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小さな使命。

< 1 >
ある秋の日の子ども部屋。つくえの引き出しを、上から順番にあけていき、ようやく一番下の引き出しのおくに、探していた便せんを見つけた。ああ。奈央の口からため息がこぼれた。まだ使ってもいないのに、すでに角の部分がおれてしまっている。ちょっと悲しい。でも自分せいだ。どうしてこんな、分かりにくい場所にしまっちゃったんだんだろう。

片づけのにがてな奈央には、手当たり次第にモノをしまうくせがある。目の前から消えてしまえば、それで片づけたつもりになるのだ。ものの扱いがざつなところは、母親ゆずりだった。

いけない、いけない。こんなんじゃ。すごく気に入って買ったはずの便せんなのに、手紙を書く相手が見つからないまま、買ったことすら忘れていた。仲良しのさっちゃんが、転校することになり、ずいぶん泣いた後、やっと気を取り直して、手紙でも書こうと思い立ったところなのだ。

(何を書いたらいいかな)
考えてみると、奈央は、手紙なんてほとんど書いたことがない。年賀状の小さなハガキをうめるのだって、うんうん苦しんで、すごく時間をかけて、ようやく十枚ほどをしあげる。便せんを二枚うめるって、けっこう大変なんじゃないの?自問自答しながら、奈央は背筋をのばして、深呼吸した。よい姿勢でつくえに向かえば、何か書くことがみつかるかも。そんな気分だった。

いすをスライドさせて、つくえの奥まで足を押しこんだ時、ぐにゅっとひざ頭に弾力のある何かが当たった。あわてていすを引っぱり出し、つくえの下をのぞいてみた。
「きのこだ」

つくえのうら側に、きのこが生えていた。クラゲのようなカサをかぶった、大きなきのこがひとつと、そのまわりに少し小さめのきのこが四つか五つ、寄り添うように生えている。イチゴ色をしたカサの表面の、白くて丸い斑点が、かざりのようでかわいい。柄の部分はクリーム色で、しいたけやえのきなどとは、種類がちがうようだ。

(さわってみても大丈夫かな?)
そう思いつつも、奈央はすでにカサのうら側のひだに、指をのばしていた。やわらかい。それに温かい。奈央がさわると、きのこはくすぐったそうにカサをゆらした。大きなきのこが、くねくねとカラダを左右にゆらすと、小さなきのこたちも、同じようにくねくねとゆれた。まるでおどっているみたいだ。

ずっとふれていると、奈央には段々、きのこに感情があるような気がしてきた。生き物ではあっても、きのこは動物ではない。でもきのこは、奈央の指に反応してうごいている。声もあげないし、顔もないから表情も分からない。それでも奈央には、きのこがさわられて、喜んでいるように見えた。さっきまで手紙を書こうとしていた奈央の気持ちは、今や全力で、きのこに向けられていた。気が変わりやすいのも、母親ゆずりだった。

(このことは、お母さんにも悟にも、ないしょにしておこう)
奈央のお母さんは、奈央に負けずおとらず、好奇心がおうせいだ。このことを知ったら、大さわぎして写真もとって、いろんな人に話してしまうにちがいない。奈央は、きのこのことを、自分だけのひみつにしておきたかった。

小学五年生の奈央の頭のなかに、疑問が次々にわいてきた。
(このきのこ、何ていう名前なんだろう。きっと特別なきのこだ。しいたけとか、えのきとは、色も全然ちがうもの。もし毒きのこだったらどうしよう。こんなにかわいいのに、毒入りってことある?ない、ない、多分ない。)

奈央は、自分できのこの正体をつきつめることにした。毒きのこではないことが分かったら、きのこたちをこっそりと、部屋で育ててふやしていこう。そう考えるとワクワクして、おどり出したいくらいの気持ちになった。

「きのこちゃん、わたしが、ちゃんと育ててあげるからね」
つくえの下をのぞきこんで、奈央はきのこたちに声をかけた。

< 2 >
つぎの日の夕ご飯の時間。お母さんによばれて、一階におりていくと、台所ではすでに、ご飯のじゅんびがととのっていた。今夜は、久しぶりのなべ料理だ。お母さんがどなべのふたをあけると、もわっと白いゆげが立ち上がった。
「うわあ」
姉弟そろって、はずんだ声をあげた。

「今夜は、豆乳なべなのよ」
お母さんが、三人分の取り皿と白いごはんを、おぼんにのせて、はこんできた。
「豆乳は、お肌にいいらしいの」
鍋の具材は、とり肉、ハルサメ、肉団子、それから豆腐にはくさい、長ネギ、きのこ。きのこはしいたけとしめじ、えのきとそろえてある。

「きのこがいっぱいだね」
弟の悟がいうと、
「きのこは低カロリーだから、お腹いっぱい食べても大丈夫なの」
とお母さんが言った。

「まるで、自分に言いきかせているみたいよ、お母さん」
奈央がいうと、お母さんはわらいながら、
「あはは、バレたか。母さん、最近ちょっとふっくらしちゃって。きのこいっぱい食べて、もとの体型にもどるわ」
とこたえた。今回はかなり本気らしい。

ぐつぐつとおなべの中でゆでられたきのこは、つやがあって美味しそうだ。かむとコリコリした弾力があって、食べごたえがある。こんにゃくとも、少しちがう食感だ。味はあるような、ないような。なべの汁がしみていて、そっちの方が味は強く感じるけど、きのこ独特の、木とか森のせんいのような、かすかな匂いがこもっている気がする。奈央は、ふだんの倍以上の時間をかけて、口の中のきのこをかんでいた。

(食べてると、きのこが自分のカラダと一体になっていく感じがする)
今夜はやけに、きのこが美味しい。部屋にいるきのこたちの影響なのだろうか。きのこ本体は、のどをつるんと通りぬけたあと、お腹の中で他の食材といっしょに、胃の中でこねられているだろう。ただ、鼻からすいこんだ匂いのほうは、たちまちのうちにカラダ中にひろがっていく気がする。心が落ち着く。ホッとする。ああ、幸せだ。食べているのが幸せっていうよりも、今ここにこうしていることが幸せ。

奈央は考えた。これまで、こんなにゆっくりと、きのこの匂いまで味わったことはなかったけど、本当はきのこって、食べるといつもこんな感覚があったのかもしれない。いつも、すぐに飲みこんじゃうから、気づかなかっただけかもしれない。奈央の頭に、子ども部屋のきのこのことが思い浮かんだ。

(もし、あの子たちを食べたら、一体どんな感じがするだろう)
奈央は、いそいで首をふった。
(いけない、いけない。私はあの子たちを大きく育てて、ふやしていくつもりなのに。食べちゃいたいなんて)

「ねえちゃん、めずらしいね。いつもは肉ばっかり食べるのに、今日はきのこばっかり。残りの肉も、ボクが食べちゃうぞ」
肉団子をほおばりながら、悟がニヤニヤして言った。

「あら、ダメよ。バランスよく食べないと。育ちざかりの子どもは、肉もしっかり食べなきゃ」
お母さんが長いさいばしで、とり肉をつまむと、奈央のお皿にほうりこんだ。

< 3 >
きのこ発見から五日目の夜おそく。奈央がスヤスヤと寝息を立てている頃、きのこたちは、夜の会議を始めていた。子ども部屋のきのこたちは、めきめきと成長を続けている。カサの色はますます濃くなり、イチゴ色というよりは紅色に変わっている。大きなきのこは、カサがうんと広がった。まわりのきのこたちも、柄をぐんぐんのばし、今にも大きなきのこに追いつかんばかりだ。ひとつのきのこが伸びると、他のきのこも負けじとやる気を出すのだ。

「君たち。いいかげんに、競争はやめたまえ」
大きなきのこが、みんなに声をかけた。
「われわれは、互いにだれが一番かを競い合うために、ここに生えてきたわけじゃないんだぞ」
すると、別のきのこが言い返した。
「何をいうんだ。そういうおまえこそ、オレたちが眠ってるあいだに、とっとと頭を出して、真っ先に大きくなったじゃないか。おまえが養分をたくさんすい取ったせいで、オレたちは、ここまで成長するのに、ずいぶん時間がかかったんだぞ」

となりのきのこも口をはさんだ。
「そうだ、そうだ。オレたちだって、生まれてきたからには大きくて、りっぱなきのこになりたいんだ」
一番小さいきのこが、小声でささやいた。
「みんな、おちつこうよ。ボクたちの任務は、みんなで協力してこそ遂行できるって、王様に言われたことを忘れちゃいけないよ」

「王様」ときいて、他のきのこたちは、頭をうなだれた。きのこたちは、根は真面目で善良な種族なのだ。本来、競争やケンカをこのむ種族ではないのだ。

「そうだ、君のいう通りだ。われわれは、緑ゆたかな森からやってきた、ほこりたかき、紅キノコ族なのだ。力を合わせて、命ぜられた務めを果たそうじゃないか」
大きなきのこが言うと、他のきのこたちもそれぞれにうなづいた。

「食物連鎖という循環の中に自らの身をおき、地球の養分を生き物たちに分け与えること、それがわれら、きのこ族の務め」
「りっぱに成長し、生き物たちのお腹におさまること。とくに、心のはたらきが弱りつつある、人間のカラダに吸収され、内側からやわらかくときほぐすこと。それが、紅キノコ族に与えられた特別なミッションだ」
「そうだ、そうだ」
きのこたちは、小さなカラダにわき上がるエネルギーを感じ、ぷるぷるとふるえた。

「オレたちのカラダに満ちている、地球のかけらを、人間に分け与えよう」
ここ数十年、人間が森に足をはこぶことが、めっきり少なくなっていることをきのこの王様も憂えていた。そこで王様は、紅キノコたちを直接、人の住む都会につかわしたのだった。

「それにしても…」
中くらいのきのこが、口をひらいた。
「この家の女の子は、なかなか勘が鋭いぞ」
「できれば、大きく成長したわれわれを、さっさと母親のもとに差し出してほしいんだが」
「そう上手くはいきそうにないぞ。あの子はオレたちを育てるつもりらしい」
「弱ったな、それじゃあ、まるでペットと同じじゃないか」

またしても、けんあくな空気がただよった。
「おい、大きいおまえ。おまえがあの子にさわられた時、くすぐったがって笑ったから、こんなことになってしまったじゃないか」
「いやはや、申し訳ない。しかしあんな風にさわられては、笑わずにはいられないだろう」
「それはそうかもしれない」
沈黙がたちこめた。重たい沈黙だった。

「まさか、きのこがくすぐりに弱いことを人間が知っているなんて、考えてもみなかったな。オレたちの弱点を、まんまと見ぬかれたってことか」
「あの子は、そうとは知らずに、やったんだろう」
「そういうところが、あの子の勘が鋭いところさ」
「子どもの観察力には、これからも注意が必要だな」

「なんとかしないとな」
「ああ、なんとかしないと」
「王様のなげき悲しむすがたは、みたくないよ」

ずっとだまっていた、一番小さいきのこがいった。
「あと二日もすれば、ボクもかなり大きくなれる。そしたら母親をこの部屋によびよせたら、どうかな」
「それはいい考えだ。母親にさっさと見つけてもらって、うまい食材になろうじゃないか」

きのこたちは俄然、活気づいた。ところが別のきのこが、不安げに意見をのべた。
「でも部屋に入ってくるだけで、母親はオレたちを見つけられるだろうか?」

それを聞いて、つくえのうら側に生えてしまったことを、きのこたちは後悔した。つくえの下をのぞきこまない限り、見つけてもらえないからだ。
「いや、だいじょうぶ」
一番大きなきのこが、確信をもって言った。
「母親という種族は、食欲のかたまりのようなものだ。美味しい物にかけては、犬より鼻が利くときいている」

その日の会議で、きのこたちは次の日曜日に、カサから大量の胞子を放出し、芳しい香りを部屋に充満することにした。

< 4 >
きのこ発見から八日目の朝。
「行ってきます」
日曜日は、朝からいい天気にめぐまれた。家のまどから見える、遠くの山々が、黄色と赤に色づいている。

「山の中は、ここよりもうんとキレイよ。いいわねえ、母さんも一緒に行きたいくらい」
そう言って、お母さんが手わたしてくれた弁当と水筒を、奈央はリュックの中につめこんだ。今日は、公民館主催のきのこ採集の会に参加する予定だ。近所のおじさんが、さそってくれたのだ。

(ラッキー。いろんなきのこを見られるし、もしかしたら他のめずらしいきのこも採ってこられるかも)

子ども部屋のきのこのことは、まだ誰にも話していない。きのこの生態について、もっといろんなことを知らなくちゃ。そしたら、魔法のきのこをもっと大きく育てられるにちがいない。部屋に生えたきのこを、奈央はかってに「魔法のきのこ」だと決めつけていた。なんでも早々に決めつける、それも母親ゆずりなのだ。

子ども部屋を出る前、奈央はつくえの前にしゃがみこみ、指の先で、きのこにふれた。ずいぶん大きくなっている。きのこたちは多分、この場所が気に入ったのだ。そう思うと、奈央はうれしくかった。
「きのこちゃん、待っててね。山に行ってくるからね」
奈央にさわられて、きのこたちは、大きくなったカサを、ぷるぷるとふるわせた。

午前九時。ぼうしをかぶった奈央は、元気に家を出発した。奈央のうしろ姿を見おくったお母さんは、ホッとため息をついた。日曜日に早おきして弁当をつくったせいで、ねむけがのこっている。
「ま、いいか。せっかくのいい天気だし、みんなの布団でもほしましょう」
そういって、トントントンと二階の子ども部屋に向かって、かいだんを上がっていった。

ガチャン。
「あら、なあにこの匂い」
奈央の部屋のとびらをあけると、かいだことのない不思議な匂いが、室内にただよっていた。匂いの元はどこかしらと部屋中をさがしても、とくに変わったものは見つからない。
「おかしいわねえ」

もしこれが奈央だったら、この時点であきらめて、窓をあけ、空気を入れかえ、匂いのことなど忘れてしまったにちがいない。しかし、きのこたちが予想した通り、お母さんはあきらめなかった。四つん這いになり、もう一度、室内を点検し始めたのだ。ゴミ箱のうしろまで、念入りにチェックした後、お母さんは、とうとう、いすをひっぱり出した。そこには、見たこともない、きれいな色のきのこが大きく育っていた。

「あらまあ、こんなのところに。匂いの元はこの子たちだったのね」
きのこたちは、みつかった喜びに、全身をぷるぷるとふるわせた。





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