い出として残しておく。それが出来れば、私たちはたくさんの人たちとその優しさと一緒に生きることが出来るんじゃないでしょうか。

色んな人がいて、思いがあって。それが私という人間のそれと相手のそれと、合うこともあり、合わないこともあり。人生の長さが少し違くて、生まれるタイミングも違くて、早くにバイバイしなきゃいけなくなることもあります。でも、たったそれだけのこと。それが別れとなって現れるだけ。

その事実よりもむしろ、この長い歴史の中で、今この瞬間をたった一度でも接することが出来たことの方が、偉大なんじゃないかとさえ思う次第です。お猿さんの時代でもなく、十二単の時代でもなく、この時代にね。

私は、そっち側の事実を大切にしたいと強く思う人種です。

それでは、またお話ししましょう!


カウンセラー/コーチ 武石 美有紀




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