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みどり色のともだち。

< 1 >
このいっしゅうかん、つくしには朝おきてからすぐに、しなくちゃいけないことがある。うらにわにある、ものほし台のところへいって、ともだちにあいさつするのだ。

「おはよう」
「…」
ちいさなともだちはへんじをしない。それは当たり前だ。なんてったって、その子はあまがえるだからだ。

つくしが声をかけると、ねぼけがおのあまがえるは、ぱちりぱちりとゆっくりまばたきをする。まだねむたいらしい。こうやって朝いちばんにかおを見にこないと、三十分後につくしが学校にいくころには、どこかにきえてしまっているのだ。

「かえるって、ひるまにあちこちうごいて、エサをさがしているらしいよ」
お母さんにおしえてもらった。こわがらせてはいけないので、つくしはさわりたい気持ちをこらえて、見るだけにしている。
「かえるが人になつくって、あまりきいたことないけどね」
お母さんもふしぎがっているけど、当のつくし本人も、同じようにみょうなきもちだ。

十日ほど前のことだった。家にかえってくるとちゅうに、中川のおじさんにあった。おじさんは、いつも朝とゆうがたに犬のさんぽをしている。つくしがあったとき、犬のジローがたちどまり、道のはしっこでなにかにかおをちかづけていた。おじさんもにこにこしながら、まっていた。
「こんにちは」
つくしから声をかけた。
「ああ、つくしちゃん」

ジローのはなさきにある、みどり色のかたまりがつくしの目にもはいった。ちいさなあまがえるだった。ジローににおいをかがれてこわいのか、かえるはじっとしたまま石のようにかたまっている。かわいそうな気がして、つくしはかえるをてのひらの上にのせた。
「この子、わたしがもらっていきます」
といった。
「ははは、それはいいね」
中川のおじさんはわらいながら、またジローをつれて歩いていった。

かえるを手にもったものの、つくしはその子をどうすればいいのかまで、考えていなかった。考えているあいだに、家についてしまった。つくしは玄関をあける前にうらにわにいって、あじさいのはっぱのうえに、そっとのせた。
「ここなら、犬はこないよ」

次の日、せんたくものをほしていたお母さんがふと見ると、ものほしざおのつつの中に、ちいさなあまがえるがおさまっていたというわけだ。
「もしかしたら、つくしが助けてあげたかえるかもしれないわよ」
お母さんが、いたずらっこみたいなかおでいった。
「そうかな、でもかえるって、みんなおなじかおしてるし」
そういいつつも、自分が助けたかえるが、ものほし台にすみついたんだったら、ちょっとうれしい、とつくしも思っている。

ときどき、ゆうがた見にいくと、あまがえるが外出からもどってきていることもある。そんなとき、くろくて大きな目をぱっちりあけて、じっとこちらをみつめてくる。ときどきまばたきして、首までうごかす。なんだか人のきもちまでわかりそうな、かしこそうなかおつきだ。
(この子は、わたしのちいさなおともだちよ。)
ちいさなひみつができるって、こんなにワクワクするものなんだな。

「よし、かえるくんにあえたから、きょうも一日がんばるぞ」
けさもあまがえるにあいさつができた。きもちのいい朝のはじまりだ。つくしははずむような足どりで、学校へでかけていった。

< 2 >
その日かえりの会で、先生がみんなにこんどの日曜日について話をした。五月のだい二日曜日は、母の日ですと。そうか。つくしは思い出していた。きょねんは何もおいわいしたりしなかったけど、保育園のときは、園でかいた絵をプレゼントしたりしていたな。

ランドセルをせおい、早足に家へと歩きながら、つくしの頭のなかは、母の日のことでいっぱいだった。わたしもなにかプレゼントよういしなくちゃ。だってもう、二年生なんだから。つくしは家にかえるとトイレをすませ、れいぞうこからつめたいお茶をとり出した。つくしは鍵っ子だから、家には今、つくしひとりっきりだ。コップにいっぱいお茶をのみほすと、フーッと大きくいきをはいた。
「商店街まで行ってこよう!」

まちの商店街は、家から歩いて三十分くらいのところにある。平日にひとりでいくのは、すこしきんちょうする。こころぼそいせいか、見なれない場所にきたような気持ちになってしまう。つくしは、かたからかけているクマのポシェットを、かた手でそっとなでた。心がおちつくおまじないだ。
(だいじょうぶ、だいじょうぶ)

パン屋さんをすぎて、とうふ屋さんをすぎて、本屋さんをすぎて、はいしゃさんをすぎたところに、お花屋さんがあるはずだ。ほそい道をどんどんすすんでいくと、やっとお花屋さんが見えてきた。つくしはいそぎ足でちかづいた。お店の前には、たくさんの花がおいてあった。母の日にむけて、カーネーションのはちうえのコーナーもできている。

つくしは、なまつばをごくんとのみこんでから、ゆっくりと一つ一つの花のねふだを見ていった。
(高い。とてもわたしには買えない。)
お店のおくのほうに、きり花がならんでいるのが見えた。バラ、ガーベラ、小さなヒマワリ、ユリ。カーネーションを一本だけって、何円するのかな?一本だけくださいって、ちょっとへんなのかな。

つくしがほんものの大きな花たばを見たのは、卒園式のときだけだ。ないている先生に、お母さんの代表の人がありがとうといってわたしていた。あんなにりっぱな花たばなら、きっとお母さんもうれしいだろう。でも一本だけなんて。

つくしが、じっと立っているのに気がついて、店のおくからメガネをかけたおじさんが出てきた。つくしはパッとむきをかえて、家にむかって歩きだした。
「むり、むり。花はむり」

< 3 >
あ〜あ。二年生にもなって、母の日にちゃんとしたプレゼントもできないなんて。とぼとぼと、家のあるだんちまでの道のりを、つくしは歩いた。うきうきした気分で、家を出たはずなのに、こんな気持ちでかえってくることになるなんて。つくしのおさいふのなかには、お金は四百円しかはいっていなかった。つくしにとっては、なにかがかえそうな金がくだったけど、お花屋さんではなんにもかえない金がくだった。

カーネーションを買おうと思っていたのに、それがむりだとわかって、つくしはとほうにくれていた。もう何をプレゼントしたらいいのか、頭に思いうかばない。公園の前をすぎていくと、なかからたのしげな声がきこえてきた。小さな子どもたち砂場であそんでいるようだ。だんちの公園には、遊具がほんの少しだけ、てつぼうと、砂場と、ちいさなすべり台だけしかない。

(むかしはよく、ここであそんだなあ)
なつかしくなって、つくしはなかをのぞきみた。保育園に通っていたころは、やすみの日にお父さんとよくきていたっけ。公園のまわりには、大小の木がうえてあり、木のねもとには、クローバーがみどり色のじゅうたんのように広がっていた。春はとくべつ、そのみどり色がきれいにみえる。

クローバー、クローバー、四つ葉のクローバー。
つくしの頭に、新しいプレゼントがひらめいた。

「どこかにないかな」
もう三十分近く、つくしはクローバーのおいしげる場所に、しゃがみこんで、はっぱをかき分けつづけている。見つかるときはおもしろいように見つかるのに、そうじゃないときは、どれだけさがしても出てこない。

幸福のしるしといわれている四つばのクローバーをしおりにして、お母さんにプレゼントしよう。そう思いついたまではよかったけれど、肝心の四つばが見つからないのだ。いつのまにか、子どもたちの声はきこえなくなっていた。とおくで、ヒバリがないている。同じ場所でじっとさがしていても、四つばは見つからない。つくしはしゃがんだまま、ジリジリと足をズラし、場所をいどうしていった。

「ニャオ」
しばらくすると、くろとちゃ色のキジねこがやってきた。けげんそうなかおでこちらを見ている。だんちをよくうろついているのらねこだ。あちこちの家でエサをもらっているのか、毛なみがよくてツヤツヤしている。ねこは二メートルほどはなれたところにすわって、しばらく前足をなめたり、せなかをなめたり毛づくろいをしてから、おしりを高くあげてのびをし、またどこかにいってしまった。

つぎは、手おし車をおしならが、おばあさんが歩いてきた。
「そんなところで何してるの?」
近所のよしむらのおばあちゃんだった。
「四つばのクローバーをさがしているんです!」
つくしは首をのばして、なるべく大きな声でへんじをした。そうしないと、よしむらさんにはきこえないと思ったのだ。よしむらさんは立ちどまったまま首をかたむけて、それからうんうんと大きくうなづき、ヒラヒラと手をふってさっていった。

そのあとはだれも通らなかった。ときどき、前のとおりを車がすごいスピードではしりさっていった。つくしがそこにいることなんか、まったく気づきもしないというふうに。つくしは、目の前にひろがる一面のクローバーと自分だけが、この世界からとりのこされてしまったような気持ちになった。世界はちゃんと時間がすすんでいるのに、自分のまわりだけは、時間がとまったままみたいだ。

だんだん腰もいたくなってきた。もういいかな。これ以上さがしても、きっと見つからない。つくしはあきらめようと思った。そのとき、フワッと上の方から風がふきつけて、足もとのはっぱがゆれた。
「フイ、フイ、フイ、フイ」
はっぱの中から、小さなわらい声がきこえた。
(え?)
つくしはパチパチとまばたきをした。見ると、はっぱのかげに小さな生き物がみえた。ちいさなあまがえるだった。あまがえるが二本の足ですっくと立っていたのだ。

「フイ、フイ」
あまがえるははっぱをゆすって、おくの方を指さした。つくしが手でそっとはっぱをかき分けると、地面にちかい場所に、四つばがすっくと立っていた。つくしは、くきのいちばん下の方からそうっとひっぱった。ようやく一本見つかった。

つくしが四つばをとっているうちに、あまがえるはどこかに消えた。そう思ったら、
「フイ、フイ、フイ」
またべつの場所から、わらい声がきこえてきた。つくしはだまって耳をすまし、声のきこえた方をたしかめようと、目玉だけをキョロキョロうごかした。いた。あまがえるが、つくしにむかって『おいで、おいで』と手をふっている。つくしはしゃがんだ姿勢のまま、そうっと場所をいどうして、はっぱをかき分けた。二本めの四つばは、大きくて、くきも太かった。

あまがえるの歩き方は、歩きはじめたばかりの小さな子どものように、たどたどしかった。今にもころびそうなのに、うまくバランスをとりながら、右足、左足と、こうごに前に出してすすんでいく。二本の足で歩くことが、すごくうれしいという気持ちが、伝わってくるような。自分がつくしに四つ葉のありかを示してあげられることが、ほこらしいというような。

「イタタタ」
長い時間しゃがみこんでいたせいで、とうとう腰が、ひめいをあげた。つくしはヨロヨロと立ち上がり、右手でごしごしと腰をさすった。いつの間にか西陽がさしていた。つくしの左手には、7本の四つばのクローバーがにぎられていた。

< 4 >
「今日は何かいいことがあったの?」
夕ごはんのとき、お母さんがつくしのかおをのぞきこんだ。
「べつに。なにもないよ」
そういいながら、つい口元がほころんでしまう。いけない、いけない。まだひみつにしてないと。
「おねえちゃん、ニヤニヤしてる」
となりにすわっているいもうとの雪乃まで、身をのりだしてつくしのかおをのぞきこんだ。
「もう、なんでもないったら!」
つくしが声をあらげると、お父さんがチラリとこっちを見た。いけない、いけない。おこられちゃう。

あのあと、つくしは公園から大いそぎで、家まで走ってかえった。お母さんが仕事からかえってくる前に、四つばをかくさなくちゃ。しおりにするための紙はどうしよう。つくしは、習字のれんしゅう紙を四とう分にハサミできった。それを二つに折りたたみ、本だなにならんでいる本の中でいちばんぶあつい、百科事典にはさんだ。その上から、教科書やノートをぎっしりつめたランドセルを、重石のようにのせてみた。これでよし。本の重みで夜のあいだに、クローバーはうすくのばされるだろう。きょうがかようび。にちようびまでに、まだ五日あるんだもの。しっかりかわかしてから、しおりにするためのじょうぶな紙にうつして、セロハンテープか何かでとめればいい。

ごはんを食べながら、つくしはゆうがたのことを思い出していた。ふしぎな出来事だった。あの子があらわれなかったら、きっと四つばは一本も見つけられなかっただろう。あのあまがえる、うちのものほし台にすんでいる子なのかな。そんなことあるかな。

公園からつくしの家まで、歩いて十分はかかる。そんなきょりを、ちいさなかえるがいどうすることなんて、できるのだろうか。考えてみると、なにもかもがふしぎだ。かえるがものほし台にすみついたってところからして、ふしぎだもの。

ひとまずねむって明日の朝、またあまがえるがいるか見にいこう。そう思ってみても、こうふんしすぎのつくしは、なかなかねつけなかった。

台所から、ほうちょうの音がきこえる。お母さんがごはんをよういしてる音だ。つくしは二階の子ども部屋からおりてくると、朝のあいさつもせず、うらにわにとびだした。
「あ、いる」
けさも、ものほしざおのつつの中に、あまがえるはちゃんとすわっていた。
「ねえ、あんただったの?」
つくしは、かおをちかづけてたずねた。
「きのう、わたしのこと助けてくれたの、あんたなの?」

「フイ、フイ、フイ」
すると、きのう公園できいたのと同じわらい声がした。高音で、風のような、やさしい音、草ぶえのような音が。つくしはむねがいっぱいになった。
「そう、やっぱりあんただったのね。ありがとう」
すると、ちいさなあまがえるが、首をかしげてにっこりとほほえんだ。




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