見出し画像

文字を持たなかった昭和 九十六(「あく巻き」――月遅れの端午の節句、その三)


【鹿児島の端午の節句のお菓子「あく巻き」の作り方。「その二」の続きです。】

 二日目は、灰汁(あく)に漬けたもち米の水を切り、竹の皮で包むところから始まる。大きな竹の皮〈85〉に、灰汁を吸って薄茶色になったもち米を適量載せて包んでいく。「適量」がまた難しい。なぜなら、ご飯を炊くときと同様加熱するともち米が膨らむからだ。そのへんのさじ加減は経験がものを言う。いや、もち米を取るときはお玉で掬っていたから、お玉加減かな。

 円筒形に包み終わったら、胴体を棕櫚の葉を割いた紐で括る。真ん中に1本、上と下の竹の皮を折った部分にそれぞれ1本、計3か所が標準だった。(でも、拝借している「鹿児島の食」のサイトの写真は上下2か所ですね。大きさが違うからかな。)

 すべてのもち米を包み終わったら、いよいよゆでる。包むのと同時進行で大きな釜や鍋にお湯をわかしておき、もち米を漬けてあった灰汁も入れてゆでるのだ。だからゆで汁も薄茶色だった。ゆで時間は「その一」にあるとおり3時間以上とかなりの長時間である。

 ゆで上がった「あく巻き」は、もち米が膨らんでまるまると太っていた。ミヨ子の家で作る「あく巻き」は、直径が10センチ近く、長さは25センチほどもあった。持つとずっしり重くて、竹の皮ははち切れそうだった。中には、もち米の分量が多すぎて、竹の皮がはじけたものもあった。こうなるともち米がふやけてしまい味も落ちるし、見た目もよくない。何より保存が効きにくい。

 「あく巻き」はゆで立てを食べた記憶はないように思う。ゆでたばかりでは熱すぎて皮をむきにくく、中身も切りにくい。ある程度、というより完全に冷ましてから食べた。それも何日も。「あく巻き」はあくまで保存食品なのだ。〈86〉

 ほどよく冷めるのを待って竹の皮を開くと、火が通って琥珀色に透き通ったようなもち米の塊が現れる。もちろん円筒形である。もち米は粘るので、包丁では切りづらい。そこで竹の皮を括った棕櫚の紐の出番だ。ミヨ子たち主婦は、紐の片方の端を口に咥えてもう片方を持ち、残った手で円筒形の「あく巻き」を持って数センチ幅に器用に切り分けた。棕櫚の紐が弱いときは糸で同じように切ることもあったが、包丁を使うことはまずなかった。

 作り方でわかるように「あく巻き」自体は味がついていない。切り分けた「あく巻き」には砂糖や、砂糖入りのきな粉、黒砂糖などをまぶして食べるのだ。何をまぶすかは、好みというよりそれぞれの家庭の習慣で違っていたと思う。ミヨ子は、砂糖ときな粉を混ぜ、少し塩を効かせた。農作業のお茶請けで食べることも多いので、ある程度の塩気がほしかったのだ。

〈85〉いまなら、道の駅やローカルな鉄道駅で、地元のお母さんが手作りしたおにぎりを包んで売っている竹の皮を想像してもらえばいいだろうか。
〈86〉見た目の武骨さ、味気なさとも、保存食品というよりまさに「兵糧」という表現がぴったりだ。

《参考》かごしまの食>あくまき ほか
※写真もこちらのサイトからお借りしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?