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文字を持たなかった昭和 九十五(「あく巻き」――月遅れの端午の節句、その二)

 鹿児島で端午の節句に食べる「あく巻き」がどういうものかを「その一」に書いた。いまや家庭で作ることはほとんどないことも。

 母ミヨ子が現役の農家の主婦だった頃は、もちろん自分たちで作っていた。作り方は「その一」の手順なのだが、作る量が全然ちがう。「その一」では「あく巻き」10本分でもち米1.5kgとしており、1本がだいたい1合だろう。ミヨ子(たち当時の主婦)がいちいち量を量るはずもない。子供だったわたしの目で見た、できあがりの量から考えてみる。

 まず1本の大きさが、いま市販されているものとはまったく違う。ミヨ子が作る「あく巻き」はその倍はあった。そして、保存食として30本くらい作っていた。ざっくり計算すると60本分、もち米6升分くらいだろうか。もちろん、自分たちで植えて前年収穫したもち米である。

 その量をゆでる前日大きな洗い桶で研いで、これまた大きなザルにいったん上げる。

 灰汁(あく)も自家製だった。竈で調理していた頃は竈の灰を使った。竈を使わなくなってからも風呂は薪で焚いていたので、風呂の灰を使えばよかった。ただし、食品を作るためのものなので、たとえばビニールなどの化学品を燃やした灰は避けた。ミヨ子は紙の灰もできるだけ入れないようにした。「あく巻き」用の上質な灰を確保するため、作業の前数日は子供たちに風呂焚きの手伝いをさせるときも気をつけさせた。

 そうやって竈や風呂の焚き口から掬ったきれいな白い灰を、さらしの布を敷いたザルなどに入れ、下にはきれいに洗ったバケツや鍋などを置いて、上から水を注いで灰汁を取るのだ。灰が細かいほど水はゆっくり落ち、上等な灰汁ができた。

 灰汁ができたら、洗っておいたもち米を一晩つけておく。灰汁の成分が米に吸収されることで、防腐効果が高まる。

 もち米を包む竹の皮も、前日水に漬けてやわらかくしておく。竹の皮は太い孟宗竹の皮で、自前の竹林に落ちた皮を干して保存している家もあったが、この時期になると乾燥させた竹の皮が何十枚も束ねて売り出された。もともと用途が限られるものなので、それほど高くはなかった。

 「その一」にあるように、竹の皮で包んだあと紐代わりに縛る棕櫚の葉も、細く割いておいた。ミヨ子の嫁ぎ先の屋敷には棕櫚の木も生えていたので、そこからきれいな葉を取ってくればよかった。これはあくまで紐として使うので、それほど大量にはいらない。

【ここまでが前日の作業。まだ先が長いので、続きは「その三」に譲ります。】

《参考》かごしまの食>あくまき ほか
※写真もこちらのサイトからお借りしました。

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