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薔薇の王子。(1)

よく晴れた二月の朝です。雪がまだ溶けのこっている大通りを人々が歩いています。大人たちはマフラーを首に巻き、背中を丸めた格好で、足早に職場へと向かっています。黄色い帽子をかぶった子どもたちは、友だち同士ふざけっこしながら、学校までの道のりを元気に進んでいきます。

大通りから少し奥まったところに小さな庭がありました。乃咲さんの庭です。そこではバラの王子がぐっすりと眠っていました。子どもたちのにぎやかな声など、まるで聞こえていないようです。王子は昨年の暮れからこんな風に眠り続けていました。でも、眠っているのは王子だけではありません。庭の多くの植物たちは、寒い季節、枯れたような姿で冬眠しながら、春がくるのを待っているのです。

朝のあわただしい時間がすぎた頃、庭に面したうら口のとびらが勢いよく開いて、背の高い男が現れました。乃咲さんです。
「おお、今朝もまた、風が刺すように冷たいなあ」

両手をこすり合わせながら、男は庭のすみにある物置小屋に入っていくと、ガチャガチャと大きな音を立てて、何かを探しはじめました。
「あった、あった。これでやればいいんだな」

小屋から出てきた男の手には、大きなハサミが握られていました。刃先がとがっています。男はそれを手にしたまま王子の元へと近づいていきます。
「さあ、とっとと済ませてしまおう。ばあさんに言われた通りにやればいい」

男はブツブツと独り言をいったかと思うと、ハサミでパチン、パチンと力いっぱいバラの枝を切り始めました。
「いたい。何をするのだ!」
突然枝を切られた王子は、あまりの痛みに目覚め、悲鳴をあげました。
「お前、ぼくが誰だか、わかっているのか!ぼくは王子だ、バラの王子なんだぞ!」

王子は勇ましく叫び声をあげて抗議しました。が、男はまったく動じる気配がありません。枝という枝、葉という葉を乱暴にもぎとられ、王子は太い茎にほんの少し枝が残っているだけという格好になってしまいました。

「おっと、危ない。気をつけないと、こいつの棘がささっちゃ大変だ」
男は切り取った枝葉をかき集め、ゴミ袋に詰めました。それからパンパンと手をはたくと満足そうに言いました。
「これで良かろう。あとは暖かくなるのを待つばかり。おお、寒い寒い」
首をブルッとひと振りすると、男は大股で家の中へと去っていきました。

「この恨み、決して忘れまいぞ。おぼえておくがよい」
王子は目に涙をうかべながら、男の後ろ姿をキッとにらみつけました。残念なことに、王子の声は男の耳には届きませんでした。なぜなら、乃咲さんはもう80に近いおじいさんで、おまけに耳がずいぶん遠かったのです。

  **

ヒーチブ、ヒーチブ。明るく陽気なヒバリの鳴き声が、空の上のほうから聞こえてきます。春の訪れを喜んでいるようです。うきうきと心弾ませているのは動物だけではありません。冬眠を終え、目を覚ました庭の植物たちも、早速おしゃべりに花を咲かせています。

「ぼく、今年はうーんと沢山の花を咲かせるよ」
「わたしは、いつもよりも濃い、きれいな色の花を咲かせるわ」
「虫たちが寄ってくるように、香りも念入りに振りまかなくちゃね」
自分がどんな花を咲かせたいのか、皆それぞれに思い描くイメージがあるのです。

はじめに花をつけたのはスズランでした。大きな葉のかげに隠れるように、真っ白い鈴のような花をいくつも咲かせています。風が吹くと、チロロン、チロロンと澄んだ鐘のような音がひびきます。かすかな音色を聞きつけて妖精たちがやってきました。

「まあ、素敵な花だこと。これなら持ち帰って、家の玄関のベルに使えそうだわ」
「お花を帽子にしたらどうかしら。わたしたちの頭にぴったりよ」

妖精たちは、白い小さな花をそっと切り取り頭にかぶってみました。サイズもぴったり、妖精らしさも引き立ちます。うれしくなった妖精たちが、スズランのまわりを輪になって踊り始めました。まわりを囲まれて、白いスズランはほんのりと頬を赤く染めました。照れているようです。

その様子をちらりと見たバラの王子が、フンと鼻を鳴らしました。
「おとぎ話の住人たちに騒がれて、何が楽しいものか。あきれてものが言えない」

次に紫陽花が、花をぎっしりと集めたまりのような、大きな花を咲かせました。青色の花は雨の日にはよけいに美しくみえました。雨粒が花の上で丸く光るのです。そんな紫陽花のところへ、のんびり屋のカタツムリがやってきました。

「紫陽花さん、おねがいです。どうかぼくを守ってください」
紫陽花は母親のように、やさしく葉っぱを差し出して、カタツムリを受け止めました。
「お安い御用よ。わたしの葉のうらで、ゆっくり休むといいわ」

カタツムリは、暑さと乾燥にとても弱い生き物です。日差しの強い日は、陰にかくれてすごさなくてはなりません。
「ありがとう。助かります」
カタツムリは礼を言うと、白い液をたらしながら、のそりのそりと紫陽花の葉のうらへ消えていきました。

バラの王子はそれを見て、また独り言をいいました。
「紫陽花さんも大変だなあ。葉っぱに白い汚れがくっきりと残っている。みっともないことだ」
頼まれたのが自分ではなくてよかったと、王子はホッとしたのです。

夜になると、風はひんやり冷たくなります。昼間は咲いていた花たちも、暗くなるとしぼんで朝まで休むものもいます。たった一人、バラの王子だけは目を覚ましていました。

ようやく春がきたというのに、なぜ自分の心は弾まないのだろうかと考えていたのです。自分がこの夏、庭でもっとも美しい花を咲かせることになる。それは分かっているのです。それこそがバラの王子の、王子たる所以なのです。でも…。いつもなら根の下の、もっと深いところから湧き上がってくる命の力が、まだ弱いような気がするのです。

王子はスズランのことを思いました。それから紫陽花のことも思いました。だれかに求められる喜びにあふれていた彼らの様子が、王子の頭に残っています。

「おお、だれか。ぼくの美しさを本当に理解してくれる者はおらぬのか?」
王子は空に輝く星にまで届きそうな強い気持ちをこめて、周囲に問いかけました。
「ぼくは貴方のために、世界でもっとも美しい花を咲かせようと思っているのですよ」
風がまた吹いてきて、王子の葉をほんの少し揺らしました。ただそれだけでした。王子の言葉に返事をかえす者はひとりもいません。

しばらくして王子の足元にヒキガエルがやってきました。ベッタン、バッタン。なんとも重たそうにカラダをゆらしては跳ねています。王子はフッとため息をつきました。
「この世の中に、ヒキガエルほど醜いものはない。かわいそうな生き物だ」
ヒキガエルは、王子のつぶやきにも気づかずにベッタン、バッタンと去っていきました。

  **

小さな庭もすっかり夏になりました。早い時刻から空が明るくなります。乃咲さんがホースをつかって、庭中の植物たちにたっぷりと水をまいてくれます。すると皆はとても喜んで、花や葉をゆらします。水の粒に光が当たると小さな虹がかかることもあります。

もう少し日がのぼると、虫たちが目を覚まし花に寄ってきます。蝶々がヒラヒラと花びらのように舞っています。ミツバチは蜜を吸おうと、ブンブン羽音をひびかせながら忙しそうに飛び回っています。

王子のいる場所からちょうど反対側の塀のところには、向日葵たちがずらりと並んで立っています。双葉になったと思ったら、あっという間に背を伸ばし、今では王子よりも高くなりました。

「きゃー、お日さま、こっちよ。こっちを向いて!」
向日葵は、庭に咲いている花の中でもひときわ陽気で、おしゃべり好きです。だれにでも話しかけ、お日さまにまで手を振ります。花を咲かせる前の、みどり色の頭をくねくねと回す姿は、まるでお日さまの後を追いかけっこしているかのようです。
「情けないことだ。向日葵には花としての誇りもないのだろうか。だれかを追いかけ回すなど、ぼくにはとても考えられない」

夏になっても、王子の心はどんよりと曇ったままでした。心に浮かんでいる灰色の雨雲からは、時々雷が鳴り出します。イライラして落ち着かないのです。理由はよくわかりません。幸せそうなもの、明るいものをみると、なぜだか腹が立って仕方がないのです。

王子の怒りの矛先は、だれよりも乃咲さんに向けられます。王子にとって、それは当然のことでした。冬眠中にひどい仕打ちをうけたことを忘れられるはずがありません。乃咲さんがどんなに庭仕事をがんばっても、あの時の痛みを思えば、お礼を言う気持ちにもなりません。

「ぼくはこの庭に長いこと住んでいるのに、この人に会った覚えはないぞ。一体だれなんだ?」

王子はうたがい深い目つきで乃咲さんをじっくりと観察します。作業が雑なのが気になります。水のかけかたも乱暴で、浴びてもちっとも気持ちよくありません。乃咲さんは首にタオルをまいて、フウフウと息を吐きながら畑に植えている野菜の手入れをしたり、雑草を抜いたりしています。ぜんぜん楽しそうではありません。ブスッとしています。

「あれは怒った顔だ。ぼくたちの世話をするのが、そんなにも苦痛なのか」そう思うとますます腹が立ってきます。他の花たちは気にしてないようですが、王子は王子であるが故の、特別に繊細な心を持っているのです。
「あの人がまいた水なんか、飲みたくもない」
そうして、大好きな水を飲むことすら控えめになってしまうのです。

(つづく)




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