オーストリアの「ブドウ畑の村のプロジェクト」が5年越しに完成するとき(4)
5年前のコンペから始まったオーストリアのブドウ畑の村でのプロジェクトは、「村の未来」を真剣に考える村長さんと出会い、そして村人とのワークショップへ。今回は、出来上がったプロジェクト案と、その後にまたまた訪れた危機ー地方特有の高ーい壁…
ウィーンから乗り込んだよそ者の私たちに、村の皆は、徐々に心をひらいていってくれた。議論も活発になっていった。そして…
村人たちが自分で考えた「村にとって大事なこと」
ここで大切なのは「必要なこと」より「大事なこと」
例えば、何が「必要だろう」と問いかけると、こんな答えが返ってくる。
オーストリアの地方も日本の地方と同じ、
田舎特有の「車中心社会」問題
昨今、「若者の車離れ」が加速しているけれど、これは公共交通の発達している都市中心のトレンドであって、田舎は違う。
そして、車は家のすぐ前に停めるのがフツ-の田舎。買い物に行っても、とにかく、車から建物まで皆歩きたがらない。
だから、郊外のショッピングセンターが大盛況。それが、歴史を重ねてきた地域にある商店街を衰退させる。オーストリアも日本も同じ。
(私の両親も退職後、田舎に引っ越してから、車中心の生活になり全く運動しなくなった…)
田舎でプロジェクトを始めると、悲しいかな、最初に提示されるのは
「駐車場最低OOO台分」
ちょっと待って、「必要なこと」ではなく、「大事なこと」を考えようよ。
「村にとって大事なことは何だっけ?」
道路をやめて広場に?
私たちがタウンホールをつくる敷地の向かい側には幼稚園と小学校がある。
その間が素敵な村の中心広場になるといいな。
そこでは村のお祭りがあり、子供たちが走り回り、それをベンチに座っているおじいちゃん、おばあちゃんがニコニコして眺めているような…
けれど、
「道路」がそれを分断しているのだ。
じゃあどうする?
議論の末、広場をつくったうえで、そこには私たちがコンペの時に提案したシェアード・ストリート・システムが採用されることになった。
そして、これが、広場の最終案。
広場なのだけど、必要であれば車も通れる。ただし、歩行者テンポで。
そして、
「村の商店」
いまでは地方創生の先進地域、オーストリア西部の山岳地帯の村々から始まった「村の商店」というアイデアは、「持続性のある地域をつくる」ために欠かせない考えである。そして「村の自立を促す」ための第一歩。
地域の人による地域の人のための、そして地域を訪れる人に地産のものを知って買ってもらう、経験してもらうためのお店である。「道の駅」が村の中心にあると想像してもらうと分かりやすいかもしれない。
なぜ、国道ではなく、村の中心かと言うと、そこは村の人とそこを訪れる人が集まり交流する場所にもなるからである。
「家賃補助型住宅」
若者と高齢者のための公共住宅をこの広場に面して建てるのは村長さんのアイデアであった。
「村の広場になんで住宅が必要?」
「広場に面したこんなうるさいところに誰が住みたいの?静かな方が良くない?」
「なんで若者と高齢者が一緒なの?」
「異なる世代間の交流」
持続性のある地域計画の先駆者であるウィーンで活動をしている私たちからすれば、当然のことなのであるが、地方ではまだ新しい考え方らしい。
「地域の持続性」を考えるうえで、「世代間の交流」「コミュニケーション」が必要なんだ、と言葉を尽くして説明するも、村人は腑に落ちない様子…
すると、そこで小学校の校長先生のこんな言葉が
なんと、この言葉で皆が納得!
このようにして、村にとって「リアルに大事なこと」をディスカッションし、そのためには何が必要なのかを絞っていった。
そして、よそ者の私たちが発見した村の宝物
5年前のコンペでこの地域を初めて訪れた時、すごく感動したことがあった。
それは、
そこに住んでいると気が付かないけど、よそから来ると気が付くお宝は良くある。よそ者もこうして地域に貢献できることがある。
これを生かす、建築を絶対つくるぞ!
結婚式などの祝祭が行われるタウンホール。そして、そこは、この素晴らしい景色が見える場所。「人生の大切な瞬間」に生まれ故郷のこの素晴らしい景色を心に焼き付けられるように。
このコンセプトも当初の案から引き継がれた。下が改正案。
みんなの思いをかたちにする
こうして、私たちはみんなの思い(そして私たちの思いも)を設計におとし込んでいった。それが、コチラ↓
私たちの設計は、何回かの発表・ディスカッション・作業を経て村の議会で承認された。
ところが、業者の入札・選定の過程で、またもや、思ってもみなかった困難が待ち受けていたのである。
この公共工事のお金を村はどうやって捻出するか
当初、村はこの工事のお金をディベロッパー・モデルで捻出しようと考えていた。
パブリック・プライベート・パートナーシップとも言われるこのモデルは、ウィーンでも公共建築を建設するときのスタンダードモデルとなっていることが多い。
自治体の代わりに民間ディベロッパーが開発費・建設費を負担し、25年にわたって自治体がディベロッパーに返済をする形である。
このプロジェクトの場合は、集合住宅部分はディベロッパーの所有となるので、役場オフィス・タウンホール・村の商店・広場の建設費を自治体が25年にわたってディベロッパーに返済する形となる。
入札を最終的に提出したのは1社だけ。そして、その1社の提示した返済モデルの金額は?
入札はこの地方で公共建築や集合住宅を手掛けるディベロッパー3社を招待し行われた。
そして、ここから、雲行きがなんとなく「きな臭く」なってくる。
入札の締め切りの日、村から電話があり、こういわれた。
私たちは、「これじゃあ、入札の意味なさないじゃない…」と思ったが、理解もできた。
シンプルないつも同じような設計の公共建築や集合住宅を建てることしかしたことがない地元の業者ばかりなのだ。したことがないものにチャレンジするのは、儲けにならないと考えたのかもしれない。
そして、ウィーンなどの大都市で建てているディベロッパーは、規模が小さいのと、田舎なので、参入の興味がないのだ。
そして、唯一、提出してくれた業者のオファーが開封された。そのディベロッパーの提示したのは、
私たちが見積もった予算より30%以上高い金額だった。
そこで、私たちが建築家としてやったこと。
入札の前に建築家はその設計案の予算を算出する。実際の業者の提示値段は入札を行ってみないと分からないので、この時点で私たちが予想する予算額 は目安とされ、実際の最終工費のプラス・マイナス30%の範囲であれば良いとされている。
この業者が提示した金額はプラス30%の最高限度にまで達している。
さあ、どうするか。
まず、私たちは、村長に、この業者が不当に価格が高いことを、専門家として提言した。
1社しか入札を提出していない。競争がされていないのだから、当たり前だ。(まるで、この業者はそれを知っていたかのように…)
そして、私たちは、集合住宅以外の自治体に所属する建築開発部分に関して、このディベロッパーを使わない方法を選択できる可能性を村長さんに提案した。
つまり、村はディベロッパーに借金をするのではなく、彼らを頼らず、自力で資金を調達してこのプロジェクトを建設するということである。
こうすれば、工事業者の選択が自由になる。
でも、これには、2つの高い峠があった。
ひとつは、この村に低金利で融資をしてくれるところを村長さんが探さなければならない。この際には、その自治体がどれだけ信用度があるかが厳しく審査される。信用度が高いほど金利が安くなる。
ふたつめは、このディベロッパー(でありゼネコン)と工事契約をしない正当な理由を提示できるか、どうか。ようするに、不当に価格が高いことを証明できるかどうか。
そして、そのために、私たち建築家が、すべての工事種別に、もう一度、入札を行った。土木・基礎工事、躯体工事、電気工事、設備工事、屋根工事、防水工事、木工事、左官工事、内装工事…それが3つめの一番高いハードル。
すべて、地元の業者で入札を行った。都会からゼネコンなどを連れてくる気はなかった。
そして、地元業者での個別入札で出た総工費は、私たちが基本設計で算出した価格とほぼ同じだった。すなわち、例のディベロッパーの提示価格より30%以上安かった!
村長さんの出した答えは?その時、ディベロッパーの社長に叫ばれた言葉。
その結果を見て、村長さんは行動に出た。
財政運用において信用・実績のある自治体にのみ許される融資を取り付け、ディベロッパーに頼らず、村は自力でプロジェクトを建設することにした。
あとは、例のディベロッパーへの契約をしない旨への通達とその理由の説明。私たちの事務所も会議に出席した。私たちが、地元の業者で工事種別に行った入札金額が彼らより30%以上安かったことを説明しなければいけないからだ。そして、それが理由で、彼らと契約することはできないと。
この業者は、ここ南ブーゲンランドで一番工事を行っている業者だった。
鉄道も廃線になり、土地もオーストリアで一番安い南ブーゲンランド州。この安い土地を買って、集合住宅をあちこちに建てているのがこのディベロッパーだった。
ちょうどバブルのころに、郊外の畑や田んぼを宅地化して建売住宅がにょきにょき立った日本と似ている。
ただ、この業者には、誰にも見向きもされない南ブーゲンランドの田舎の土地を買って、少しでも価値を上げてあげているんだ、ブーゲンランドを助けてやってるんだ、という自負があった。
でも、彼らの建てている集合住宅は、皆同じで、安い工費の集合住宅だった。ブーゲンランド州内でもそれに気づき、問題視している政治家や建設業者はいたけれど、皆口を閉ざし、長いものに巻かれていた。
ブーゲンランド州の新聞の建設欄に必ず出ている、このディベロッパーの社長さんは、この会議の席で、村長さんに、提示値段が不当に高いことが証明された理由から契約はあげられないと告げられた時、それを証明した私たちに向かってこう吐き捨てるように言った。
自力での2人3脚
かくして、村長さんと私たちの、プロジェクトを実現するための2人3脚の現場が2020年夏にコロナ禍の中で始まった。
工事中もコロナをはじめ、波乱万丈の連続と言えば、連続だったが、今年2021年秋、無事に竣工した。5年にわたるプロジェクトがとうとう実現したのである。
さて、村人の(そして私たちの)気持ちをこめた結果はそんな形になったのか。人々はこのプロジェクトを、そして私たちを受け入れてくれたのか。
それを、次回(最終回)に書こうと思う。
*************************
今回も最後まで読んでくださりありがとうございました!また、いつもスキ!をしてくださる皆様、本当にうれしいです!次回はとうとうグランドフィナーレ!次回、またここでお会いしましょう!ウィーンより
#オーストリアの田舎 #建築 #地方創生 #私の仕事 #建築家 #地域づくり #ワイン村 #ワイン畑の村のプロジェクト #建築事務所 #建築家の仕事 #地域づくりワークショップ #住民参加
#ゼロウェイスト 記事まとめに追加されました!
#気になるライター広報・人事・代表・主宰・作家方々をBM‼ に追加されました!
MIYAKO NAIRZ ARCHITECTS ホームページ
Instagramオーストリア・ウィーンの日常を記しています
twitter ウィーン通信ー今日の新聞から
MIYAKO NAIRZ ARCHITECTS online ウィーンより暮らしとインテリアの講座をお届けしています【只今ウィーンのクリスマスをプレゼント中☺】
この記事が参加している募集
応援ありがとうございます!今後も素敵な記事をウィーンから投稿させていただきます。一緒にウィーンを散歩して下さい!クリスマス中の応援は寄付に使わせていただきます。