電機業界のメメントモリ その5

 「ところで、ワタシ、日本人やねんけど、あの日本製のビデオデッキ言うたら、いったいなんやのん。タイマー予約録画?1-YEAR 21-EVENT?アホちゃうのん!1年先のテレビ番組の予定なんか、どこの誰がわかってるっちゅうねん!」
 こんな日本人自虐ネタを大阪弁訛りの英語でまくし立て、90年前後に米国で人気を博したTAMAYOと言う日本人(大阪人?)の女性コメディアンがいた。
 超円高も乗り越え、バブル経済ばく進中の日本。ロックフェラービルやら、コロンビアピクチャーズやらを買い漁る最中だ。TAMAYOのギャグは、米国人にとっての一服の清涼剤だったのだろうか?
 話をビデオデッキの話題に戻そう。
 テレビ番組のタイマー予約録画は、日本では誰もが待ち焦がれていた、夢のような機能だった。予約録画による「タイムシフト」と言う概念は、日本人のライフスタイルにさえも、大きな影響を与えた。電機業界がもたらした、誇るべきイノベーションの代表格だろう。
 予約録画は、メーカー間でその高機能化が競われた。当初はせいぜい3日先までしかできなかったものが、数週間になり、数ヶ月になり、さほど時間をかけず、1年先までできるようになった。
 ところが「タイムシフト」と言うこの概念、都会に住む一部の多忙なビジネスパーソンを除き、多くの米国人にとっては、日本においてほど、魅力的なものにはならなかった。
 米国では、早い時期から、レンタルビデオもセルビデオも、豊富かつ安価に供給され、それが最大のキラーアプリケーションになっていた。再生中心の使い方だったのだ。
 TAMAYOが予約録画を笑い飛ばすのには、もうひとつの訳がある。
 そもそも、米国人家庭のリビングに行けば、ビデオデッキの時計がリセットされた状態で、パカパカと点滅しているのが、むしろ見慣れた風景だったのだ。
 米国に少し暮らしてみるとすぐに気づくことだが、かの国では瞬時停電が頻繁する。これはむしろ、世界でひときわ高い電気料金を払わされる、日本の事情が特殊なようだ。
 当時の日本製のビデオデッキは、どのメーカーの製品を取っても、時計のメモリ保持機能がなかった。つまり、瞬時停電で時計がリセットされる。いくら設定しても、すぐにリセットされれば、もういいや、と言うことになるのが人情と言うものだ。製品の仕様が国内市場環境を踏まえて設計されていた結果だった。
 一計を案じたRadioShackのVPがいた。時計の設定保持機能を差別化仕様にしてしまおうと言い出したのだ。
 半信半疑で各メーカーに声がえをすると、簡単に実現できると口々に言う。コストインパクトもささやかなものだった。なぜ各社共に、それまでおざなりにしてきたのか不思議な思いでいっぱいだった。
 最初に製品化してくれたのは、国内生産を最後まで堅持した四国の某メーカー(グループ再編で今はもうない)だった。この機能の命名は「MEMORY SENTINEL」(メモリの見張り番)。フロントパネルにその文字が刻まれた。
 地味な機能であり、それが大きな拡販に繋がることはなかった。
 それでも、こんな出来事があった。
 RadioShackの店舗で販売員を体験した時。毎日店を訪れては、製品を触り、一言二言雑談をして帰って行く、風変わりなテキサス人の老爺がいた。
 ある日、MEMORY SENTINELの機能とその背景を下手くそな英語で説明し、'This product is built for America!'と言ってみた。すると、その老爺が、見たことのない満面の笑みを浮かべてくれた。あの笑みは、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
 ビデオデッキは、その後のDVD機器やHDDレコーダーに比べ、比較的長期にわたって業界全体に収益をもたらした。しかし、ぼくたちは、「顧客のこと」を心底本気で考えたことが果たしてあったのだろうか?
 そして、その間、このビデオデッキにおいて、ハードウェアよりもコンテンツへと、顧客価値 = 収益源の中心がより本質的なシフトを遂げていった。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?