見出し画像

#104小さな羅針盤。

自分の人生の進むべき方向を決定づけたといえるような出来事が、だれにでもあると思います。いわゆる人生の節目と言われているものを列挙してみると、

出生、入学、卒業、就職、結婚、子育て、退職

などが挙げられます。大きなライフイベントを経験することで、生活の大枠が変わったなという感覚はわたしにもあります。でも今回、書きたいのはそうではない、もっと小さなこと。わたしが自分の心を落ち着かせようとする時の、考え方の癖のようなものについてです。

老いが進んでいく両親の、生活のサポートについて、遠く離れた妹とああでもない、こうでもないと電話で相談をした後のこと。モヤモヤした気持ちが心の中に残っていることがあります。

「遠距離で親をサポートする時に、ここだけは大事にしたい!」

そんなポイントがわたしにはあります。もちろん妹にも。そして微妙にその意見が食い違っているところが、どうも気になって仕方ない。

(以下はわたしの心の声)別に両親が元気で、頭もしっかりしているならいいのよ。娘が帰省して楽しい時間を過ごす、思い出が増える。それは大事なことだよね。でも、わたしが思うに両親二人だけの生活時間がどんな風に流れているのか、ちゃんと協力して日々の雑用をこなせているのかどうか、そこをしっかり見極めて、この先どんなフォローが必要か、わたしたちの声かけがちゃんと記憶に残っているか、それを確認するほうがうんと大切。だってわたしたち、普段は一緒に住んでいないんだから。

両親をお出かけに連れて行き、気晴らしをしたり、一緒に外食したりするよりも、日常生活をつつがなく送れるように手助けする。わたしにはそれが何より大事だという考えがあるのです。

離れて暮らす両親をなるべく危険から遠ざけたい。その気持ちが強くなりすぎると、わたしの心はピリピリしすぎて、おっとり系の妹にカリカリと怒りを感じ始めてしまいます。目に見えないヤカンのお湯がシューシューと湯気を上げ始めてしまいそう、そんな時に思うのが、

(でもなあ。あの子(妹)に眉毛もらっちゃったしなあ)

なのです。昨年末から今年にかけて、妹の紹介でわたしはアートメイクなるものを施しました。眉毛の刺青です。おかげでこの先何十年もの眉毛の悩みから解放されたというわけです。

もしわたしが反対の立場なら、わざわざ妹に紹介しなかったと思います。自分はご縁があってアートメイクできたけど、姉ちゃんは遠くに住んでいるし仕方ないやん。妹がそう思っても当然だと思うのです。ところが、

「せっかくだから姉ちゃんもやりなよ。先生に紹介しておくから」

彼女はそう言って実行してくれたのです。おかげでわたしの顔には眉毛さまが…(感謝)。相手からいただいたご恩を思い浮かべると、わたしの怒りはゆるゆると収束していきます。仕方ないさ、お互い不完全な人間同士。やれることとやれないことはあるよね。かくして姉妹の性格や考え方の違いを悪い方に捉えすぎず、出来ることを実行すればよいのだと気持ちが切り替わっていきます。

この考え方の癖には長い歴史があります。高校に入学し部活を決めた時のこと。どこに入部しようか。自分の青春の一ページを彩ることになる大切な選択だというのに、

(部室見学に行った時、たまたま先輩から手作りクッキーもらっちゃったしなあ)

そんな理由で、やったことも見たこともなかった剣道部に入部してしまった
のです。女子部員はとても少なく、初心者はわたしだけでした。

「なんで人の頭を叩かないといけないのかなあ?」
などとお馬鹿な問いを頭をかすめながら練習しているわたしが、上達するはずがありません。掛かり稽古(先生に一対一で対峙する)の時には、その軟弱な考え方を読まれ「もう一本」「もう一本」としごかれ続けました。

試合はいつも補欠で、ときどき出ても勝ったことは一度もありませんでした。玉竜旗という年に一度の大きな大会に持っていくために、夏が近づくと寝る間も惜しんで、千羽鶴をせっせと折る毎日でした。

三年生最後の大会。たった一度(まぐれで)面が決まった時、
「すげー!」
同期の男の子たちが、喜びではなく驚きの歓声をあげてくれたのが、今でも懐かしい思い出です。

人から受けたご恩をわたしは忘れることができない。してもらったこととセットにして、次に自分に何が出来るかなと考える。そんな小さな考え方の癖が、実はわたしの人生を導いてくれた小さな羅針盤だったのではないかと思ったりするのです。





最後まで読んでいただき、ありがとうございます。サポートしていただけるなら、執筆費用に充てさせていただきます。皆さまの応援が励みになります。宜しくお願いいたします。