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高齢者から楽しみを奪った、見えない大きなもの

”なんだか静かで寂しいわね〜”

大相撲春場所(三月場所、大阪場所)は無観客で行われることになりました。

原因はもちろん”アイツ”です。

例のウイルスです。

僕はデイサービスで利用者さんと一緒に観ていました。

”パチーン!!”
テレビの向こう側から身体と身体がぶつかる音が響いてきます。
いつもなら行司の声がかき消されるほどの大歓声が響くはずの大相撲は姿を変えていました。

観客席は人っ子一人おらず、赤い観客席だけが写っていました。

テレビ越しに観ているおじいちゃんやおばあちゃんは心なしか寂しそうな表情でした。

”アイツ”は世間のおじいちゃんおばあちゃんから沢山のものを奪いました。

楽しみ、元気、笑顔・・・

僕たち若者はいろんな手段で自分たちのテンションを上げられます。
外に出ようと思えば出られるし、スマホだってあるし、仕事だってあるし。

でも、おじいちゃんおばあちゃんにとっては簡単ではありません。

おじいちゃんおばあちゃんから楽しみを奪ったのは、例のウイルスだったのでしょか。

なぜ大相撲は無観客で行われることになったのか。

それは例のウイルスではありません。

例のウイルスの周りにある沢山の情報から生み出された、「人々の不安」です。

本当に、例のウイルスを根絶して、完全にリスクをゼロにしたいのならば、無観客ではなく、中止にすればいいんです。
もっと言えば、法整備の問題を横に置いておくと、人々が外出を控えなければならないような状況を作ってしまえばいいんです。

しかし、リスクをゼロにしたいけどやっても(開催しても)いいような気もするし、でも「不安」だし・・・


結局のところ、「正しい選択」や「リスクをゼロにする」や「完全に不安を取り除く」ことなんてのはできないんです。

情報だけでも経済・政治・疫学など多岐にわたります。
それぞれに主義主張があり、取りまとめをして、「完全なる正解」を導き出すことなんて不可能なんです。
しかも情報だけでなく、人々の感情も同居しています。

おそらく、例のウイルスを完全に排除し、人間にとってのリスクを最大限に突き詰めていくと、最後に残るのは「人類が滅亡する」なんていう超ドラスティックなものになるでしょう。

学問や情報なんてものは、世の中の真理でも普遍的なものでもなく、「人間が作り出したもの」に過ぎないのです。
三次元以上の物事を捉えることができない僕たちは、僕たちが都合よく解釈できるように、世の中のものを学問は情報にして、さらに言葉にして、理解可能なものに作り変えてきました。
それが歴史です。

「なぜそう考えるのか?」を考えないまま、不安の埋め合わせをしようと奔走している姿はいささか滑稽にすら見えます。

「ゼロリスク」なんて存在しないんです。

普段は完全に停止させている思考を、人間にしかできない、意思決定を、今こそする時です。


そして、取り戻したいです。


おじいちゃんおばあちゃんの笑顔を。




<終わり>


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