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君は愛されるため生まれた

昨日は「君は愛されるため生まれた」という歌を聴いて、なんとか気力を保って仕事をすることができた。これはクリスチャンミュージックで、よく誕生日に歌われる。
私がこれまでどのようにキリスト教と関わってきたか、書くことにする。
宗教の話なので苦手な人はスルーしてください。

☆☆☆

私の両親はプロテスタントのクリスチャンだ。
物心つく前から教会に連れられて通い、聖書を読むこと賛美歌を歌うこと牧師先生のお話を聞くことは日常の中に溶け込んでいた。
しかし、現在30代半ばだが、私はクリスチャンになっていない。

良くある話だと思うのだが、単純な子供だった私は、教会で進化論を全く認めないことに強烈な違和感を覚えた。
なぜ科学者が築き上げてきた知識を、聖書の内容と合わないからといって無視するのか、なぜ世の中の知識の方が間違っていると決めつけることができるのか、教会の人々を少し怖くも感じた。
しかし、その気持ちを外に出すことができなかった。

中学高校時代に、私は教会から離れた。
私は理科、特に生物学が好きでその方向に進路を決めた。
母の悲しそうな顔を見ないようにして、私は聖書を開かなくなった。

それでもなお、キリスト教は私の中の核であり、ずっと無視できないものだった。
ずっとついてくるものだった。いつも心の中にあるものだった。
大学に入り一人暮らしをし、また教会に行き始めた。
この時初めて、牧師先生に「科学と宗教」の疑問をぶつけてみた。
明確な答えを受け取ることができなかったが、創造の七日間を科学的に説明しようとしている学者もいると聞いた。
そんな人もいるのか、と東京まで出て講演を聞いたこともある。

しかしやはり、なんとか無理やり自分の頭を納得させようとしているように感じて、とても受け入れられなかった。
私は再び教会から離れた。
キリスト教のことを積極的に考えるのをやめた。
ただ、就職や異動で住居は色々変わっても、子供の時に与えられた聖書はいつも身近にあった。

そんな中、契機が訪れる。
実家が仏教を信じている人と出会い、結婚することになったのだ。本人も仏教徒である。
否が応でも、自分の核となっているキリスト教と対面することになった。

私は洗礼を受けていない。
その一方で、科学とは相容れないのではと思っていても、神の存在を信じている。
だから悩んできた。
そして結婚するにあたり、強い確信が生まれた。
「私は神様に愛されている」

私が気づいていなかった時にも、私を愛し支えてくれた方がいるという確信である。
病気になり、希死念慮にとらわれても命を落とさず生き延びてきた。
失敗を繰り返しながらも、仕事を続けてこれた。
さらに、愛する人とめぐり合うことさえできた。
ずっと愛し続けたいと心から願っている。

そこで疑問が起こる。
「人を一生愛し続けるのは、私に可能なのだろうか?」
私はいかに自分が弱いかを知っている。
本質的に汚いことも、経験から知っている。
そういう自分に、健康な時も病める時も人を愛し続けることなどできるのだろうか?

考えた結果、自分一人の力では不可能だと思った。
もしくは、わからない、とも言っていい。
でも、「確実に」愛し続けたい、と願っているのだ。
結論として、私は神様に頼ることにした。

私は現在、結婚した先で教会に通っている。
様々な疑問はまだ解消されていないが、夫を愛しているから、愛し続けたいから、学んでいる。
これからどうなるかはわからない。
でも今は確信を持って「私は神様に愛されている」と言える。
そう言えることは本当に幸せである。

☆☆☆

「君は愛されるため生まれた」を聴きながら、この話を書こうと決めた。
良い歌なので、もしよかったらYoutubeで聴いてみてください。

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