あの子と月を見ていた【ジャニオタのガチ恋から美について考える】

推しと結婚したい気分2019って感じです。10月は毎年言ってるなー。恋狂いが起こるのはきまって秋。好きなんだからしょうがない。今逢いたいからしょうがない(©️ジャニーズWEST)。

これはもう完全にいいわけだけれども、わたしは占い師のしいたけさんの色占いで、「全色のなかでゆいいつ、現実に接する相手ではない人(伝説上の人とか、二次元とか、アイドルとか)に恋ができる人」と太鼓判を押されて(?)いる。「そ、そ、それでいいのか?」とちょっと慄いたが、あとからかなりうれしくなった。そうか!これ、恋って言っていいんか!という、よろこび。

子どもの頃はみんなけっこうそういうことをして遊んでいるが、年齢が上がるにつれて年相応に中身が成熟し、現実の相手に恋の焦点を移してゆく。
しかしわたしは、いつまでも自分が作った夢のなかで遊びほうけていてへいきなたちらしい。つかだ、如恵留くん、健翔くんに結婚してくれ、と思っているくらいだし。万一のことがあったらわたしが食わせてあげるからさー、と。

そういえば、醜男が綺麗な女の人をもらう話はむかし話にも現実にもあるのに、醜女が綺麗な男の人をもらう話は現代にもほとんどないよなあ、と思う。自分のことは、正直醜女とまでは思わないけども、むろん美人でもない。なにごとにつけゼロか100か、という極端な性分であるわたしは、思春期を超えてからずっと自分の外見に対して不満をつのらせている。どうせ美しく生まれなかったなら、こんな極端な性格でなければよかったのかもしれんけど、生まれてしまったものはしかたない。

ああ美人に生まれたかった、と思うこともときどきあるが、美人の友達ができてみると、美人もいろいろ大変らしい、とわかった。その一番は、好きでもない男のひとに好かれる、ということだ。それをうらまれないようにあしらうのはいかにもめんどくさそう。それを愚痴ろうにも、ひがみっぽい女子に話そうもんなら「モテ自慢」と受け取られて、お門違いな陰口をたたかれるはめに陥る。ダブルでめんどくさい。わたしのようなめんどくさがりにはきっと美人業は無理だ。

外見でつるむひとを選んだりはしないが、わたしも美人は好きだ。みていて気持ちがいいし、なにより、だいたい性格がいい。性格が悪い美人もごく稀にいるけど、なんかこう、突然変異みたいなもので、だいたいの美人は性格がいい。
きっときれいなひとに対してはみんな態度が優しくなるので、優しくされ続けると人は優しく育つんだろうなと思う。良い話だ。

だから、男のひとが美人を選びたい気持ちも痛いほどわかってしまう。根性がひん曲がってる確率が低いものな。こんなこと男のひと言わん(もしくは気づいてない)だろうけど。根性悪じゃないっていうのは、たとえば結婚をして共同生活を送るうえでもすごく重要なことだ。

男のひとは顔がきれいでも、すごく意地悪だったり死ぬほど性格が暗いひともいる。顔がきれいだっていうことは、男社会では誰もがひれ伏す切り札にはならないからだろう。女と決定的にちがうのはそこだ。女は美人なら、誰もをひれ伏せさせることができる。美は、女社会においての絶対的な価値だ。

推しと結婚したーい、なんてポンチなことを言いだしたときに、わたしの頭をかすめるのはそういう事柄だ。美人じゃないと、ものの数にすら入れないだろうということ。ああいう上等の男を手に入れるには、わたしの外見はあまりにも凡庸すぎる。しかもこんなこと長々と文章にしちゃってるし。わたしが男なら引く。絶対に知られてはならぬ。決意あらたに、秋の夜。長い夜。

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