逃れらんないの一旦嗅いだら最後よ
土曜も日曜もきのうもよく寝た。これだけ寝たのに、きのうの朝は低気圧のせいか頭がぼうっとしていた。ライブバージョンの「丸ノ内サディスティック」(アルバム『蜜月抄』収録)をくりかえし聴きながら通勤。この曲がカラオケの上位に常に君臨するようになったのはいつからだったろう。わたしが大学生のあたりからだろうか。アルバム曲なのにどこから火がついたんだろう。YouTubeとかニコ動とかのカバーかな。
「丸ノ内サディスティック」のコードワークは数々の名曲に使われる有名なものらしく、メロディーも特に必要ないらしい(関ジャム情報)。つまりなにかしら歌を載せれば、なんでもカッコいい感じに聴こえてしまう魔法のコード進行なのだ。林檎さんはもちろん意識的に使用していて、「だからこそ腕の見せ所」だと仰っていた。痺れる。わたしはピアノがからきしだが、この4つのコードだけは覚えて弾けるようにしよう、と思った。ほんとにいい感じになるのだ。なんであっても。
この曲を初めて聴いたのはやっぱり小学生のときだった。『僕らの音楽』のなかで、東京事変としてこの曲をやっていたのだった。おもえばまだ二十代だった林檎さんはあやしいくらい美しかった。わたしもほとんどあのころの林檎さんと変わらない年齢なのよなあ、と思うと、女の才覚のある無しを感じずにいられない。わたしはまだ修行がたりない。
林檎さんのことだけは絶対にうしなえない、とおもう。生涯ひとりのアーティストの曲しか聴けなくなるのなら、わたしは迷いなく椎名林檎の音楽を選びとる。こういう感情が、正しくても正しくなくてもどちらでもいい。愛してるから。わたしが言いたいのはそれだけ。
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