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文字を持たなかった昭和 九十四(「あく巻き」――月遅れの端午の節句、その一)

 日本の南のほうから梅雨入りが始まり、6月には全国各地で雨の日が多くなる。そんな季節になると思い出すのは、月遅れで祝っていた端午の節句と節句菓子としての「あく巻き」だ。

 明治の太陽暦採用により、従来は旧暦で祝っていた季節の行事を、わたしの郷里である鹿児島の農村地帯では月遅れで祝うようになっていたことは、「桃の節句」で触れた。5月5日が子どもの日として祝日に定められたことから、鯉のぼりを上げての端午の節句のお祝いは、カレンダーに合わせるようになったことも。

 ただし、端午の節句にちなんだお菓子「あく巻き」は、ほぼ旧暦の6月初旬に作っていた。

 「あく巻き」を簡単に言うと、もち米を竹の皮で包みあく(木灰を浸した水)でゆで、砂糖やきな粉をつけて食べるもの。「あく」でゆでることで長期保存が効く。由来としては、薩摩藩主島津義弘公が関ヶ原の戦いに持って行った、豊臣秀吉の朝鮮出兵に合わせて考案した、など諸説ある。

 インターネットで「あく巻き」を検索すると、その外観や味の特徴、作り方や食べ方、歴史などが多くのサイトに公開されているので詳しくは触れないが、鹿児島県の食のサイトに比較的簡潔に記載してあるので、引用してみる。

・由来
 関ヶ原の戦いの際に薩摩藩の島津義弘公が日持ちのする兵糧として持参したのが始まりであると言われている。その後、男の子がたくましく健やかに成長するように祈る、母の心のぬくもりに満ちた祝い餅菓子として端午の節句に作られるようになった。
 灰汁と竹の皮を使うという保存と実益を兼ねた薩摩人の知恵が、食べものが腐敗しやすい高温多湿な鹿児島の食文化として今も受け継がれている。

・材料(10本分)
もち米1.5kg、灰汁(あく)3.6リットル、孟宗竹(もうそうちく)の皮10枚、棕櫚(しゅろ)の葉1枚
・下ごしらえ
①木灰で灰汁を作る。(市販の灰汁もある)
②前日にもち米を洗って水をきり、灰汁に浸す。
③竹の皮も前日に水に浸して柔らかくもどす。
④しゅろの葉はひも状に裂いておく。

・作り方
①もち米を灰汁から上げ、水をきる。(灰汁は煮るときに使う)
②竹の皮を広げ、その中に用意したもち米を詰め、袋状に包んで、棕櫚のひもで2~3カ所縛る。
③釜に入れ、水で薄めた灰汁で3時間以上煮る。(途中水をさし、米粒があめ色に煮えたらできあがり)
④きな粉、砂糖、黒砂糖等、まぶすものはその家の食し方によって様々である。

 ――と、文字に書けば簡単だが、材料の入手から下ごしらえ、ゆで上げるところまで手間も時間もかかるこの菓子(というか保存食品)を、ゼロから作る家庭はいまでは極めて少数派だろうと思う。少なくとも、わたしの親族や知人にはいない。

 逆に、地域の主婦グループが作ったものを「道の駅」などで、老舗の和菓子店が作り真空パックにしたものを駅や空港の売店で見かける。いずれも通年で。「あく巻き」は「懐かしくなったら買って食べるもの」あるいは「お土産の郷土菓子」になったようだ。

 ちなみに東京なら、鹿児島県のアンテナショップ「遊楽館」でいつでも買えます(いつでも、というのもちょっと寂しいけど)。

《参考》かごしまの食>あくまき ほか
※写真もこちらのサイトからお借りしました。

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