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おたまじゃくしの勇気。

今、なぎこの目の前に元気なしっぽをさかんに動かしている生き物がいる。おたまじゃくしだ。音符がおどっているみたいで、見ていて楽しい。おたまじゃくしたちも、自分のカラダの半分ほどの長さもあるりっぱなしっぽを、大きくふったり小さくゆらしたりするのが、きっと楽しいだろう。なぎこは想像してみる。もし自分のおしりに足と同じか、それ以上に長いしっぽが生えたらどうだろうかと。

学校で自分のイスにすわっている時、おしりのわれ目の一番はしっこ辺りにぐっと力を入れてみる。きっとそのあたりが、しっぽの始まる部分になるだろうから。けっこう力が必要だ。出したくなったうんこをこらえるのとは少しちがう部分に力を入れなくちゃいけない。短い時間でもけっこうつかれる。しっぽが生えていると想像するだけで、気持ちがぜんぶ、しっぽに集中してしまう。まるで全身がしっぽになってしまったみたいに。

「おたまじゃくしって、あんがいと大変かもしれない」
と、なぎこは思った。見ているだけなら気持ち良さそうだけれど、ほんとのところ、おたまじゃくしが何を考えながら、水田の浅い水の中をニロニロ、ニロニロとおよいでいるのかなんて分からないのだ。

家から十分ほどはなれたところの水田に、おたまじゃくしを見に行くようになったのは一週間ほど前からだ。その、もうちょっと前に雨がたくさん降って、それから農家のおじさんたちが機械をうごかして田植えをしているのを、なぎこは自分ちの二階の子ども部屋のまどからみていた。水がはられた田んぼには、真上に広がる青い空がすっぽりとうつりこんでいた。光が反射してキラキラまぶしかった。

「ちかづいて、見てみよう」
すぐそばで水田を見たら、空がどんなふうに目にうつるのか、なぎこは確かめたくなった。次の日の学校帰り、友だちとさよならしたあと、通学路からはずれた細いあぜ道のほうへと進んでいった。つんつん生えている雑草をふみしめながら歩いて行くと、周りにくらべてほんの少しだけ広くなっている部分をみつけた。ここならしゃがみこめるぞ。

なぎこはキョロキョロとあたりを見回した。だれかに見られたら、学校帰りにランドセルを背負ったまま、何をしているのかとあやしまれるかもしれないと思ったのだ。だいじょうぶ。ずいぶん遠いところを、日傘をさしながら犬のさんぽをしているおばさんが歩いているのが見えるきりだ。しゃがみこむと、低くなったなぎこの視線にうつるのは、右も左も一面の水田だ。同じ間隔でまっすぐにならんだ稲は、運動場で前にならえをしてならぶ子どもたちの列よりも、もっと正確で、美しく線を作っていた。

その場にじっとしゃがみこんでいると、水田の中をうごめくものたちが、なぎこ目がけてあつまってきた。
「やあ、こんちは」
「こんちは」
おたまじゃくしだった。口々にあいさつをする。カラダがすごく小さいせいか、かれらの声は小さくて高い。鳥のさえずりよりももっと甲高かった。

「へええ。お母さんが子どものころも、よくおたまじゃくしを見ていたよ」
なぎこの話を聞くと、お母さんは目を細めて、なつかしそうに言った。カエルになる前の二ヶ月とちょっとのあいだ、おたまじゃくしは水田で大きくなるのだとお母さんが教えてくれた。たったの二ヶ月。それを聞いて、なぎこは新学期になってもうすぐ三ヶ月になるなあと思った。三ヶ月。けっこうすぐだったなあ。おたまじゃくしは、それよりもっと短い時間でおとなになるのか。大変だろうな。そうでもないのかな。

「ねえ、こっち、みて」
一匹のおたまじゃくしが、なぎこを呼んでいる。はじめて水田に来てから一ヶ月ほどがたった夕方のことだった。
「どうしたの?」
「ほら、ボク、おなかの後ろあたりから、足が二本出てきたんだ」
みると一匹だけ、ちょこんと小さな後ろ足がついている。
「これ、動かせるんだぜ。見ててごらんよ」
後ろ足が出てきたおたまじゃくしが、じまんげに、小さな足を水中でヒョコヒョコとけってみせた。まだ足の力だけで前に進めるほどの力はない。足をうごかすと、長いしっぽも、いっしょにゆれている。

周りにあつまってきたおたまじゃくしたちも、だまってその様子をみていた。好奇心いっぱいという顔をした子もいれば、おどろいた顔をした子もいる。
「へえ、そんなものが生えてくるんだ」
「わたしにも、生えてくるかな?」
「足が生えてくるのって、いたい?」
みんな、自分たちのカラダが、いつ、どんなふうに変わっていくのか知らないようだ。

「あなたたち、カエルって知ってる?」
「カエル?」
おたまじゃくしたちはいっせいに、ニロニロ、ニロニロとしっぽをふりながら、おたがいの顔を見合わせた。
「知らない」
「聞いたことないな。なにかの食べ物?」

自分たちがおとなになったらカエルになることを、おたまじゃくしたちは知らないらしい。
なぎこは、また聞いた。
「あなたたち、おとなになったら何になるの?」
「おとなになったら?」
ニロニロ、ニロニロと、水の中でたくさんのしっぽがゆれている。だれもなにも言わない。

「ぼくたち、ここを出発するんだ」
ずいぶんたってから、一匹のおたまじゃくしが、ぽつんと言った。するとほかのおたまじゃくしも次々と言葉をつづけた。
「ここを飛び出すことは知っているけど」
「あとは、なにも知らない」
「なにも分からない」
「でも、出発するの」

こういうせりふ、どこかで聞いたことがあるような気がする、となぎ子は思った。そうだ、国語の教科書にのっていた『スイミー』のお話だ。
「あなたたち、勇気があるね」
なぎこが言うと、
「ゆうきって何?」
「何か、いいもの?」
「それとも、わるいもの?」
「もしかしたら、食べ物?」
おたまじゃくしたちは顔を見合わせて、不思議そうにしていた。

夜、宿題を終えて、明日の用意をしていたなぎこは、おたまじゃくしたちのことを思い出していた。あの子たちってなんであんなに元気なんだろう。なぎこは心配性だ。新しいことにチャレンジするのが苦手で、ずっと前からピアノを習いたいと思っているのに、まだお母さんに相談すらしていない。続けられる自信もないからだ。すぐにやめたら、きっと叱られる。

今日の小さなおたまじゃくしたちは、この先、自分たちがどうなっていくのか、分からないことにおびえている様子はぜんぜんなかった。反対に、これからなにか楽しいことが待っている、そんなワクワクする気持ちが、ひとつぶ、ひとつぶの、おたまじゃくしのカラダにぎゅっとつまっているみたいに見えた。
「勇気って手のひらにのるボール玉みたいなものかと思っていたけど、あの子たちったら、全身が勇気玉みたいだったな」

勇気って強くてかたいものってわけではないのかもしれない。もっとやわらかくて、楽しくて、はずむような気持ちも勇気なのかな。それならもしかしたら、わたしにも持てるかもしれない。そこまで考えて、なぎこはちょっとだけ心が明るくなった。

「あれ、おたまじゃくしの数が少なくなってる?」
しばらくたってからのこと。水田の水も、最近少しずつへっている。雨が少ないせいだ。稲たちは、いきおいよく、まっすぐに伸びつづけている。緑色がどんどん濃くなってきている。浅い水の中を、丸々と太ったおたまじゃくしたちが、時にはとびはねながら移動していた。みんな元気そうだ。前足の生えている子もふえて、顔つきもかわってきた。目つきがキリッとしている。子どもの顔がおとなの顔にかわっていくみたいだ。

それにしても。以前は、なぎこの足元が真っ黒になるほど、おおぜいあつまっていたおたまじゃくしたちが、その日は十匹ほどしかあつまらなかった。
「やあ、こんちは」
おたまじゃくしはあいかわらず、人なつっこくあいさつした。
「こんにちは」
なぎこも返事をかえした。
「なかまの数が少なくなってきているみたいね」

もしかしたら、なぎこが気づかないうちにカエルになって、水田から旅立っていく子たちもいるのかしら。人一倍大きなおたまじゃくしが、しっぽをふりながら答えた。
「ああ。水田にはいろんなやつがやってきて、オレたちを食っていくからね」
別の子も言った。
「きのうのやつは、すごく大きくてびっくりしたな」
「真っ白で大きなつばさをもっていたよ。足はぼうきれみたいに細いのに」
どうやらなかまが鳥に食べられたようだ。

「あなたたたち、食べられちゃうの?」
なぎこはこわくなって聞いた。
「そりゃあ、そうさ」
おたまじゃくしが、そんなの当たり前じゃないかという口ぶりで答えた。
「みんな生きてるんだ。それは食ったり食われたりするってことさ」
「ぼくたちもいろんなもの、食べてる」
「ふふふ」

なかまが食べられても、おたまじゃくしたちは元気いっぱいだ。
「なかまの分まで生きなくちゃ」
「そして、この水田を出発するのさ」
「どこに?」
「それはまだ、わからない」
みんなは歌でも歌うかのように、しゃべりつづけた。

夜、ご飯のあとで、のんびり新聞をよんでいたお父さんに、なぎこは聞いてみた。
「ねえ、お父さん。おたまじゃくしって、いろんな生き物に食べられちゃうの?」
「そうだなあ」
新聞をいったん机の上において、お父さんはしばらく考えていた。それからこう言った。
「たぶん、いろんな生き物にねらわれるだろうな」
「たとえば、どんな?」
「ヤゴでしょ、マツモムシでしょ、イモリでしょ、ヘビでしょ。それから鳥にも」

ヤゴというのはトンボの幼虫で、水の中にすんでいるらしい。鳥といっても、すずめだったり、カラスだったり、サギだったり、大きな鳥から小さな鳥までが、おたまじゃくしをエモノにすると聞いて、つくしは両手で顔をおおった。そんなにいろいろな生き物にねらわれているのか、あの子たちは。
「かわいそうに」
「そうだなあ。ちゃんと足が生えてカエルになれるやつは、ちょっとだけだろうなあ」

そうだなあとお父さんは言ったけど、おたまじゃくしのことを、それほどかわいそうだとは思ってはいないようだった。お父さんに話さなければよかったと、なぎこは後悔した。おたまじゃくしのことで、こんなに気持ちがゆれている時に、相手がおとなだからって、相手がお父さんだからって、むぼうびに話をするものではなかった。お父さんはたよりになるし、学校の宿題は、わかりやすく説明してくれる。でもおたまじゃくしの話は、いのちの問題だ。いのちの問題は、心に重たい。おたまじゃくしのいのちが、小さな形をしているとしても、それはいのちの問題で、なぎこの心にずっしりと手ごたえを感じさせる大事な問題なのだ。

学校で習う「いのち」の勉強より、水田のおたまじゃくしのいのちのことを考えるほうが、なぎこには「いのち」を重みがよく感じられる気がする。そんなふうに考えごとにふけっているなぎこを見て、もう質問は終わったのだと判断したお父さんは、また新聞を手に取り、つづきを読み始めた。なぎこは、ため息の代わりに、ゆっくり、そうっと、むねにたまった空気をはき出した。何度はき出しても、心の中の思いのすべてがスッキリとはき出せた感じはしなかった。

次の日、学校の帰りに田んぼをゆうゆうと歩いていくサギが見えた。緑色の水田の中を、スーッ、スーッと真っ白いカラダがしずかに移動していく。
「あいつめ、おたまじゃくしをねらってるな」
すぐにでも走り出して、サギをおっぱらいたいと思った。いっしゅん、走り出そうとしたなぎこは、ふと我に返った。こんな遠くからじゃあ、ちかよった時にはもう何匹か食べられたあとかもしれない。

「もう、やめとこ」
不意になぎこは思った。これ以上、おたまじゃくしを見にいくのはやめておこう。あの子たちは、みな、自分が大きくなって、水田から飛び出していくことを信じている。楽しみに待っている。毎日危険な思いをしても、その気持ちは変わらないんだ。あの子たちは強い。

なぎこは、水田を歩いてまわるサギの足元を、見つからないように身をかわしながら、おたまじゃくしたちがニロニロ、ニロニロとおよぎ、かくれている姿を思いうかべて、心の中で念じた。
(がんばれ、負けるな)

ずっとおたまじゃくしたちのそばにいて、天敵にやられないように見守ってやりたいと、昨日の晩は布団の中で考えていた。そんなこと、できるわけがないのに。自分が人間の子どもで、おたまじゃくしよりも何百倍も大きなカラダをしているからといって、神様みたいなことはできない。自分にしてやれることは、あの子たちが元気なカエルになって、田んぼの周りをピョンピョンととびまわっている姿を想像すること。それを信じることだ。

(帰ったら、お母さんにピアノを習いたいって言ってみよう)
なぎこは思った。自分も何か新しいことにチャレンジしてみよう。お母さんが習わせてくれるか分からないけど。続けられるかどうかも分からないけど。でも、自分の指でピアノを弾いてみたい。なぎこは、両方の手の指を、空中で一本一本、動かしてみた。
(ふふふ。これって、おたまじゃくしのしっぽの動きと、ちょっとだけ似てるかも)

なぎこは、背中をゆらしてランドセルの位置を整えてから、家に向かって走り出した。





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