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ぼくんちのねこ。(1)

< 1 >
トラ男はぶさいくな、ぼくんちのしまねこだ。キジトラというしゅるいらしい。茶色い毛のうえにこげ茶色のしまもよう。目つきがわるくて、ぎょうぎもわるい。

トラ男は三年まえにぐうぜん、河原で見つけた。小学生になったばかりの春、ぼくがひろってきた。あのころはまだすごく小さくて、てのひらを二つ合わせると、すっぽりとおさまる大きさだった。ミュウミュウないてミルクをほしがり、ざらざらの舌でぼくのうでをなめていた。きっと母ねことかんちがいしてたんだ。それからどんどん大きくなって、今じゃあ、デブねこってよびたいほど大きなオスねこになった。

どうぶつ病院の先生からも、ていき検診のたびに、
「トラ男くん、もうちょっとダイエットしたほうがいいかもしれません」
と、母さんが注意をうける。

母さんは、わかりましたっていってるけど、そんなことむりだって、心の中では思っているにちがいない。ぼくだって思うもの。先生は、トラ男がどんなに食いいじがはってるか、知らないからそんなことをいえるんだって。

いつもトラ男は、リビングのいちばんすわり心地のいい場所に、どっかとすわっている。ぼくの場所から、テレビを見ようとすると、しょっちゅうトラ男のあたまがじゃまになる。
「トラ男、ちょっとあたま、よけてくれよ」
声をかけても、トラ男はかたほうの耳をぶるっとふるわすだけだ。ちぇっ。いどうするのは、きまってぼくのほうだ。

おとなになったトラ男は、もうそれほど人にあまえない。唯一あまえるのは、えさをくれる母さんにだけだ。
「トラ男、ごはんだよ」
「ニャアゴ」
ごはんによばれたときだけは、ねこなで声でこたえている。

夜、ソファにすわっていると、たまにトラ男がやってきてぼくのとなりにすわる。それからゴロンとひっくりかえって、
「ニャー」
前足のつめをキュッと出して、めいれいする。おなかをさすってくれだって。なんでつかれているぼくが、お前のおなかをさすらなきゃいけないんだよ。

ねころんで、新聞をよんでいた父さんが、にやにやしながらいう。
「トラ男は、あまえ上手だなあ」
ぼくはしぶしぶ、おなかをさすってやる。トラ男は、さすりかたがゆるいと、
「ガオ、ガオ」(もっとつよく)
ともんくをいうし、つよすぎると、
「グワッ、グワッ」
とはらをたてる。
それに、とちゅうでブッと、おならまでやらかすことだってある。

「まことがマッサージがうまいって、トラ男もちゃんとわかってるのね」
となりの部屋で、アイロンをかけていた母さんまで、にこにこしながらぼくたちの様子を見にやってくる。トラ男はゴロゴロとのどをならして、
「気持ちいいぜ、もっとつづけろ」
と、ぼくにあいずする。まったく、うでがつかれるよ。

それでもたった一つだけ、トラ男がいてよかったことが、ぼくにはある。こんなこと、はずかしくて誰にもいえやしないけど。ぼくは何よりゆうれいがこわい。だから三年生にもなってもまだ、子ども部屋でねるのがこわい。ろう下のつき当たりにあるトイレにも、暗くなると、行くのがこわい。

これまではトイレに行くとき、ダッシュで行きかえりしていたし、ねるときは、お母さんに、部屋までついてきてもらっていた。三年生になって、ぼくはいい方法を思いついたんだ。どういう方法かって?トラ男をむりやりつれて行くんだ。

「グウウ」
そりゃあねこだって、ソファの上で気持ちよくねているところを、おこされるのはいやだろう。そうは思うけど、トラ男しかたのめる相手はいないんだから、しかたないだろ。トイレのときは用をたしおわるまで、とびらの前にすわっててもらう。ねるときは、二階の子ども部屋までだきかかえて、つれて行く。

ぼくのベッドの足もとで、ぎゅっと丸くなってトラ男はねむる。ぼくも毛布をひっかぶってねむる。ゆうれいが、まくらもとによってこないように。

それでも、ある日とうとう出た。
「ゆ、ゆ、ゆうれい!」
真っ白い顔のおばあさんのゆうれいが、ねているぼくの上からのっかってきた。わあ、助けて、ころされる。重たい、苦しい。ぼくはさけびだしそうになり、パッと目をあけた。夢か。ホッとしたものの、ふとんがやけに重たい。うわ、トラ男じゃないか。

いつのまにかトラ男が、ぼくの上まであがってきて丸まっていた。どうりで重たいはずだ。毛布をぐっとひっばっても、トラ男はびくともしやしない。デブすぎるぞ、トラ男。ねむっているトラ男の目は、カタカナの「ノ」の字みたいなかたちをしている。体はでっかいのに、小さなこねこみたいな寝顔なんだ。おこしたらまた怒るだろうな。ぼくは、そうっと自分の体の向きをかえて、もう一度目をつぶった。

< 2 >
冬になると、あっという間に日がくれる。公園でサッカーをしていたぼくらは、五時のじほうをきくと、みなばたばたとかえりはじめた。ぼくもいそいでサッカーボールを自転車のかごにのっけて、ペダルをこいだ。

家につくと、母さんがげんかんの前を、エプロンすがたでうろうろしている。
「どうしたの?」
「トラ男が出てったっきり、かえってこないのよ」
どうやらリビングのまどがあいているのをみつけて、すきまから外に出たらしいのだ。

これまでも何度か同じようなことがあった。トラ男はオスねこだから、大きくなると、メスねこをさがしに家を出ていくようになった。しばらくはそのまま見守っていたのだけれど、あるとき、前あしに大ケガをしてもどってきた。よそのねことけんかしたらしい。母さんがとうとう決心したという口ぶりでいった。
「もうダメね、このままじゃ。手術してもらわないと」

どうぶつ病院につれていかれて、去勢手術をうけたトラ男は、オスねこだけど、もうメスねこを探しにいこうとはしなくなった。ソファでごろんとねている時間が多くなり、いつしかデブねこになっていた。
「ひさしぶりに外を出歩いて、車にひかれてなきゃいいんだけど」
心配性の母さんは、そんなふきつなことを口走る。やめてよ、ぼくまでドキッとしちゃうから。

夜八時をすぎて、父さんが帰ってくる時間になっても、トラ男はもどってこなかった。
「だいじょうぶだよ」
のんきな父さんが、ネクタイをはずしながらわらった。
「トラ男だって、一人前のおとなのねこなんだ。しばらくしたら自分からもどってくるさ」

それから三日たっても、トラ男はもどってこなかった。トラ男がいなくても、ぼくらの生活が、とくべつ変わるわけじゃない。ぼくは毎日、朝おきて学校にいって勉強し、夜はごはんを食べて、ねる。母さんはごはんを作ったり、せんたくものをほしたり、かいものに行ったりする。父さんは仕事にでかけ、夜はだらだらうだうだしている。

家族みんな、いつもと変わらないように見えるけど、ほんとはちょっとちがっている。ぼくはテレビをながめながら、ふと、トラ男がいつもすわっていた場所をみてしまうし、母さんは家事をしながら、はしらの下においている、トラ男のえさ用の小皿を気にしている。父さんは新聞をよみながら、ときどき大きくのびをする。トラ男が気持ちよさそうにのびをするのをみるのが好きな父さんは、そうやってトラ男のことを思っているはずだ。

夜がふかまると、暗いのがこわいせいで、ぼくの耳はびんかんになる。テレビの音、母さんがお茶をすする音、父さんが鼻水をすする音。そんな音にまじって、いつもならきこえるかすかな音が、今はきこえないことが気になる。きげんのいいトラ男が、のどをゴロゴロならす音。何かいいたいときだけ口にする「ニャアゴ」というダミ声。

うんこ色みたいな茶色のかたまりが、家の中を気ままに歩きまわっている光景が、いつものぼくんちなのに、今はそうじゃない。ぼくは自分の家が、いつもとちがっていることに、やけにびんかんになっている。トラ男がいないという、ただそれだけで。

夜中に目がさめた。こわい夢を見ていたような気がするけど、どんな夢だったかは、わすれてしまった。気づくと、ぼくはふとんをかぶっていなかった。ふとんのはしっこをにぎってるだけで、半分以上はベッドからたれ下がっていた。どおりでさむいはずだ。ぼくはふとんを持ち上げ、自分でかけなおした。

そういえば三年生になってから、トラ男がずっとぼくの上にねていた。ぼくの寝相がわるくても、トラ男が上からどっかとのっかっていたおかげで、ふとんがずり落ちなかったのか。ぼくはトラ男のつけもの石みたいな重みが、なつかしくてたまらなかった。




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