顔も知らない誰かにとって僕はもうヴィラン

ツイステにハマりそうな予感がします。まだちゃんと知らないけど、キャラデザが『黒執事』の枢やな先生の時点ですでにやばい。好きすぎる。原案とメインシナリオも枢先生らしい。好きすぎる。(2回目)

なんせわたしはファンタジーが好き。わたしが人生のいちばん最初、小学1年生のときにハマった小説はかの有名な『ハリー・ポッターと賢者の石』。それからすぐダイアナ・ウィン・ジョーンズ(彼女はジブリの『ハウルの動く城』の原作の作者でもある)の『クレストマンシー』シリーズに激ハマりし、小学3年生から『ダレン・シャン』シリーズにどっぷりと浸かってきた。『ハリー・ポッター』シリーズは新刊が出るたびに親にねだって買ってもらい、全巻家にある。上に挙げたどの本も、未だにときどき読み返す。

異能がある、という設定が好きだった。魔法が使えるとか、吸血鬼であるとか。特に、これまで平凡だった子供が、後天的に異能を手に入れる(もしくは眠っていた力が目覚める)という話が好きだった。自分の欲望を重ねていたのだろうと、今になって思う。わたしは、そのころからなにか特別な力が欲しかったのだ。わかりやすく、すばらしい、他の人とは違う力が。

当然、魔法学校に通いたかったし、姉のものだと思っていた膨大な魔力が実は自分のものだった(姉はその力をマッチブックに閉じ込め、勝手に借りていた)と気づきたかったし、全校生徒の靴を魔法で体育館に集めて、大騒ぎさせたりもしたかった。クレストマンシーに会いたかったし、欲を言えば自分がなりたかった。

それが叶わないと、ほんとうにわかったのはいつごろだっただろう。そりゃずっと、読みながら、そうなれないのはうっすらわかってはいたけど、ほんとうにわかったのは? 高校生のときか、大学に入ってからか、社会人になってからか。もう、思い出せない。わたしってかなしいほどToo Young(©️「Too Young」突然のB'z)だったし、ここから君入れないと笑われて(©️「未成年」突然のB'z②)たはずだったのに、いつのまにこんな、大人になってしまったのか。

しかし裏を返せば、現実世界で魔法使いになれないとほんとうにわかってしまったからこそ、本やゲームの世界がより魅力的に輝く、ともいえる。これも一種のギャップ萌えというやつである。現実との落差。とりあえずツイステをダウンロードしてみます。わたしも魔法使いになりたいんだよ。ツイステの主人公は魔法使えないらしいけどね。非凡の中の平凡。これもまた一興。などと。

(今日のBGM)
てにをは「ヴィラン」


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