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「生きててね」という愛、「幸せになってね」という贖罪


mioさんの記事を読んだ。I love youを日本語訳するならなんと訳すか、というテーマだ。



傷口から絞り出した愛

私が人生で一度だけ贈られた、痛切なI love you。それは「生きててね」だった。

恋人を振ったことがある。電話越しの別れ話はすんなり終わった。私が「あなたとの関係に刺激がほしかった」と言い、元恋人は「自分はそういう刺激を与えられないから、仕方がないよね」と言った。そうして私たちは終わった。

私の家に置いてあった彼の私物を渡すことになり、新宿駅で待ち合わせをした。以前一緒に食べた、スイートポテト屋を目印に。
私たちは二、三ことばを交わした。どちらも泣かなかった。それで終わると思った。

最後に元恋人は、「生きててね」と言った。「死なないでね」と。

私が双極性障害で苦しんでいるのを彼は知っていた。自殺を考えたことがあるのも話していた。

だからこその「生きててね」だと思った。

でも今だからこそ思う。彼は誰にでも「生きててね」と言っただろう。
もうこの相手、一度は愛した相手に、今後一生に渡って関わることはない。だから自分は二度とこのひとを救うことができないという、諦め。その大きな傷口から必死に絞り出したことばが「生きててね」だったのだと思う。

贖罪を許してほしい

私は彼をまだ愛しているのかもしれない。痛烈な痛みを帯びた、愛。

彼にことばをかけられるなら、そんなことが許されるなら、I love youのかわりに「幸せになってね」と言うだろう。
「生きててね」ということばを絞り出してくれた彼。優しいひとだった。そんなひとを傷つけてしまった痛烈な自責の念。申し訳のなさ。その痛み。

「幸せになってね」は、二度と彼に関わってはいけないという自戒を込めたことばだ。私は彼を幸せにすることはできないと、私を彼からできるだけ遠く突き放すことば。

私のことなんて忘れて、幸せになっているはずである。私に幸せを祈られる必要なんて、彼にはない。自分のエゴがいやになる。

それでも、ふとした瞬間に彼の幸せを祈る。新宿駅のスイートポテト屋の前を通るとき。中央線の駅名を目にするとき。彼とお揃いだったマグカップを手にするとき。
そんなとき、「幸せになってね」とつぶやくことを許してほしい。エゴに満ちた私の贖罪を。


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