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#81麦わら帽子の思い出。

「あんたが掃除してくれた庭がすっきりと片付いて、気持ちがよくてね。庭を見るたびにあんたのことを思い出しているのよ」

実家に帰省した後は二週間ほど、母からの電話の回数がいつもより割増になります。

「そう、それは良かった。毎朝、父さんが庭を掃いてくれてるからね」

父は、朝起きてから田舎の田んぼ道を小一時間ほど散歩するのが日課です。散歩からもどってくると、熊手で庭の石砂利をきれいにならします。雑草の生えやすい庭ですが、小さなお手入れを続けていると雑草が育ちにくく、きれいな状態が長持ちするのです。

認知症の母は、数分前に話をした内容も忘れてしまうくらい記憶力が落ちてきています。一年前には「また同じ話をしているよ」と多少イライラと指摘してしまうこともありましたが、今は母に合わせて、何度も同じ返事を繰り返すようにしています。そうすれば表面的には、穏やかな会話をしているような空気が生まれるからです。

(どうしてわたしが掃除していたことだけは、こんなに覚えているのだろう)

去年の夏、家を囲っている木と周りの雑草があまりに繁茂していて「このままだとハチが巣を作ったり害虫が寄ってきて、両親が危ない目にあうかもしれない」と思ったわたしは、それ以来、帰省のたびに庭のパトロール的なことも念入りに行うようになりました。庭仕事の際は日に当たる時間が長いので作業着と麦わら帽子を着用します。

大きな麦わら帽子は昔、母方のばあちゃんが農作業をする時に被っていたものとよく似ています。元気な頃のばあちゃんは、つばの広い麦わらの下に手ぬぐいを一枚巻いて、両頬もすっぽりと布で隠し、できる限り日焼けしないように気を配っていました。

「ばあちゃん、何しているの?」
夜、お風呂上がりのばあちゃんの顔がテカテカと光っているのをみて、小学生だったわたしが尋ねると、
「卵パックしてるのよ」
と教えてくれました。料理に使った卵の殻を冷蔵庫にとっておいて、殻についているネバネバしたものを顔に塗ると、肌の状態がよくなるのだそうです。年中外仕事をしているわりに、ばあちゃんの肌はもちもちしていて、とても綺麗でした。

そんなばあちゃんが、わたしの前でポロポロと涙をこぼしながら話をしてくれたことがありました。わたしが中学二年の頃、思春期貧血の原因を探るため数日間、入院した時のことでした。両親が共働きだったので、ばあちゃんが代わりに付き添いに来てくれたのです。

なぜそんな話になっていったのか詳しくは覚えていないのですが、ばあちゃんが大きなデパートに、お出かけ用の服を買いに出かけたことがあったそうなのです。

「店員さんがわたしの手を見てね、爪は土が入って黒ずんでるし、日に焼けてガサガサしてるから、野良仕事してる人って思ったんだろうね。すごく馬鹿にした態度を取られて悔しい思いをしたことがあるよ」

まだ子どもだったわたしは、悔し涙を流すばあちゃんに、なんと言葉をかけてよいものか分かりませんでした。女性というものは、いくつになっても周りの人の視線や態度を気にするものだということも知りませんでしたし、わたしにとってばあちゃんは、ひまわりのような人。いつも笑顔で嫌なことなどこの世には何にもないと思っているようにすら見えていたから。ばあちゃんが「ばあちゃん」ではなく、歳を重ねた一人の女性として見えた初めての体験でした。

(もしかして母さん、わたしの姿を見て、ばあちゃんのことを思い出してるのかも)

大きな麦わら帽子に頭をすっぽりと覆われ、しゃがみこんで草を取っているわたし。その働いている姿は、在りし日の、まだ生き生きと農作業をやっていた頃のばあちゃんの姿に似ているのではないでしょうか。それが広い畑の中ではなく、自分の家の庭先であったとしても。

でも、それでいいのです。母の脳裏に、帰省のたびに庭の草取りをしているわたしの姿がまだ何とか記憶されていて、その記憶が他界したばあちゃんの面影と何かしらつながっているかもしれないこと。それが母の孤独をほんの少しでも癒してくれているなら、それでいいのです。だって本当にばあちゃんが空の上から、麦わら帽子を被ったわたしと、それを眺める母の様子を、ニコニコしながら見てくれているかもしれないのですから。




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