見出し画像

文字を持たなかった昭和九十七(「あく巻き」の思い出)


  鹿児島の端午の節句のお菓子「あく巻き」の概要と作り方について書いてきた(その一その二その三)。作り方や作る時の光景は、子供だったわたしが見たもの、覚えたことなどがほとんどで、書いているうちに思い出したことも多い。

 が、記憶違いや忘れていることも多いだろう。また、家庭というか作る人によって作り方が微妙に違うので、「うちではそうじゃなかった」という向きもあると思う。そういう方とはぜひ情報交換をお願いしたい。

 わたしの印象では、「作る人によって違う」ことの代表格は竹の皮での包み方だった。わが家の「あく巻き」は「その三」に書いたとおりかなり大ぶりだった。一方、同じ時季によそのお宅――と言っても近所の農家――で作った「あく巻き」を見ると、細長い感じだったり短めだったりとそれぞれ個性があった。

 「その三」で書いたように、切り分けた「あく巻き」に何をまぶして食べるかも、家庭によって違っていた。白いお砂糖はいちばん簡単で、その分手抜きな感じがした。続けて食べると胸やけしそうなのもちょっと嫌だった。黒砂糖をまぶすのは、もわたしの周りではあまり一般的ではなかったと思う。黒砂糖といえば塊のままお茶請けにするもので、まぶして食べられるような粉状のものは、大人になるまで見たことがなかった。

 そうだ。肝心の「あく巻き」の味について全く触れていない。

 「あく巻き」は―――「あく(灰汁)」の味がする。
  当たり前か。

 灰汁を見たことのある人は多くないだろう。濃い褐色でちょっと不気味だ。舐めたことのある人は、もっと少ないと思う。おいしくもまずくもない。薬のようで薬のようでない。味というより風味というか、鼻から抜ける独特の石灰臭がある。

 書いていて思い出したのは、中華の食材「ピータン(皮蛋)」だ〈87〉。ピータンは、石灰、塩を加えた粘土でアヒルの卵を包み、もみ殻をまぶしてから醗酵させる保存食品だ。大人になって初めてピータンを食べたとき「あく巻きと同じ味だ」と感じたことを思い出す。

 正確には、ピータンの白身の部分、黑っぽいゼリー状のあれだ。石灰と灰汁。同じ発想ではないか! というか、基本の成分は全く同じだろう。中華圏と薩摩。どこかで繋がっている、ということだろうか。

 そもそも、竹の皮で包む「あく巻き」は、中華料理の粽(ちまき)とよく似ている。粽自体が端午の節句の食べ物なのだ(粽の由来となった屈原の故事はご存知の方も多いでしょう)。中華の粽を初めて目にし、竹の皮を開いたときも「あく巻きみたい」と思った。

 もっとも味は全く違う。形も、あちらは三角錐に包むが「あく巻き」は円筒形だ。それでも、竹の皮でもち米を包むという基本は同じ。日本の他の地方の「ちまき」よりはずっと血が濃い(?)と感じる。

【長くなるので、続きを明日書きます】

〈87〉高級なピータンは松花蛋(ソンホワタン)という。殻をむいた表面に松葉模様のような結晶ができているため、この名前がある。花は模様の意味。
※写真は かごしまの食>あくまき からお借りしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?