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080.きらきら光るピアノの記憶

音が出る絵本ってのがあるの。ピッとボタンを押すと「げんこつやまのたぬきさん〜♪」なんて歌が鳴る絵本。
乳児は光ったり、音が鳴ったりが好き。繰り返しボタンを押すたびに歌が流れる。

「きらきら光るお空の星よ」

ふいに弟と連弾した記憶が浮かぶ。

母が娘に自分が子ども時代にやりたかったことを託すのは、呪いではない。
娘がそれを喜んでいるのなら、その思いはきらきらと空に舞い昇華するのだろう。
なぜなら娘はピアノが家にきた日を覚えており、とても嬉しかったのだから。

知人の紹介でピアノの先生が家に来てくださる形でレッスンが進んだ。
全音ピアノライブラリーの青い表紙 ハノンピアノ教本。
ブルグミュラーの練習曲にツェルニー。
ドからドの1オクターブを押さえることができる手の大きさを褒められる。

姉の私が習っている姿をみて「僕もやりたい」と二歳差の弟が言い、発表会で連弾することになった。

背もたれのない椅子にふたり並んで座り弾くそれは「きらきら星」

ひとりで弾くのとは違い、お互いに合わせることが難しい。
こっちがやる気でも相手は遊びたかったり、息を合わせることがまた面倒なのだ。

ピアノの発表会の服装のおめかし感は、ちょっと笑える。
蝶ネクタイに半ズボン、白襟のワンピースみたいな。

緊張した顔でいっせいのせいで弾くのが連弾。
本番よりも自宅での練習風景の方が、雑でラフで普段着の姉弟のめんどくささとおかしさと、やるって決めたからにはやらなくちゃのごちゃ混ぜで、今でもクスリと笑う思い出。

大人になってピアノを弾くことなんてほぼない。
それこそ幼稚園や保育園の先生、もしくはピアノや音楽を生業にする人くらい。

公共の施設に置いてあるピアノは開かずの蓋が門番の様で、おいそれとその前に座ることはできない。
それでもきらきら星を弾いたことのある私は、きらきら星のメロディーやピアノの音で一瞬にして小学生に戻ることだってできる。

雨の続くある日。弟にラインする。
「ねえ、ピアノの連弾したこと覚えてる?」
「あれだろ?きらきら星」
賑やかなスタンプとともにそんなメッセージが画面にあらわれる。

きらきら光るもの、それはいつだってこの胸にあるのかも。
共通して持つ記憶に、小さく笑いながら画面をスワイプさせる。

家族ってのはすっごく大事に思うのに、ちょっと面倒になったりもする。
誰もわたしに構うな、わたしをひとりにして。
そんな内面の嵐でいっぱいになって蹴飛ばして割ったリビングの扉のガラス。
飾りガラスのひと枠は、室内犬である芝犬の通り道にちょうどよいわ、とそのままになっていたのが、たまらなく恥ずかしかった。
思春期の厄介さには、それをそのままやったまんまで残す事は、事実という客観視に役立つのだろう。
敵わないよなってあの時の母の姿を思い出しては苦笑する。

***

黒く光るアップライトピアノ。
そっと蓋をあけると赤いフェルト布のキーカバー。
ペダルを踏むと音が広がる。右手と左手は別々の音階を奏でる。
心は踊り、音は続く。流れるようにいつまでも。

モーツァルト:キラキラ星変奏曲K.265


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