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女性のWell-beingを支えたいと思った理由

職業柄、講師として人前で話す機会も少なくない私だが、小・中学時代の9年間、私は場面緘黙児(ばめん かんもくじ)だった。

休憩時間や放課後、休日は友達とは話すのだが、授業や日直など公のシーンでは、何も話せなかった。何度も理由を問われ続けたが、自分でもわからなかった。

今振り返って考えると、「公の場で話される言葉は、その人の本当の言葉ではない。思ってもいないことを言わなくてはいけないのはおかしい。言わないほうがましだ」という漠然とした想いと疑問と反抗心が、あったような気がする。

他にも変わったところのある子供だったと思うが、いじめられることもなく、過剰に配慮されることもなく、一定のルールのもと、クラスにインクルードされていた。

話をしない子と諦められていたが、話し出すチャンスを取り上げられることはなく、日常の中に小さな挑戦の機会がちりばめられていた。音読の順番が回ってきたとき、10秒位待っても読まなかったら次の人が読む、日直で話さなかったらペアの人が代わりに話す、学芸会でもセリフを話さなかった場合の代役を決めておくなどのルールがうまれ、クラスは運営され続けていた。

同時に、授業進行を妨げたり周囲への負担を課したりするようなことは最小限に抑えるためのルールがあった。数年ごとに担任は変わったが、そのルールはクラスの中で継承されていった。

5年生になったある日、思いがけない出来事が起きた。
学芸会で、準主役を与えられたのだ。
演劇のタイトルは「おしになった少女」。言葉を話さなくなった娘の話だった。同級生に推薦され、ほぼ全員一致で決まり、たくさんの拍手と笑顔で祝福された。

その年、私は、「いつものしゃべらない子」ではなく、「しゃべらない役を上手に演じた子」になった。私は私のままだったが、いつものルールを適用しなくても、舞台は成立した。

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やがて私は、転職を経て、キャリアカウンセラーという、公の場ではほとんど語られない言葉に耳を傾けながら、その人がどう生きていきたいか見つめる時間を支える仕事についた。本人も自覚していない本当の気持ちを、自分で言葉に変える時間に寄り添う。

自分らしく生きる、というと自分が自分のままで生きられる環境を「探す」ことだと思われがちだ。しかし私はその環境を自ら育んでいくものだと考えている。私の役割はその過程に、一時期寄り添うだけだ。

しかし、一時期であったとしても、自分らしさを受け止められた経験は、その先の出会いや人生の静かな支えとなり小さな変化を起こし続ける。そしていくつものささやかな物語が繋がり、重なり合いその人らしい物語が紡がれていく。

小学時代、たった一回だけ、喋らないという個性で準主役を演じた経験は、自分の気持ちや違和感に蓋をして無理をしなくても、自分らしく居られる場所や仲間はいる、自分が変わりたいと思った時が変わる時だという、自他への信頼を形成してくれた出来事だったように思う。

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「人は自分の物語を生きている」という考え方をするキャリア理論がある。
個性や能力や違和感や欠落や喪失が、物語を生み、言葉に代わることで心に綴られ、伝播し、多くの人々の物語と交錯しながら、時代の物語になるのだという。

この先の未来に向かって、私が綴っていきたい物語のキーワードは、Well-beingだ。自分らしさを尊重しあえる環境の中で生き、健康と幸せを維持でき、無理なく働き続けられる社会の実現に貢献したいと思っている。そして最も貢献していきたい領域は、女性のWell-beingだ。

現代の女性は、子育てしながら働き続ける人生も、子供を産み育てずに働く人生も、子育てに専念する人生も、居場所のなさを感じることが多い時代に生きている。

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両親と連携して私のケアに情熱を注いでくれた担任には、子どもを産めない事情があった。「子供を産み育てていない教師に親の気持ちはわからない」と陰口をささやく保護者がいた。

教師として様々な個性や能力や事情を抱えた子供を育てた経験があるからわかることもある。産み育てた経験があるからこそわかることもある。同じ経験をした人には、同じことが分かるわけではない。違う立場の大人達が関わることで、多角的に子供の育ちを見守る環境が整う。

社会人になってしばらく経った頃、場面緘黙児時代の私を優しく見守り、「あなたらしく生きていきなさい」と言ってくれた担任が、若くして乳がんでなくなったと風の噂で聞いた。教師の多忙さや、婦人科検診率の低さは社会課題の一つでもある。

働き続ける女性は増えたが、職場は男性中心で構成されてきた名残で、女性の健康への知識や配慮はまだ少ない。男性型の働き方ができなかったり、女性特有の健康課題を抱えていると、働きにくいことが多い。
月経前後、妊娠・出産・育児期、更年期、女性の身体には心身に変調が生じる。病気とは違うが、不調を伴う症状に悩む女性は多い。そして不調を我慢し続け、健康を犠牲にする女性は少なくない。

女性の心身や働き方は、ライフステージによって大きく変動する。これまではその変化によって働き方が制約されてきた。しかし、今は性別を含め様々な属性を問わず、全ての人々が個性と能力を発揮でき、違いを活かしあえる社会へと変化し始めている。

その人らしさを受け止め、尊重し合いながら暮らす社会へと。

そんな社会の実現を推進しようとしている仲間や組織と出会いのおかげで、過去の経験とこの先の未来をつなぐ自分の物語が鮮明になっていった。
それが女性のWell-beingだった。

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理想的な働き方や仲間との出会いは、努力すれば手に入るとは限らず、偶然引き寄せられることもある。それらが交錯しあいながら人生を彩る。自分の意志でコントロールしきれるものではない。特に女性は、家族の事情に左右されやすい。

しかしながら、周囲や環境に翻弄されたり、自分を大切にできない時期を経たからこそ、何を大切にしたいのか見えてくることがある。今は苦しくても、その経験の先に、自分を大切にできる人や場所に出会える日が訪れると信じて、今できることを重ねられる力を育んでいけばいい。
縁あって出会ってきた人達の人生に伴奏しながら、その人が自分らしい人生を歩むきっかけを得られたらと願いながら、この仕事を続けてきた。

これからは女性個人だけではなく、女性を取り囲む社会のWell-beingを育みながら、多様な人が無理なく働き続けられる社会の実現に貢献していきたい。

人は一人だけで幸せになることはできない。それぞれに幸せを願うからこそ、もつれることがある様々な物語を丁寧に解きほぐしながら、社会がWell-beingに向かう物語を綴っていけたらと思う。

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