文字を持たなかった昭和395 介護(14) 姑⑧おむつ、続き

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 最近はミヨ子が嫁として仕え最期を看取った舅と姑の介護の様子を、「介護」というタイトルで書きつつある。 昭和40~50年代のできごとである。介護という概念すらなかった当時の状況()に始まり、舅・吉太郎(祖父)のお世話()に続いて、姑・ハル(祖母)について書いている。 ぼんやりすることが増えたこと、一人であてもなく出かける(ように見えるが、本人にはちゃんと意図がある)「徘徊」の様子など。

 小用の粗相も始まり、ついにおむつを用意することになった。大人用紙おむつなど考えられもしない時代、すべて手縫いである。ミヨ子は農作業などに出る前になると、おむつをハルの下半身に当ててやり、腰ひもで結わえ付けた。

 ところが。ミヨ子が帰ってくると、「内便所」の周辺が濡れている。はっとしてハルを探せば、上がり框に腰かけ着物の前がはだけた状態でぼんやりしている。

「おばあちゃん、どうしました」
ミヨ子が声をかけた。
「お手洗いに行きたかったんだけど、腰巻がからみついてねぇ。どうやら何枚も重ねてたみたい」

 家族はおむつを当ててあげたつもりでいたが、本人には伝わっていなかったのだ。その後、その都度説明しておむつを当ててはみるものの結局自分で取ってしまう、ということが続いた。

 考えてみればおむつはもともと赤ちゃんのためのもの、大人がおむつを当てるなど、当時は考えられないことだった。お世話側の「都合」でおむつを用意したが、ハルの頭の中では、当てられているものと自分の状態との関係が結びつかなかったのだろう。あるいは、「おむつを当てる」行為自体、尊厳を傷つけていたのかもしれない。

 しかし、やがてハルの足腰はもっと弱り、自力で立ち上がるのが難しくなっていった。おむつも本当の出番を迎えつつあった。

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