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自信がない友人に「あなたは特別なおにぎりだよ」と伝えてあげたい話

週末に仲の良い友人と会って、ぐだぐだ喋っているとふとこんな相談をされました。

あるYoutuberの動画で
何かやるなら自分のことを「特別だ」って言ってくれる友達とやった方がいいって言ってたの

それで考えたんだけど、わたしいま自分の特別なところがわからなくなっちゃってるんだよね

この相談に、わたしは内心非常に驚きました。

その友達は
・女優さんに似ている、と言われるぐらい美人
・Facebookの友達が1000人以上
・有名大卒、総合職でバリバリ働いてる
・道端で突然歌い出す
・すぐ人を笑わせようとして変なことをする
・その子が来ると場の雰囲気がパッと明るくなる

と、見た目や経歴はもちろん内面も、
わたしから見ればスペシャルなところしかない人なんです。

彼女で特別じゃないなら、薄顔で幸薄で友人も少ないわたしはどうなってしまうんだ…
と卑屈な気持ちもちょっぴり顔を覗かせましたが、ぎゅっと奥に押し戻しておきました。

ともかく自己肯定感が下がりまくっている友人に「そんなことないよ」と、必死にわたしが思う彼女の特別なところを伝えてその話題は終わりになりましたが、なんとなく彼女はまだスッキリしていない気が…。


彼女と別れた後、数年ぶりに思い出したのが、昔読んだ「フルーツバスケット」という漫画に出てきたこのセリフです。

例えば、人の素敵というものがおにぎりに梅干のようなものだとしたら、その梅干は背中についているのかもしれません。

世界中誰の背中にもいろいろな形、いろいろな色や味の梅干がついていて、でも、背中についているせいで、せっかくの梅干が見えないのかもしれません。

自分には何もないよう、真っ白なお米だけだようって、そんな事ないのに、背中にはちゃんと梅干がついているのに。誰かを羨ましいと思うのは、他人の背中の梅干なら見えるからなのかもしれませんね。
(引用: フルーツバスケット2巻)

わたしから見て、彼女はコンビニで300円ぐらいする大きな鮭いくらおにぎりぐらい魅力的です。

でも、彼女自身が自分のことを具なしおにぎりだと思っているというのは、本当に本当に、大きすぎる勘違いなのです。

大切な人が「自分は具なしおにぎりだ…」と悲しい顔をしているのは悲しいことです。

人と接する時、積極的にその人の良いところを伝えてあげなくてはいけないな、と痛感しました。

と同時に、「自分はなんのおにぎりかなあ(ニヤニヤ)」と考えていると、もはや自己肯定感なんてどうでも良くなってる気がしました。
私だけですか?


今度彼女に会ったら、「あなたは鮭いくらおにぎりだよ!」と伝えてみようかなあ





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