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< 心の深呼吸 #1> あなたの素晴らしさは、あなたにしかわからないという真理

みなさん、こんにちは。
そして読んでくださってありがとうございます。



心の深呼吸。
今から20年ほど前、授業中の息抜きタイムを先生がこう呼んでいた。

当時わたしは主婦であり、会社員であり、専門学校の学生で、
通勤・通学は常に小走り、
時間に追われ体力的にも限界だったのだけれど、
それより、
一発で国家試験に合格しなければならないというプレッシャーで、
精神的に追いつめられた生活をしていた。

そのときの専門学校の先生が、(確か監査論の先生だったか)
「さぁ、ちょっと心の深呼吸ね」
そう言って、毎回授業の途中にお喋りをはさむのだった。

本当にどうでもいい日常の出来事、
感心したりちょっと笑えるエピソードをほんの5分くらい喋る、それだけ。

でもそのときの、なんだか本当に心が息を吸えるような感覚は、
20年近くたった今でもわりと鮮明によみがえってくる。

おおらかそうな風貌もさることながら、
1日の仕事を終えてから来ている我々を慰するような、
励ますような慈愛のエネルギーが言葉の端々から伝わってきて、
その5分を心待ちに、切迫した一週間を生きていた時期があった。

その後、人生の中で余裕がなくなったときはいつも、
「心の深呼吸」という言葉と、
あのときの、あの先生のくれた温かいエネルギーが思い出されて、
自分を追い詰めることを見直せたような気がする。


数年前にこのnoteを知ったとき、
ここでなら、
文章でなら、
直接その人に喋るよりエネルギーを込めやすいような、
送りやすいような、そんな気がした。

どんな人にも励ましや応援は意味があるだろう。
かつてのわたしがそうだったように、
目の前のことに迫られて心が息を吸えていない、
自分のポテンシャルが低く感じられて落ち込んでしまう、
そんなとき気持ちを切り替えるためのツールは必要だ。


世の中は循環している。
そして相互に作用する。

誰かの経験やことば、
姿勢や行動は、
果てしなく広く影響する。

とりわけ「風の時代」に変わったらしきいま、
以前よりもそれがはっきりと感じられる。

とすると、
わたしの考えや経験を発信することは必ずどこかに作用するし、
慈愛のエネルギーと祈りを込めた発信であれば、
その表現の仕方がたとえ高尚でない無駄話だったとしても、
きっと誰かに、
心の深呼吸をしてもらえる気がする。

だからこれから、
誰かに向けたエールのつもりで書く記事は、
<心の深呼吸>シリーズにしようと思う。

その昔、
どうでもいい5分のお喋りでわたしを救ってくれた、
あの専門学校の先生に対する敬意も込めて。


いずれにせよ、影響を与えることとコントロールは違うので、
自分が意図した影響を、
与えたい対象に与えることは難しい。

たとえばわたしの場合、
人にマウントをとられている人、
誰かの虚栄心を満たす対象にされている人を見ると、

応援してるよ、
元気だしてね、
いつもそう思う。

だけど元気づけたい人に、
元気になりますようにのエネルギーを込めて、
こういう直接的なことばを伝えても、
その気持ちの100%が相手に影響するなんてことはあまりない。

逆に全然知らない人の、
自分にまったく関係のない姿勢やひたむきさが、
ものすごい力で自分を励ましてくれることがあったりする。

そもそもこうして生きていれば、
誰でもつらく、悲しく、心が暗くなるときはあるので、
その都度人に励ましてもらうより、
自分で自分を元気にできるのが一番だ。


そういう観点から、
元気だして、
の代わりに言うとするなら、

あなたの素晴らしさは、あなたにしかわからないということ。

人が言う「あなたは素晴らしい」も
人が言う「あなたはダメだね」も
その人にとってあなたがどうか、という価値判断であって、
あなた自身の本質的な価値を保証しないということ。

好きな人や尊敬する人に、自分の価値を認めてもらえないことは悲しい。
悲しいけどその悲しさは、自分に価値がない悲しさとは違う。

あなたの内面にある優しさ、実直さ、善意、
他者への愛情や感謝などの素晴らしい資質は、
厳密に、あなた自身が見つけ感じるものだ。
他人はそれを正しく測定できない。

そして自分の素晴らしさが理解できたなら、
家族が、友達が、上司が、同僚が、先生が、ママ友が、
誰が自分を批判し、見下し、誤解しようとも、
それとは独立して自分を評価する自分が確立する。

今までは数に入れていなかった、
「自分」という他者が、
もう一人の客観的な自分が、
ちゃんと自分の味方になり、傷ついた心を慰めてくれる。

このもう一人の客観的な自分こそ、
自分を完全に理解し、
力強く応援し、
人生の最後の瞬間まで寄り添ってくれる、
誰よりも必要な存在だと思う。


自分らしい生き方、後悔しない生き方は、
わたしを含む、きっとみんなの最終的な願いだ。

自分の個性を遺憾なく表現しながら生きる充実感は、
ただお金や地位を得る満足とは比べものにならないに違いない。


あなたが
あなたの素晴らしい個性の、
一番の理解者になりますように。

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