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【小説】Little Black Summer

ひと夏を生き抜くのに必要なのは、無謀さだ。

無謀がひとのかたちを成している綜一さんが、それを教えてくれる。言葉ではなく、生きざまで。

いまだってこのひとときたら、黒のタンクトップにブラックジーンズ、8ホールの黒のドクターマーチンという、見てるだけで周辺気温が二度は上がりそうな黒ずくめの恰好で、パイプ椅子の背もたれに体重を預けて全力で脱力している。ゆるいパーマのあてられた、肩まである赤茶の髪。口の周りには無精髭。剃ってよと言えば剃るが、たまにほんとうに面倒くさいのか、そのまま舞台に上がることもある。それがまた女性ファンにウケるのだ。年季の入った元グルーピーのお姉さまがたには、とくに。このひとは、「日本のバンドマン」の見本として、およそこれ以上ないくらいの完璧な例だとも思う。歳を取ろうが一向に変わらぬ印象を与えることが出来るのもひとつの才能だろう。へびみたいに細い目をした、小づくりの地味な顔をしているのも、一役買っていると思う。あんまり目が大きかったり派手な顔立ちだったりすると、若い頃はいいけれど年を食うと皺やたるみが顕著になり、そのぶん、老いがめだつのだ。

「水」

わたしはそのひとことにさっと立ちあがり、自分の腰くらいまでの高さしかない冷蔵庫からエビアンを出して、投げた。とっさに綜一さんは右手を伸ばしたが、無念、ペットボトルは、綜一さんの骨と皮だけのお腹に当たってから床に落ちた。べこ。まぬけな音。

「宵子」

男性としては高音の淡い音色の声が、唸るようにわたしの名を呼ぶ。私はたまらず吹きだした。

「きょうこそはいけるかと思ったんだもん」
「いけたことがあったかよ」

わたしは今度こそ声をたてて笑う。わたしの声は女にしてはだいぶ低くて、あまり若い娘らしくはひびかないのだが、ともかく。

「暑」

わたしは自分用に冷やしておいたポカリスエットを冷蔵庫から取り出して呷る。開演まであと二時間。もうじき今回のライブのサポートメンバーであるベースのシゲフミさんと、ドラムのCOCOROさんが大阪から遠路はるばる、やって来るころだ。きょうのわたしは胸の部分にゴシック体に似た角ばった書体の黄色い文字ででかでかと「SID&NANCY」とプリントされた黒いTシャツに、古着屋で見つけたWORLD WIDE LOVE!の黒のサルエルを合わせ、くるぶしより少し長い丈のストライプのシースルーソックスに、ダブルストラップの黒のメリージェーンを履いていた。綜一さんの恰好を見るからに暑い、などとのたまったわたしも負けず劣らず、黒ずくめなのだった。シドとナンシーのTシャツは、綜一さんのお古だ。なんでもこれはアメリカからの輸入品だかなんだかで、ネットオークションではかなりの高値がつくような代物らしい。これは綜一さんからではなく、このライブハウスのオーナーである高牧さんからきいた話だ。綜一さんはそういう世俗的な話からは見放されているふしがある。
このメリージェーンも、今年の誕生日に綜一さんがプレゼントしてくれたものだ。マーチンショップの正規品で、おどろくべきことに、サイズがぴったりだった。あとできいた話だが、父にわたしの足のサイズを訊ねていたらしい。綜一さんのまめさが発揮されるシチュエーションは、わたしには予測不能である。休日はもっぱらこれしか履かない。お義理でじゃない。超かわいいから。
意外にも人並みに子供を可愛いと思う心は持っていたらしい綜一さんは、自分が二十七になった年に突如現れた、実の兄の娘というだけで特段うつくしくもかわいらしくもない子供であったわたしを、それなりに許容しそれなりに言うことをきき、きまぐれに物や知識や音楽なんかを与え、適当に可愛がった。
変ったひとだと思う。音楽好きのあいだではまだまだ根強い人気のあるアーティストであるくせして、少しの気取りもみせない。挙句の果てには姪であるだけのただの高校生に、こうして自分の楽屋に出没するのまで黙認したりして。いやしかし、目のまえで滴る汗を拭うこともなくだれている綜一さんが、本来は叔父さんと呼ぶべき相手なのだ、と思うと可笑しくなる。そのいかにも血族的なにおいのする呼称は、このひとにはまるっきり似合わない。

「あの曲、やる?」

わたしの言葉足らずの質問には慣れっこの綜一さんは、わたしが質問を自分で補足するのを待っている。なにを? なんて、間違ってもきいてはこない。

「真夏の恋のやつ」

 曲名を忘れて苦しまぎれに訊くと、綜一さんはあくびをしてから、

「もっと早くリクエストしろや」

と言った。夏のライブなのに、やんないんだ。そのほうが意外。そう思ったけど、言わずにおいた。シロウトが口出すことじゃない。そう思ったからだ。これはわたしのお父さんが綜一さんについて話すときの口癖というか、決めぜりふみたいなもの。四年制大学をストレートで卒業して、二十三歳からいままでずうっと地元の水道局に勤め続けている、真面目一徹のサラリーマン。二十五歳で家庭を持ち、今年社会人になった息子と来年の春には大学生になる予定の娘を養育し、聴くのはサザンと小田和正、という、綜一さんに言わせれば「真人間」。そんなお父さんらしいせりふだと思う。
お父さんは、自分とは根本的にちがう性質を持つ弟のことを、否定するでもなく理解に努めようとするでもなく、ただ真正面から、受け入れていた。そのせいか、性質も性格もまるで似ていないこの兄弟の仲は、不思議なほど良好である。

「リクエストしてたらやったの?」

つい気になって訊ねてしまう。努めてなんでもなくきこえるように。爪なんか眺めながら。

「候補にはする」

かったるそうに返され、わたしは即座にそれ以上の発言を差し控える。
綜一さんは、別におこっているわけではない。ただ、答えを考えるのが面倒くさいだけだ。わたしはナゼナゼドウシテが激しい子供ではなかったが、重ねて質問すると綜一さんは返事をしなかったり、ふいにその場から居なくなってしまったりしていたので、その経験から学習したのだった。

「おまえめしどうするん」

 今日は土曜日なので、オープン六時のスタート六時半だ。アンコールも入れてだいたい二時間ちょっとになるはずなので、何か食べておいたほうが確かにいい。

「モス買ってきて」

 綜一さんは言いながら椅子から落ちるみたいに降りて、床に放り出してあった鞄から、くしゃくしゃの一万円札を取り出した。モスか。ひさしぶりだな。頬が自然とゆるむのを感じる。月のお小遣いが三千円の高校生にとって、モスは贅沢品だった。

「なにがいい?」

 地下鉄の最寄り駅と、このライブハウスのちょうど真ん中あたりの距離にあるモスの店を思い浮かべながら、わたしは伸びをして訊ねる。

「ホットドックとポテトとメロンソーダ」

 即断即決。綜一さんが食べ物で悩んでいるところを、わたしは生まれてこのかた見たことがない。

「応」

 簡潔にこたえて、わたしは勢いよくドアノブをまわして廊下にでた。勢いが良すぎたのか、蝶番のところがぎい、と軋んで音を立てる。きこえなかったふりをして、勢いは変えずにドアを閉めた。

 お昼どきも夕飯どきも外れた中途半端な時間なだけあって、店はすいていた。わたしは綜一さんに言われたとおりのものをまず頼み(ポテトを頼む段になってからサイズを聞き忘れたことに気づいたので、とりあえず大きいほうにしておいた)、自分用にはチリドックとオニオンリングとオレンジジュースを選んだ。わたしと綜一さんは、わりと食の好みが似ていると思う。オニポテではなくオニオンリングにしたのは、綜一さんが十中八九、途中でポテトとオニオンリングを交換したがると踏んだからだ。ちなみにジュースも同じ理由である。チリドックはわたしの趣味だが、お互い長いウインナーが大好物なので、それを寄越せとは互いに言わないのが暗黙の掟みたいになっている。

 いかにも関係者でございという感じのシール型のバックステージパス――Tシャツの右肩のあたりに貼っつけてある――を警備員に見せ、裏口から早足で廊下を進むと、ギターの複雑な音色が聴こえた。猫のような、少年のような、あまくなつかしく、ひとの琴線をゆさぶる歌声も。
ドアの前につっ立って、その音色と歌声に耳を澄ませた。わたしが入っていっても、表面上、綜一さんは素知らぬ顔でギターを弾き続け、歌い続けることだろう。でも、この無防備な声はうしなわれてしまう。根っからのアーティストなのだろう、たとえたった一人だろうが血縁だろうが、「観客」がいるまえでは、どうしても、喜ばれるようにうたってしまうのだ。それをあのひとが自覚しているかどうかはわからない。でもどちらにせよそれは、ひどく尊い事実だった。
一曲聴き終えたところで、ドアを開けた。綜一さんはこちらに背を向けた状態で、ギターを抱えてまた別の曲の前奏を弾き始めた。
こちらを振り向きはしないが、粟井綜一の楽屋にノックもせずに入ってくるような人間はわたしをおいて他にはいないはずなので、気づいてはいるのだろう。わたしは袋を机の上にわざとどさっと音を立てて置き、さっそくがさがさ紙袋を探って自分のぶんを確保する。チリドックは箱にシールが貼ってあるのですぐ見分けがつく。
音が止んだかと思うと、ギターを注意深く畳の上に放置した綜一さんがいつのまにかそばにきていて、わたしがしたのと同じようにがさがさと袋を探り始めた。わたしは紙ナプキンを何枚も取り出し、ポテトの下に敷いてあげた。畳のそばには、さっきまではなかったスーツケースがふたつ、壁沿いに並んでいた。一個はレオパード、もう一個はケチャップみたいな赤色。きっとサポートの二人のものだ。しかし姿は見当たらない。

「めし買いにいった」

 つい綜一さんを凝視してしまう。自分の疑問が、自分でも気づかないうちに口から出てしまったかと思ったのだった。綜一さんは知らん顔をしている。このひとは、時々こういうことをするのだ。

「くれ」

 わたしがいいとか悪いとか口にするまえに、綜一さんはいちばん大きいオニオンリングを躊躇なくわたしの袋から引き抜く。わたしも慌てず騒がず、綜一さんのポテトの袋から、いちばん長くて食べでのありそうな一本を引っこ抜いた。

「近くの小学校でこないだ運動会があってさ」

 綜一さんのメロンソーダをのみながらわたしは口をひらく。

「ひさしぶりにピストルの音を聞いた」

 わたしのオレンジジュースをのみながら、綜一さんは視線だけこっちに寄越し、ホットドックにかみつく。

「綜一さん、一回だけ来たよね。そのこと思いだした」

 兄が六年生、わたしが一年生のときだった。黒のタンクトップに薄手の花柄シャツを羽織って、脚のかたちにぴったり沿うスキニージーンズ、足元はビーサン、髪はいまとおんなじようにくるくるに爆発していて、おまけにタモさんみたいな透けない黒のサングラスをしていた。昼間の小学校の運動場では、当然異様なまでに浮いていて、わたしはその異常事態に大はしゃぎしたものだ。自分でもそれはわかっていたらしい綜一さんは不審者扱いされないために、お父さんが張ったタープの下のビニールシートに座り、日がないちにちそこから動かなかった。わたしはいつ綜一さんが帰ってしまうかが気がかりで、何度も自分のクラスの応援席からその姿を確認したものだ。
結局、綜一さんは閉会式までちゃんといて、でもわたしが家に帰るとそこに綜一さんの姿はなく、終わってすぐ帰ってしまったときかされた。当時からわたしほど綜一さんになついていなかった兄は特に何も言わなかったが、わたしはけっこうがっかりした。感想をききたかったのだった。その年、わたしのいた赤組は優勝したのに。

「覚えとる?」

 綜一さんは何度かまばたきをして、それから、ゆっくりうなずいた。ひとというより、動物みたいだ。獏とか、ろばとか。そういう、やさしげな獣。

「達哉は足が速かった。おまえはダンボールに入って進んでくやつがうまかった」

 思いがけず感想が飛び出したので、わたしはちょっと固まる。そんなに詳しく覚えていたとは。まあそれ以降たぶん小学校の運動会になんて行ったことがないだろうから、ほかの記憶とごっちゃになることもなくて、鮮明に覚えているのかもしれないが。

「キャタピラね」

 なにが、という顔で綜一さんがこっちを見遣る。

「ダンボールに入って進んでくやつの名前」

 ああ、と綜一さんはどうでもよさそうに声を漏らし、それからとってつけたように、

「キャタピラ」

と、繰り返した。

ゴミをまとめて紙袋に突っ込み、それをさらにビニール袋に入れて口を縛っていると、ノックがきこえた。入ります、という声が続けてきこえ、ドアを開けて入ってきたのはシゲフミさんとCOCOROさんだった。このふたりは、他のアーティストのサポートでも何度か共演したことがあるらしく、単なる顔見知り以上には親しげだった。シゲフミさんには美人だけど料理がいまひとつな奥さんがいて、COCOROさんは公務員の彼女と同棲している。こんにちは、と立ち上がって挨拶すると、ああドーモ、とふたりとも慣れた様子で笑いかけてくれる。音楽を生業にしてそれでご飯を食べているひとたちというのは、よそ者にはほぼ例外なくやさしい。たとえばシゲフミさんの髪の色は真っ白だし、COCOROさんの唇やあごや眉の上にはいつみても銀のピアスがいくつも刺さっているのだけれど、一度として怖いと思わされたことはない。このひとたちは、客となり得る人間に危害を加えたりはしない。まあ、相手が望めば、その限りではないんだろうけど。

「じゃーね」

なにか言われるまえにわたしは、MEIのメッセンジャーバッグを掴んで退散する。ほかのひとが来たら、帰る。それは綜一さんに言われたわけではなく、自分で勝手にきめたルールだった。楽屋が一人部屋で綜一さんだけのときは、開始時間ぎりぎりまで部屋の隅でパイプ椅子に座り膝を抱えて、綜一さんの準備するさまを黙りこんだまま観察したりするが、ほかのひとがいるときはもってのほかだ。綜一さんはわたしの存在など迷い込んだ犬くらいにしか思わないだろうが、ほかのひとは違う。じゃまになりたくない。わたしは綜一さんにならじゃまに思われてもいいが、わたしが出張ることで綜一さんがほかのひとたちに悪く思われるのはいやだった。もしかしたらすでに何かしら言われているのかもしれないが、仮にそうだったとしても、綜一さんはわたしが来ることを咎めたりしない。だからこそ、だ。

 オープンまであと一時間半。それくらいの時間ならわけなく潰せる。わたしはカフェオレでものもうと、近くの寂れた喫茶店に入った。
わたしは綜一さんが大好きだ、と、紙ナプキンに油性ボールペンで落書きをしながら考える。単純に、わたしは、あのひとのことが好きだった。愛していると言っても不自然ではない。そこに欲望の兆しがひとつも見られないことが、わたしにはなんだか豊かなことに思えた。およそほんとうではないことみたいに。
ネットの掲示板で、先週、興味本位であのひとのファンのスレッドをみた。思ったより見るに堪えないものだった。スレッド全体に散りばめられていたのは、女の欲望。壊されたい。ひどくされたい。犯されたい。あのひとのファンのコア層である四十もとうに過ぎた女たち(たぶん)の、匿名ゆえのとどまることのないむき出しの欲に、最後まで読むころにはいっそ清々しささえ覚えたのだが、実体のあのひとのそばに居続けたわたしからしてみれば、あのひとはそういう禍々しさからはかなり遠い人種であると思う。それゆえに性的なのかもしれないが。
さいきんのソウイチは枯れた、むかしは凄かった、というのはファンのあいだの共通認識らしいのだが、すくなくとも物心ついてからの十数年間、あのひとを見てきたわたしが感知できた範囲では、あのひとが女に夢中になっているさまなどついぞ見たことがない。かわいそうになあ、と思う。綜一さんも、綜一さんを好きな女たちもみんな、不幸だ。
わたしは自分の鞄から、谷崎の「春琴抄」の文庫を取り出してひらいた。何年か前の夏に出た特別装丁のもの。赤一色のカバーには青の光沢ある文字で、谷崎潤一郎、春琴抄、とプリントされている。わたしは読書が好きだ。つい先日推薦入試に受かった大学では、当然のように文学部を選んだ。純文学を研究してみたいと思っている。学問としての文学に興味があるのだ。それが面白いのかつまらないのか、自分に向いているのかそうでないのか、そういう、単純なことを知りたかった。
ふと思い立って、新しく出した紙ナプキンに、あわいよいこ、とひらがなで書いた。そうしてみて、自分の名前というのはやはり皮肉だな、と改めて思った。勉強はそこそこできたが決して真面目な性質を持っているわけではないわたしが、よいこ、だなんて。なんだか自分の存在自体、壮大なジョークのように思えてくる。両親は至って真剣につけてくれたのだけど。確かに字面に関してはかなり気に入っている。粟井宵子。収まりが良い。非情なまでに良い。せめて読みかたをしょうこにしてくれたらカッコがついたのになあ、と意味もなく考えたこともある。でもまあ、綜一さんに「よいこ」って音を口にさせるのは個人的に面白いし、それが自分の名前が存在することでいとも簡単に叶えられるのなら、自分のこのジョークのような名前にも価値があるように思える。ついでに、あわいそういち、と書いてみた。自分の名前の横に、縦書きで。漢字もいいし音もいい。おじいちゃんはいいセンスをしてたんだな、と思う。わたしが生まれる前に死んでしまったおじいちゃんも、かなりの読書家だったらしい。わたしが本を読んでいると、綜一さんはよく、親父そっくり、と言った。嬉しそうでも、いやそうでもなく。
ふと思い立って、二つ並んだ名前の上に、相合傘を描いてみる。おなじ名字での相合傘って妙だな、というのが、わたしの感じたすべてだった。声はださずに笑って、わたしはそのナプキンを、一枚目のものと同じように、畳んで捻ってソーサーの上に置いた。

読者諸賢は首肯せらるるや否や という、読点なしで終わる最後の一文まで読み終えてから腕時計を見ると、オープンの時間を十分ほど過ぎていた。わたしが持っているチケットは三百番台なので、いまから向ってもまだ呼ばれていないはずだ。わたしは本をしまい、さめたカフェオレを飲み干してから席を立った。

 二百番、二百番までの方お呼びしてまーす、と、紺のニューバランスを履き赤いソックスをスキニーパンツとのあいだに覗かせた男性スタッフが、ライブハウスの入口で声を張り上げている。案の定だ。二百五番、二百五番までの方入場できまーす、と、片手にペンライトを持ってチケットの番号を確認しながら、着実に客をさばいていく。
自分の努力次第で最前近くまで突き進めるオールスタンディングといえど、整理番号二桁台前半と三桁ではアドバンテージが違いすぎる。特にファンクラブ先行のない綜一さんみたいなアーティストの場合、整理番号の良しあしというのは運試しみたいなものだ。番号が早いと天に昇りそうになるし、遅ければ少しでも前に行くためにライブハウスのではなく駅構内のコインロッカーに荷物をぶち込んでおき、入場と同時に早足で入りこみ、出来る限り前の位置を確保する。体格のいい男のひとの近くを避けるのもかなり重要だ。興奮に任せて突き上げた拳に他意無く顎を殴られたり、肘が肩や胸に入ったり、タックルのように肩からぶつかられたりすると痛みで一瞬息が止まったりして、演奏に集中できなくなる。もちろん前に行く時点で大抵のことは覚悟しているし、騒ぐこともない。が、相手が若い女だろうが関係なく、怪我させるのが目的としか思えない感じで肩からタックルしてくるおっさんも、綜一さんのライブには一定数、いるのだった。モッシュという言葉も知らなそうな、加減知らずでぶつかってくるおっさん。女のひとにぶつかられてもそこまでダメージが残らないことを鑑みると、男のひとっていうのは力が強い生き物なんだなあ、と、恋人がいたことがないわたしはこういうところで実感するのだった。
綜一さんのライブのチケットは、自分で申し込んで取ることに決めている。言えばたぶんくれるんだろうけど、言うつもりはなかった。ていうか、整理番号付きのチケットのときって、身内呼ぶときどうするんだろう。今度きいてみよう。そんなことを考えているうちに、三百十番までの方お呼びしてまーす、という声がきこえ、三百八番のわたしはほとんど小走りに入口へと向う。この瞬間は最高だ。沸き立ってしまう。どんなときでも。
約五百人収容できる会場の前半分はすでにほとんど埋まっていたが、そこは一人で来ている痩せた女の特権とばかり、人の隙間を縫って前から五列目くらいの位置を確保する。勿論、綜一さんのマイクが置かれた上手側である。舞台から一番遠い後方のバーカウンターの付近は一段床が上がっているので、まあ酒でも飲みつつゆっくり見ますよ、みたいなスタンスのひとたちはそこにたむろしている。わたしはまだそういう落ち着きを持てないので、いつまでも逸る気持ちを胸に少しでも前に、と願ってしまう。痛みで息が止まろうが、どうしても、少しでも近くで、舞台のあのひとを感じていたいし、案じていたいとも思ってしまう。おぞましいくらいもてるくせに天涯孤独みたいな風情で、だれのことも心からは信じずに生きてきましたという顔をしている、いつまでも飴細工みたいに、次の瞬間には溶けて砕けて壊れてしまいそうな雰囲気を撒き散らす、粟井綜一という男を。
だって、わたしは彼にとって、いまのところこの世でたったひとりきりの姪なのだ。あのひとの血が混じるなかで、もっとも若い存在。しょうがないから、見届けてあげようと思っている。どうやったって順番的にはあっちが先に死ぬはずだ。だから、それまでは。誰にも話したことなんてないけれど。

セッティングSEとして流れていたUAの黄金の緑が、二番の頭で中途半端にフェードアウトする。それとほぼ同じくして、照明が暗転する。年季を感じる嬌声と、野太い歓声が上がる。来る。わたしは後ろから押されたその勢いで、四列目くらいにぐいぐいと体を食い込ませる。
やがて大音量で流れ始めたハイポジのナミダハボーリョクの前奏が終わったあたりで、COCOROさんがスティックを持った左手を突きあげながら現れる。拍手と指笛と、フゥー! という野太い声。次いでシゲフミさんが、こちらになんのアピールもすることなくすたすたとステージを横切り、ベースを受け取って適当な音を出す。
愛してないから泣くんだよ、というサビの部分で、謀ったように綜一さんが現れる。ひときわ大きな歓声と、高くなる拍手音と、ソーイチさーん! ソーイチー! という男女混合の叫び声。わたしは無論無言で、瞬きすら惜しんで舞台上をみつめながら、ほとんど機械的に両手を打ち鳴らす。光沢のある黒のシャツのボタンは三つ目まであいていて、その下が素肌であることを観ている者に知らしめている。パンツはスキニーなことには変りないけども、ポケットに銀のジッパーがついた革素材のものに履き替えられていた。靴は変らずドクターマーチンの8ホール。歓声にこたえるように一度だけ軽く右手を挙げてから、綜一さんはスタッフからギターを掛けられて、何度か試すようにジャキジャキした音を鳴らす。そのうちいつのまにか背後からSEは消え、エフェクターで増幅されたギターの残響のなかで、ドラムのスティックが四回、鳴る。
それは綜一さんがかつて組んでいたバンドのシングル曲だった。それを合図に、興奮した人の塊が一気に後ろから押寄せてくる。いいぞもっと来い。わたしは曲に合わせて体を上下に動かし、少しずつ少しずつ前進した。周りの温度が上がる。頭を振ったり、手を挙げたり、がなるように歌ったり。銘々、それぞれのやりかたで、暴れはじめる。
ソロ名義でもう幾つもアルバムを出し、その都度こうして各地のライブハウスを回ったりもしているのだけれど、綜一さんはかつてのバンドの曲をやることにためらいを見せない。おれがやらないと勿体ない、と、以前雑誌のインタビュー記事で話していた。わたしは立ちいった話は知らないが、解散の理由は喧嘩別れではなかったのだという。その証拠に、のちに綜一さんはそのバンドのドラマーとベーシストと、別々のバンドを組んだりしている。

 “夢で死んだあのこは丁度十歳 出遭ってしまったと誰かが言う 嫌いだ 君のそんな顔 愛してるって言ってくれ“

愛してるって言ってくれ、と後半、狂ったように繰り返すこの曲が出来た頃、わたしは、確かに十歳だった。もしかしたら、家族もそのことに気づいていたかもしれない。でも嫌な感じじゃなかった。それはよく覚えている。
確かめることはしなかった。でも、わたしの曲だと思った。
忘れもしない。わたしの十七歳の誕生日。綜一さんは夕飯を食べにやってきた。小指に嵌めていた、銀のアーマーリングを、軽い気持ちで「ちょうだい」と言った。食事のあと、わざわざ庭に出て持参の携帯灰皿で一服していた綜一さんに。綜一さんはうんともすんとも言わないまま煙草を根元まで喫いきって灰皿で揉み消し、家の中に戻った。わたしはその煙の匂いを深く吸い込んでから、その後を追って中に入った。
駅まで送るというお父さんの申し出をあっさり受けた綜一さんは、後部座席に乗り込む寸前、見送りのわたしに丸めたティッシュを渡してきたのだった。そしてさっさとドアを閉めてしまった。あっというまに走り出した車を目で追うことも忘れて、その重さにまさかと思って広げてみるとそこには、思ったとおりのものがあった。わたしはそこで初めて、本当の本当に嬉しいと、何も言えなくなるのだと知った。
綜一さんの右手の小指に嵌っていたそれは、わたしの指では薬指にしかぴったり嵌まらなかった。それも、利き手ではない左の薬指にしか。わたしはそれに、特別な意味を持たせようというつもりはない。綜一さんに、そんな作為があろうはずもない。ただの気まぐれ。喜ばせようという意識すらなかったかもしれない。

ただ、綜一さんは自分で思っているより、わたしのことが好きなのだと思う。

「ただいま」

 綜一さんの一言に、方々から、おかえりー! という声が飛ぶ。綜一さんは下を向いて笑う。ぞっとするくらい好い男だ。舞台に立っているあいだ、綜一さん神憑った美しさを発散する。惜しげもなく。美しさは、罪だ。こんなばかげたせりふを、はっきり真実だと思う。いま、この瞬間。

 言葉すくなに次の曲に進むのはいつものこと、結局その「ただいま」以外には一言も発することなく、綜一さんのギターが、聴いてる人間の心臓を残らず刺し殺しそうな切なさで鳴る。
わたしは坊主頭の背の高い男のひとと、綜一さんのコスプレみたいな服で全身キメているらしきパーマ頭――似合ってるけどすっごく邪魔――の男のひとの頭の隙間から、綜一さんの顔と、コードを押さえる指とを食い入るように見つめていた。もっとも顔のほうは、パーマでぐちゃぐちゃの前髪に遮られてほとんど判別不能だったけども。

アンコールまで終えてきっかり二時間。みんながドリンクチケットを手にバーカウンターに向う。このライブハウスのいいところの一つはハイネケンが置いてあるところだ。ふだんは酒なんかのまないけれど、良いライブが終わったあとには、お酒が必要になる。そもそも音楽と酒というのは切っても切れない仲なのだと思う。その証拠に綜一さんの楽屋に行くと、たいてい誰かが買ってきた発泡酒とかウイスキーとか梅酒とかいいちことか、もっとすごいとトップバリュの四リットルの安焼酎とか、が、冷蔵庫やら壁沿いやら机の上やらにどかんと置かれている(散乱しているときもある)。それもあって、わたしはライブが終わったあとの楽屋には滅多にいかない。ごくまれに、メールや電話で呼びだされるとき以外は。

『カッコよかった。帰るね。』

いつ見るのかもわからない――何せ綜一さんは未だにガラケーで、ラインなんて始めるそぶりもない、だから既読かどうかも知ることが出来ない――、返事が来るかもわからない簡潔なメールを送り、わたしはのみおわった缶をゴミ箱に入れ、出入り口でフライヤーの束を貰って外に出る。蒸し暑い。粘っこい熱気を孕んだ空気。こりゃあ熱帯夜だな、と思う。駅構内のファミリーマートでファンタグレープを手に取りながら、乗り換え検索のアプリをひらく。何時に最寄りの駅に着くかということを調べて親に送り、地下鉄とJRを乗り継いで家に帰らねばならない。その最寄りの駅には心配性の両親のどちらかが車で迎えにきてくれるはずで、わたしはさきほどのハイネケンの気配を消すために、味の濃いものをぜひとも飲まなければと思ったのだった。一分も経たずに母が、了解の旨を伝えるスタンプを送ってくる。どうやら今日は母が来るようだ。

このまま死ねたらいいのにな。

親不孝丸出しの願望が頭をよぎり、不謹慎さに笑う。そんなの、あまりに軟弱すぎる。でもこれって本音だよね、と脳内でもうひとりの自分と会話する。そりゃあ本音だけど、本当のことならなに言ってもいいわけじゃないでしょ。でも幸せだよ、このまま死ねたら。利己的な快楽主義者と、抑制的な常識人が言い争っている。
あーあ。わたしってなんだってこう、ごく普通のことしか思えないんだろう。

イヤホンを耳に入れながら「粟井綜一」と検索し、全曲シャッフルで流す。わたしは粟井綜一が作る曲が、あのひとの歌声が、好きだった。綜一さんは新しいシングルやアルバムが出来ると、うちに来て直接渡してくれたり、それが出来ないときは郵送してくれたりと、律儀にも何かしらの手段を講じてわたしにそれらを渡してくれるのだったが、わたしは少ないお小遣いのなかから何とかして捻出し、時間がかかってでも自分でもう一枚(初回限定盤や通常盤など、仕様が違えばそれも)、必ず買うようにしていた。好きなものにはお金を落とさなければならない。あのひとが、歌う場所を失わないために。そんな理由でそんなことをしているとは、口が裂けてもあのひとに伝えるつもりはないけども。
だって、お金は平等だ。わたしが未成年でも学生でも、そんな背景や肩書とは無関係に行使できる、絶対的な力。かっこつけた言いかたをするなら、わたしはあのひとの居場所を守るためにお金を使いたいのだった。
わたしは鞄から化粧ポーチを取り出し、そこから件のアーマーリングを出して、薬指に嵌めた。とたんに、爆発的な多幸感に包まれる。これを貰ってからというもの、わたしはこれを、どんなときでも持ち歩くか着用するかしている。家にいるときはお風呂以外、学校はアクセサリー禁止なので我慢しているけれど、登下校のあいだはきちんと嵌めている。きょうは、うっかり外し忘れてライブ中に誰かの顔などにぶつかってしまったりすると本気で危険なので(前に一回やってしまい軽く血を見た。相手が)、外して化粧ポーチに入れて携帯していたのだった。
この先誰かを好きになって、そのひともわたしを好きになって、つきあうとなったら、いつか指輪をもらうときも来るのだろう。そして、その新たな指輪を嵌める指はきっと、いま綜一さんの指輪の嵌まっているこの指だろう。
そのときわたしは、この指以外どこにも嵌まらないこの指輪を、一体どうするのだろう。ちゃんと新しい指輪のために、譲り渡せるだろうか。そもそもこれより気に入る指輪なんて、あるんだろうか。この世に。
ちょうどそのときホームにわたしが乗る電車が滑りこんできて、びくりとする。やめよう、考えるの。妙にきっぱりと、そう思う。

電話がきたことに気がついたのは運が良かった。わたしのスマホは普段からサイレントモードにしてあるので、メールやラインの通知はまったくの無音だし、電話がかかってきてもバイブ音しか鳴らないようになっている。わたしはそのときも耳にイヤホンを入れて綜一さんの曲を聴いていたし、スマホは手帳型のケースを使っているので閉じていると画面が見えない。読書に飽きて、誰かからラインでも来ていないかと思って、ロックを解除した。まさにそのタイミングで、規則的なバイブ音とともに、突如、「綜一さん」の文字が画面に浮かび上がった。心臓が跳ねる。なにかあったのだろうか。だっていまはまだ夜の十一時だし、きっとまだ打ち上げ中のはずなのに。

「もしもし?」

 いかにも不審そうな声がでてしまった。三秒ほどまが空く。一瞬、あのひとの携帯を使った誰かのいたずら電話かと思ったが、よお、と言ったその声を、わたしが聴き違えるはずもない。

「宵子ちゃん?」

 あまったるい声。わたしは不可抗力でどきりとしたあと、すぐに態勢を立て直し、ああよっぱらってるんだな、と思った。数えるほどだが、まえにもこういうことがあった。綜一さんがわたしをちゃん付けで呼ぶのは、こうやって酒に飲まれているときだけだ。この時間帯にこうなるなんてかなりハイペースで飲んだのだろう。それか、寄せる年波には勝てないとか。よく考えればもう四十五だし。職業柄、慣れてはいるものの、もともとそう酒に強いほうではないのだ。

「月がねえ、綺麗よ」

 耳に纏わるような高音が、歌うような節をつけて、わたしになんらかを囁く。使い古された表現でも、このひとの声帯を抜ければそれは音楽になる。このひとのファンを公言している女性アーティストはこのひとのことを、「歩く芸術」と称賛したそうだが、わたしも諸手をあげて賛成したい。彼女の歌は、わたしも好きだ。見る目のある彼女。

「綜一さん」

「んー?」

「綜一さんさあ、わたしのこと大好きだよねえ」

「あー、好きよ。好き。おまえ、はやいとこ、うまれかわれよ」

 舌っ足らずな口調が可笑しくて、わたしはくつくつと笑いだしてしまう。

「なにに?」

「おれと、血のつながらない、女に」

そのせりふに、わたしは思わずベッドに大の字に転がって大笑いしてしまう。嬉しさのあまり。
こんなの、全面的に、どっからどうみたって、わたしの勝ちではないか。さっきの月が云々のくだりはさすがに洒落だろうが、これは、これでは、本気の愛の告白だ。

「歳は?」

「はあ?」

「歳は離れとるままでいいの?」

「気になんの?」

「ならんけど、わたしは」

 血のつながりにすら動じないわたしが、歳の差程度で騒ぐはずもない。

「宵子ちゃん」

 宙に浮くみたいな声が、わたしの名をまた、呼ぶ。

「おまえの不幸は、おれのもんよ」

電話は、そこで唐突に切れた。取り残されたわたしは、絶句する。脈絡がない。それゆえに、体の内側が粟立つのを止められない。そんな言葉をまるで爪痕のように残して。

「参った!」

わたしは枕で顔を押さえつけて声を殺しながら、降参の意思を発声した。大きめの腹式呼吸で。
いやあこれじゃあ、女が数珠繋ぎになるわけだわ。そりゃ結婚、せんわ。納得も納得、大納得だ。説明無用。
もしも覚えていたとしても、綜一さんは今夜のことを、一切記憶が無いと言うだろう。いつもそうだ。こんな率直な口説き文句を吐かれたのは初めてだったけれど、それなら尚のこと、しらを切りとおすに違いない。それくらいの予想はつく。だって姪だし。
よっぱらいにいちばん感謝されるのは、酔っているときにした発言だの行動だのを、しらふのときに蒸し返さないことだ。知らんふりをしてあげること。それがいちばんの思いやりだ。とくに、男のミュージシャンなんていう、この世で最も繊細で面倒くさい生き物に対しては。
だから、電話を切る間際にきこえた、そーいちさんなにしてんのー? という甲高い女の声についても、忘れてあげることにした。
かまわない。綜一さんは生身のその女とよりも、電話越しのわたしと話すことを望んだのだから。あの瞬間、確かに、その場にいる他の誰でもなくわたしを、必要としたのだから。
あんたの負けだよ。顔も知らない女に喧嘩を売ってから、わたしは眠りに落ちた。指輪を付けた左手で、携帯を握りしめたまま。それがもう一度震えることは、ついになかったけれど。



長い夏休みの中に一日だけある出校日が、わたしはけっこう好きだった。成績が悪かったり一般入試を控えていたり運動部に所属してたりすると、補習だの集中講座だの後輩の練習試合だので何度も登校しなければならないのだが、成績優秀、進路決定済み、部活は帰宅部、みたいなわたしのような人間にとって、「夏休みのあいだに学校に来る」というのはじゅうぶんイベントとなり得る事態なのだ。だるー、とか、あちー、とか言いながら下敷きでシャツだのスカートだののすきまに風を送り込んでいるクラスメイトたちも、疲れた風情はありながらもどこかはしゃいでるみたいに見える。わたしがちょっといいな、と思ってる梨川くんは、机に腰掛けて仲間どうし、大声でなにか話してはげらげら笑っている。幼稚だ。大型犬みたい。わたしはほほえましい気持ちになる。
綜一さんはどう思ってるんだか知らないけど、わたしにだって「なんかいいな」ってくらいの男の子なら幼稚園からこの年まで欠かさずいたし、呼び出されたりラインだったりで思いを告げられたことだって何度かあるのだ。本当に、どう思ってるんだか知らないけど。

わたしの叔父がミュージシャンをしているということは、同級生が百人足らずしかいなかった中学まではわたしが内緒にしていてもなんとなく知られていたし、ごくたまに、それについて言及されることもあった。でもいまの高校に入ってからは、わたしは相変わらず黙っているし、同級生だけで三百人もいるのに同じ中学の子は三人しかいなかったから、自然と周知の事実ではなくなっていった。そもそも綜一さんはもうテレビに出る仕事をほとんどしていないので、「音楽好きと呼ばれる人種なら誰もが知っているが、そうでなければまったく知らない」というくらいの知名度なのである。軽音楽部もない偏差値五十五の全日制普通科の県立高校に通う同世代で、知っているひとを探すほうがむずかしい。まあ別に、見つけたくもないけど。
あのひとの全盛期に、わたしは受精卵ですらなかった。お腹のなかで聴いたことももちろん、ない。兄は多少聴いていたようだが、音楽にはほとんど興味がない。胎教も刷り込みもあてにならんなあ、とこういうときに思う。モーツアルトを聴かせようがハードコアを聴かせようが、それを好くも嫌うも産んでからのおたのしみ、なのである。壮大なくじ引きだなと思う。人生はくじ引き。運試し。チケットの整理番号とおんなじ。

「よっこアメピン余分に持ってない?」

 同じグループの香菜が、目にかかり気味の前髪を手で抑えながらきいてくる。天然パーマなので毎日アイロンでのばしているのだというその前髪は、汗のせいか根元が多少うねってしまっている。前髪は目にかからないこと、というのがうちの校則なのだ。髪についての校則はほかにもある。毛先が肩についたら縛ること、染髪とパーマは原則禁止(ただし地毛が茶髪の子が黒染めするのとか、天パの子がストパーをかけるのは黙認されている)、髪を縛るゴムの色は黒と茶色(華美なものは不可。シュシュもだめ)とか。

「もちろーん」

 わたしは自分のスカートのポケットから、アメピンを何本か取り出す。

「さっすがよっこ! あいしてるー!」

 香菜はみるまに顔を輝かせる。この子の笑顔は、すこやかそのものという感じがする。日焼け止め魔人のわたしとちがって、彼女の肌は日に焼け放題の大盤振る舞いである。それもこのすこやかさに一役買っている感じがした。前髪は眉にかかる程度、後ろ髪は首が剥き出しになるくらい短いわたしがゴムやピンを常備しているのは、こういう抜き打ち服装検査のときに、この底抜けにあかるい女友達に感謝されたいからだろうと思う。そなえよつねに。ガールスカウトだかこども会だかのキャンプで聞かされたせりふを思い出す。そなえよつねに。
学年集会のためにぞろぞろと武道場に向かっている途中、スカートのポケット――アメピンが入っていたほうとは逆の――に入った携帯が振動するのを感じた。「携帯電話校内使用禁止」という鉄の掟があるこの校内で歩きスマホする度胸なんてない。だから気づかないふりをした。そして、本当に忘れてしまった。

「粟井はー、まぁた眉毛剃ったのかー。おまえは変わらんなあ」

教師歴十一年目(らしい)の体育教師、松野砂和子が毎度おきまりのせりふを口にする。三年間聞き続けた食傷気味のお説教なのだが、そんなことはおくびにも出さず、もうしわけなさそうな顔をつくる。たったいま注意を受けた整った眉を下げ、目を伏せて、ごめんなさい、と言う。そういう殊勝な態度をつくっておけば、小言程度ですむことを知っていた。わたしが眉を整えだしたのは小学五年生からのことで、高校に入学するころにはすでに、歯磨きに匹敵するほどの欠かせない習慣になっていた。高校生にもなって、校則ごときでその習慣を変えるつもりは微塵もなかった。眉がぼさぼさだと清潔感がないと思うし、単純に、ださい。ださい女は、あのひとにふさわしくない。たとえ姪でも、二十七も年が離れていても、あのひとの傍らにいる女である以上、ださいというのは忌むべき大罪なのだ。わたしは洗練を身に着けなければならなかった。出来得る限りの手段を講じて。あのひとの傍に居たかったから。
ださい女にならないこと。それがわたしの指針。矜持。アイデンティティー。

「スカート折っとらんね、はい前髪、もいいな、はい後ろ向いてー、後ろ髪もいいね。染めとらんね。はい爪見して。はいいいね、靴下、もいいね。はい、オッケー」

この松野の流れ作業的口ぶりをきけばわかるように、結局のところ眉以外は、わたしは校則オールクリアーの優等生なのだ。うちの学校は中途半端な進学校なので、ちょっと勉強が出来るだけのわたしでも成績上位者になれる。勉強ができて普段の素行が反抗的でなければ、実際、眉毛ひとつくらいはどうとでもなるのだった。学校というところは、まったくもってちょろいと思う。
服装検査をつつがなく終え、学年主任の約二十分に渡るお説教を半分寝ながらきいてから、またもやぞろぞろと教室にもどる。香菜はさっそく前髪を留めていたピンを外してわたしに返すと、歩きながらスカートの腰の部分を二回、折った。なるべくプリーツがくずれないよう、慎重に、手早く。なにしろ三年目なので、その手付きも堂に入ったものだ。わたしもそれにならい、教室に着くころにはどちらのスカートもきちんと膝上になっていた。
この日締切りだったいくつかの課題を提出し、「卒業までの目標」という小学生みたいなテーマで八百字くらいの作文を書き、続くホームルームを真面目に受けただけでその日は終わった。
校門を出たのは午後三時のことで、わたしは校門の外に出るなり、ほとんど無意識にスカートのポケットからスマホを取り出す。
その画面をみたわたしは、そこにうかびあがった名前をみて、歩くのも忘れて固まった。やっぱり、と、なんで、がいっしょくたに頭の中を埋め尽す。ちょっとだけ迷ってから、あらがえずにスワイプする。

「生きとる?」

 もしもし、とか、はい、とかの常套句を一切すっ飛ばして、懐かしい声が簡潔にわたしの安否をたしかめる。いつものことだ。もうおどろきもしない。
二週間なんの音沙汰もないなんてこのひとにとってはあたりまえのことだし、こまめに連絡を取る仲でもないわけだけど、二週間だろうが一週間だろうが、なんなら次の日会ったとしても(めったにそんな奇跡起きないけど)、わたしはいつも懐かしい、と感じる。とりわけ、あんな電話のあとでは。遅すぎたくらいだと思う。

「よっぱらってるの?」

 ほんの意趣返しのつもりで言ったのだったが、電話の奥が拗ねたように押し黙ってしまったので、それ以上いじめるのは止した。

「明後日出るから」

 電話口だと、このひとのしらふのときの話しかたはいつもよりずっとぶっきらぼうにきこえる。でもわたしはこのひとの女ではないので、ことさらその無愛想ぶりについてよけいな口を利いたりしない。

「急だなあ」

「食中毒なんだと」

「食中毒?」

「昔の馴染みが倒れて、お鉢が回ってきたんだわ」

綜一さんは、本来そのライブに出るはずだった、とあるバンドのボーカリストの名前を口にした。そのひとは綜一さんと同世代で、デビューもほとんど同時期だった。旧知の仲なのだ。おおかた、そのよしみでピンチヒッターを引き受けたというわけだろう。このひとは、気まぐれに義理堅い。

「夏だもんね」

 わたしが呑気を装って毒にも薬にもならないあいづちを打つと、来るなら取っとくけどと言われたので、有難くその申し出を受けることにした。なんでも、弾き語りだという。わたしは指を鳴らした。わたしはギターを弾いている綜一さんをみるのが好きだ。こういうのを怪我の功名っていうんじゃないだろうか。アイダさん(今回の悲劇の主人公、世にも不運なバンドマンの苗字である)、いやアイダさま。間抜けな中毒になってくれてありがとうございます。どうかゆっくりお休みください。

「粟井」

 電話を切り、歩き出そうとすると名前を呼ばれたので振り返る。そこには自転車に跨った梨川くんが立っていた。凄い汗だ。でもちっともくさそうに見えない。息を吸い込むと、かすかにシーブリーズの香りがした。しかもマリン。合格である。

「あのさ、今度、どっか行かない?」

 わたしは何度かまばたきをして、それからつるりと、

「いーよ」

 と言った。人というのは、ふたりきりで話してみなければ判断できないものだとわたしは考えていた。それくらいの、物はためし、みたいな軽い気持ちで請け合ったのに、梨川くんはびっくりするくらい安心した顔をした。差し出されたQRコードを読み取ってラインの友達に追加し、流れで梨川くんにスタンプを送った。スムーズな連絡先交換。綜一さんには、きっと逆立ちしたってできっこないだろう。電話と電子メール以上の連絡手段は脳みそが拒否する。その種のことを真顔で言われたこともあれば、インタビュー記事で目撃したこともある。芯からアナログ人間なのだ。

「どっかいきたいとこある?」

 そう言われたとき、わたしはいいことを思いついた。ろくでもない、とのちに微苦笑とともに綜一さんに毒づかれるはめになる、わたしにとっての、「いいこと」を。

「音楽は好き?」

 梨川くんは豆鉄砲を食った鳩みたいな顔になり、それでもうなずいた。

「じゃあ一緒に行く? 二千円」

 彼の承諾の返事を軽く聞き流しながら――ことわるわけがない、という、いつになく高慢ちきな自信がそのときはあったのだ――、わたしは素早く綜一さんにメールを打った。

『取り置き、二枚にしてください。』

返事は、無かった。



当日、ライブハウスの最寄駅で開場三十分まえに待ち合わせ――この時間設定に、わたしの彼に対する本気度の低さが窺えるわけだが――した梨川くんは、わたしの私服をみて硬直した。白い安全ピンがランダムにプリントされたUNDER COVERの黒のTシャツ、細身の黒いクラッシュデニムに、足元はもちろんメリージェーン、首にはシドの南京錠を模した金属の鍵がぶらさがっている革のチョーカー、左手首には男物の真っ赤なG-SHOCKが巻きつき、左薬指には、アーマーリングが当然のように嵌まっている。今日はアコースティックライブなので、そう激しいことにはならないと踏んだのだ。

顔はアイラインを引くだけに留めたのでそう変わらないと思う。でもロックンロールにもパンクにもヴィジュアル系にも親しんだことがなさそうな、ごくごく健全な十八歳高校生男子(部活はサッカー部)には、この服装はよほど異形に見えたらしい。かわいそうなくらい目を白黒させ、わたしを見るなり開口一番、「暑くない?」と訊ねた。かなり訝しげな口調で。その声音を聴いたとたん、わたしは彼に対する興味と好意とが、急速にしぼんでいくのを感じた。
しかしここで帰られてはこまるので、卒業後の進路の話などを持ちかけて、まず開場までの三十分をつぶした。それくらいは造作もないことだった。普段、話しかけても言葉少な、ひどいとまったく返事をしないこともある綜一さんで鍛えられたおかげで、話題提供の手管には事欠かない。
梨川くんははじめこそぎこちない対応だったが、話しているうちにわたしの黒ずくめの服および攻撃的な装飾品に対する違和感が失せたのか、会場に入るころにはすっかり愉しそうに軽口を叩くようになっていた。綜一さんの何十倍も多弁なのに、綜一さんの何十分の一のウィットもないつたない冗談にわたしはいちいち笑ってやりながら、薄暗いフロアーでセブンアップの缶を片手にひたすら待った。その時がくるのを。
やがて照明が静かに落ち、最初の出演者が現れる。革ジャンを着て真っ青な髪を逆立てた、二十代前半にみえる男のひとだ。こんばんは、と癖のある低音でつぶやいたあと、名乗ることなく演奏を始める。わたしはチケットに刷られたアイダさん以外の三名の名前を思い浮かべ、果たしてこのひとはどれだろうかと考えていた。このライブは、アイダさん以外の三名はほぼ無名のミュージシャンなのだ。
意外にも梨川くんは礼儀正しく、聴いたこともないであろう曲たちにもきちんと集中しているようにみえた。曲によっては、体を軽く揺らしてリズムを取ることすらあった。なかなか見どころがある、と、若い女の子を自分のテリトリーに連れ出して悦に入ってるおじさんみたいな感想をおぼえた。ちょっと見直したのだ。
三人の演奏が終ると、にわかに周りの空気が変わる。ざわめきが熱を帯びる。その空気の肌触りだけではっきりわかる。みんな、あのひとを待っているのだ。
それにこたえるように、ギターを片手にもった綜一さんがふらりと現れる。もったいぶったりしないひとなのだ。このひとはライブのたびにアンコールをやるが、待った、と感じさせられたことがない。
わたしは機材のことには詳しくない。でも愛用のギターの名前くらいはわかる。スツールにすわったあのひとが抱えているのは、GibsonのJ200。だてに楽屋に入りびたっているわけじゃないのだ。

「アイダヨウスケです」

 綜一さんはセッティングを終えるなりそうマイク越しにささやき、その場の笑いを誘った。綜一さんと同い年くらいにみえるロックおじさんが、アイダー! とおどけたように叫ぶ。綜一さんはすかさず右手を挙げてこたえ、またさざなみのように笑いが起こった。めずらしい。綜一さん、はしゃいでる。
綜一さんが一曲目を演奏し終えたとき、わたしはわざと梨川くんの手をとって前に歩み出た。照明が届くか届かないか、ぎりぎりのラインまで。
わたしには確信があった。あのひとは、気づく。そうでなければ、気づかせる。
気づく。気づかせる。気づけ。
こういうライブで、他の人を押しのけてまで前進してくる客は少ない。あのひとが顔を上げた。そのタイミングを狙って、動いた。わたしの立ち位置は、あのひとのまさに延長線上。ぼんやりと遠くをみつめ焦点のあわなかった瞳が、わたしのそれとかち合う。気づいた。わたしは約一秒間あのひとの視線をつかまえたあと、その機をのがすまいと、隣の梨川くんを見遣った。梨川くんは繋がれた左手の意味がよく解らない、という困惑と照れの交じった表情をうかべながらもわたしの視線にみごと、応えた。よくやった! わたしは心のなかで快哉を叫ぶ。自然笑顔がこぼれ、梨川くんもそれに釣られたようにはにかむ。
そして視線を舞台上にもどすと、あのひとは――半分賭けみたいなものだったけど――まだ、わたしを見据えたままだった。わたしは、腰がくだけそうになるくらいの快感をおぼえた。ひとりで。
つぎの曲に移るまでにほんのわずかだけ、不自然なまが空いた。気がついたのはこの百人足らずの観客のなかでおそらくわたし一人だっただろう。それでもあのひとの指は、すぐに込み入った音色を奏ではじめる。プロだ。
わたしは二曲目がはじまるころにはもう手を離していたが、こんどは梨川くんがわたしの手を握りかえし、なぜか、ライブが終るまで離さなかった。おかげで拍手が出来なくなって参った。でもわたしの心臓は、実際にふれている男の体温よりも、ふれてもいないたったひとりの男に焦がれるために燃えていた。熱く、激しく。

綜一さんはぜんぶで八曲演奏し、最後にきょうの出演者全員でのセッションが二曲、あった。それがきょうのライブの全容だった。
わたしはなるべく時間を稼ぐつもりだった。今回の出演者のCDやDVDやグッズの物販を丹念に眺める。そのうち、さっきまで演奏していた四名のミュージシャンのうち、二番目に演奏したひとと三番目のひとが、物販の机の向こう側に現れた。ふたりとも腰が低いうえ、写真撮影や握手などにも快く応じたり、良かったよ、と声を掛けてくるおじさんに、ありがとうございます、とにこやかに頭をさげたりしていた。一番目のひとは来ないんだろうか。こういうのも、新人のうちは大事だと思うけども。
そんなことを頭の隅で考えながら、わたしの神経の大部分は、あのひとの気配を察知しようと躍起になっていた。でもまあ当然ながら、綜一さんは物販に現れることなどなく、会場内は徐々に人が減っていき、しだいに閑散としはじめていた。

「帰る?」

わたしは観念することに決めて、梨川くんの提案に頷く。足取り重く出口に向かいながら、ずっと、ずっとずっとずっとずっと、綜一さんのことを考えていた。
思い上がりだったのだろうか。わたしが取り置きを二枚にしてくれと言ったことも、ライブに来るくせに楽屋に押しかけなかったことも、今までに一度もなかったことだというのに、あのひとはほんとに一ミリも、なにも、思わなかったのだろうか。異変だとすら、感じなかったというのだろうか。
視線が交わったあの瞬間、確かに浮かんだと想った不快の色は、大人の余裕めいたもので覆い隠せてしまう程度のものだったのだろうか。わたしも、数ある女たちのなかの一人なのか。縋るみたいにスマホの画面をつけたが、通知は一件も入っていない。わたしはついため息を吐いてしまう。梨川くんは、一人で話し続けている。たのしかったとか、またどこかに行こうとか、なんとか。わたしは曖昧に、そうだね、などと答えるので精一杯だった。あまりにしょげてしまい、それどころではなかった。

「宵」

 考えてしたことではなかった。よく躾けられた犬が飼い主の命令に反射的に従うように、わたしの足は意志とは無関係に勝手に止まった。
声のしたほうに素早く視線を向けると、出入口のすぐ横にある受付カウンター――客はそこでチケットの半券をもぎられ、五百円を渡してドリンクチケットを受けとる――の奥、一段高くなったスタッフ用の出入口の真ん前に立つ、革のズボンを穿いた脚だけが見えた。

「粟井?」

梨川くんが、わたしの顔を覗きこんでくる。突然立ち止まったわたしを不審に思ったのだろう。でもわたしは、肩がふるえるくらいの笑いをこらえるのに必死で、まともに答えることは出来なかった。うれしくて仕方ない。うまくいった。おもったとおりだ。信じられない信じられない信じられない!
そこからの手腕はあざやかなものだった。綜一さんは、なんのためらいもなくカウンターから出てきて、梨川くんを一瞥したかと思うと、わたしの腕を掴んで元いた場所へと引き返した。その去り際、あっけにとられ口を開けて呆然とする梨川くんの顔をはっきり確認したわたしは、ちょっとの罪悪感とかなりのしてやったり感でまたも笑いをこらえるはめになった。ごめんね、使っちゃって。これに懲りて、きみはまともな女を好きになってくれ。夏の暑い日には、きちんとサンダルを履くような女を。
荷物の様子からして、楽屋に残っているのは綜一さんひとりだけのようだった。もともと一人部屋なのか、他の人が遠慮して入らないようにしているのかはわかりかねた。始まる前に押しかけなかったから。

「妬いた?」

「ふざけんな」

冗談めかして訊くと、綜一さんは即答した。ただそこには、どこか面白がっているようなひびきがあった。

「ねえ綜一さん」

綜一さんは汗みずくのまま、壁にもたれて立っている。身に着けている服は、シャツを脱いだこと以外は、ステージにあがったときとまるっきり同じである。着替えることもせずに、ずっとあんなところで待っていたのだろうか。そう思うと、胸の左側が抉られたように軋む。

「わたし、生まれ変わるのなんか待てない」

このひとの眼が、いつもの鋭い光を瞬間、濁らせる。ぶつけあっていた視線は、あのひとのほうから逸らした。

「ばかだな」

どっちが? 訊ねようとひらいた唇を、渇いた温もりが塞いだ。

「ばかだよ」

 結論付けるみたいに言って、綜一さんは体を離した。
わたしはこのひとだけの私娼になりたい。体の交わりよりもずっと不可侵で甘い、精神的な不埒さで、このひとに望まれたい。このひとだけが入ることの出来る私娼窟に、飼われたい。
このひとが――たとえどんなに欲望が昂っても――、わたしを抱くことなど未来永劫、決して起こりえないと知っている。知っているからこそ。
愛に生きるというのは、こんなに哀しいことなのだった。でも、かまわない、とすぐに思った。無謀を愛するには、わたしも無謀にならなければ。

「もう連れてくんなよ」

いっさい表情をくずさずに、さも当然のことのように綜一さんが言う。わたしは吹きだす。

「お客さんは大事にしなよ」

大人ぶってみせても、綜一さんは憮然としている。やっぱりやきもち、やいてんじゃん。わたしは体を折り曲げて今度こそ声をあげて笑ってしまう。
笑いすぎで汗ばんできた額にかかる前髪をかきあげたとき、左手の薬指の指輪が額にごつ、と当たった。わたしは行儀よく嵌められたそれをまじまじと見つめ、おもむろに、外してみる。

「綜一さん」

わたしは外した指輪を、綜一さんの右手に押し付けた。そして自分の左手を、甲を上にして差し出してみる。

「嵌めて」

綜一さんは、一瞬動きをとめた。つぎに降ってきたのは苦笑と溜息。だけど予想に反して、その次の瞬間には骨張った手がわたしの左手を乱暴に取り、もう片方の手で、関節に沿って曲がるその銀の指輪を、器用に嵌めこんでいった。その光景は、想像以上に胸にせまるものがあり、息がつまった。指までやせっぽっちでよかったと心から思う。途中でつっかえてしまったら、この雰囲気がだいなしだ。

「性悪」

投げ捨てるようにわたしの手を離し、パイプ椅子にどさっと腰掛けると、綜一さんはズボンのポケットからパーラメントを取り出して火を点け、ふかぶかと、吸った。ある種の人間にとって、煙草というのは、深い呼吸をするためにどうしても必要なものなのだろうと思う。わたしにとっての、このひとみたいに。
ただ真実を述べたまでだという調子で、煙と一緒に吐き出されたそのせりふは、わたしには暴言ではなく称賛のようにひびいた。それも、最上級の。

「綜一さん」

返事はない。でもわたしには、綜一さんがちゃんと聞いていることが解っていた。このひとはそういう男だし、わたしはこういう女だから。

「大きくなったらケッコンしてね」

このひとがあんなふうに指輪を嵌めた、最後の女になりたい。
その事実さえ与えてくれるなら、わたしはこの先何があっても、その記憶だけで生きていける。

「百年後にな」

消え入りそうなほど小さな声で、それでもはっきりと言った。そう言った。
その瞬間、世界が終ればいいのに、なんて、本気で願った。あまりにも陳腐。わかってる。だけど。

「約束だからね」

ふるえる唇を宥めて、子供みたいに小指をさしだしたわたしに、綜一さんは頓着せずに口をひらく。

「忘れんなよ」

このひとはたったひとことで、いとも簡単にわたしを殺せる。夏をその身に飼う男。虚無を。痛みを。不道徳を。わたしに刻んで。もうすぐ夏は逝く。逝ってしまう。
わたしの目のまえにあるのは、絡むことのない小指。ひとりよがりな指切り。わたしはたまらない気持ちになり、うまれて初めて涙をみせずに、泣いた。


                          完 

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