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映画「スティーブ・ジョブズ」を観て思い出したこと
パソコンベンチャーに転職したぼくは芸能事務所に入り間違えたのかとホッペをつぬっていた。
20年前の1996年。Windows95発売の翌年だ。
社長はほとんど毎日メディアに囲まれて取材を受けていた。
旧東海道にほど近い北品川の狭い事務所はカメラの照明とフラッシュで昼間から安い風俗店のようだった。
メーカー直販の時代だとメディアは褒めそやした。これからはファブレスの時代だと騒
電機業界のメメントモリ その6
「このロット、引き取ってもらえないと、次回からの物量確保は相当難しくなると思うなあ。それでもいいっすか?!」
世界最大のCPUメーカー、A社(一応A社としておこう)の営業マンはぼくに迫った。
96年、10年身を置いた家電業界からPC業界に身を転じた。
似て非なる業界だった。
最も驚いたのは、このA社とマイクロソフトが圧倒的なパワーを持つ、その業界構造だった。
一部品供給業者が、自らの顧
電機業界のメメントモリ その5
「ところで、ワタシ、日本人やねんけど、あの日本製のビデオデッキ言うたら、いったいなんやのん。タイマー予約録画?1-YEAR 21-EVENT?アホちゃうのん!1年先のテレビ番組の予定なんか、どこの誰がわかってるっちゅうねん!」
こんな日本人自虐ネタを大阪弁訛りの英語でまくし立て、90年前後に米国で人気を博したTAMAYOと言う日本人(大阪人?)の女性コメディアンがいた。
超円高も乗り越え、バ
電機業界のメメントモリ 4
「A社のスギ・リョータローですウ。」
いつもそう言って電話してくる、某メーカーの商品企画のYさんがいた。少々面倒だな人だとは思いつつ、楽しくお付き合いさせて頂いた。勿論、杉良太郎さんに似ているとは一度も思ったことはない。
90年代初頭のことだ。その人からある日、いつもと違う、少しうわずった声で電話があった。
「宮田さん、今度こそはねえ、ゴッツイ商品でけましてん。まあ、騙された思ていっぺん来
電機業界のメメントモリ その3
(あらすじ - プラザ合意翌年の円高旋風吹き荒ぶ86年。米国の家電量販店のバイヤーの仕事についたぼくが見たのは、痛ましくも果敢に円高を乗り越えていったメーカーの姿だった。そんな業界を包み込む、もうひとつの大きな変化があった。)
スピーカーから、いつもの試聴用のオリビア・ニュートンジョン'PHYSICAL'が流れる。しばらくぼくはじっと耳を凝らし、やがて冷や汗が頬をつたうのを感じていた。
電機業界のメメントモリ その2
(あらすじ 1985年のプラザ合意を受け、円は急伸。歴史的な円高がどこまで進むのか、固唾を飲んで見守る輸出産業、電機業界。そんな状況もよくわからないまま、米国の家電量販店のバイヤーの仕事に就いた新入社員のぼく。最初に命ぜられた仕事は、'国内メーカーの値上げ要請を抑え込め!'、だった。)
「価格値上げは受け入れられません。値上げして、売れなくなってもいいんですか?」
メーカーの営業担当者に
電機業界のメメントモリ その1
85年9月のプラザ合意を受け、1ドル240円だった為替レートは、翌年春には170円前後になり、なおも円高は急激に進んでいた。輸出産業の関係者は固唾を呑み、一体どこまで円高が進むのか見守っていた。
そんな86年春、風雲急を告げる電機業界の、その殺気だった空気などは露知らず、社会人1年生に胸踊らせ、そこに飛び込んだお目出度い若者がいた。
ぼくのことだ。メーカーではない。米国の家電チェーン店のプラ