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遠い記憶  十六話

結局、入院は、夏休み後半になった。
母は、新聞配達がある為、一人だけの入院だった。
手術は、ただただ痛かった。
今だったら、多分簡単な、プチ整形みたいな物だろうと思うが。
当時は、まだまだ技術も、発達して無い時、
終わったら、包帯グルグル巻きで、寝返りも禁止で、
麻酔切れてからは、激痛だった。
手術後の、朝は、食事も出来ない程の痛みだった。

二週間ぐらいだったろうか。
抜糸出来て退院できたのは、

家に戻り何度も、母の手鏡を持ち出し、手術した目を見る。
正直言って、思っていた様では、無かった。
確かに、二重にはなっているが、左右の形は違う。
どうしても、左目は、瞼がたるんでいる。
はあっー、何度見ても同じだ。
生まれつきの為か、瞼を引き上げる力が無い。

母も、何も言わなかった。
弟も、何も言わなかった。

学校行ったら、何て言われるだろう。と、それも、心配の種だった。
入院が、夏休み後半にづれた為、二学期始業式に間に合わなかった。
1~2週間ぐらいだったろうか、
遅れて、学校へ。

私は、不安だった。
当然、みんなの笑いものになるのは、判っていた。
はあっー
気は重いが、行かなきゃ。
そして、学校へ

学校へ行ったが、誰も何も言わない。
授業が始まったが、困った。
判らない、特に算数が、小数点から、分数に変わった所だった。
先生が、私を指名する。
判らなくて固まっている私に、右隣の男の子が、廣子ちゃん
〇〇だって。と教える。
私、えっと、思って、パ二クル。

ちょっと、待って、何か変。
算数も、判らないが、周りの友達の様子の方が、気になった。
みんなどうしたの?
からかわれるのは、覚悟だったが、
誰も、そんな子いない。
それどころか、困ってる私に、教えてくれている。

授業が、終わって、先生が、宮島さん国語は、よかね。
後は、算数だけやねと言った。

その日から、算数を放課後、先生は付き切りで、教えて頂いた。
お陰で、算数もみんなに追いついた。

その、手術の後から、誰一人として、
私の、目の事でからかう子は、いなかった。

何となくだが、
もしかしてと、思う様になった。
山下先生は、全部判っていたのでは、教員ベテランである。

あれだけ、通知表にはっきりと、書くのも、勇気の必要な事だ。
先生は、最後まで、私には言わなかったが、
沢山の子供を見て来て、子供らしくない、大人の顔色を、窺っていると、
判断するだけの、私には、普通の子供とは違う行動を
見抜いていたのでは、
学校で、いじめられているのは、先生なら、判っていても、
可笑しく無いであろう。
又、目だけでは、無い。
子供が、大人の顔色を窺うって事は、どう言う事か?
私の、持ち物、身なり、服装、気付かない方が、可笑しいかも、
あの時、母が、通知表を見て、あまり怒らなかったのは、
私の、知らない所で、母に何らかの話があったのでは?と
今に、なって思えば、話が通じる。
それに、母があんなにも、意地の様に、病院へ、
連れてくのも、可笑しな事だった。

人生は、この先はどうなるって、
判っていたら、そんなに、嘆いたり、悲しんだり、
する事は無いであろう。
私達が、親の離婚により、遠く離れて暮らす事が、
判っていたのであれば、
一度先生に、お伺いしたかった。
本当の、真実を、
多分、今はご存命では、なかろう。
でも、私も、そんなに、馬鹿な子では、無いと思う。
あの時、日中一番近くに、過ごしたのは、
山下先生でしたよね。
はっきりと、自分を持った、芯のある先生でした。

人の優しさとは、理不尽な事には、はっきりと、
言う事も、必要だと思います。
しかし
知らない振りを、するのも優しさだと、知りました。
それは、先生から、学びました。

足元の、スミレや、タンポポは、ふんずけられても
健気に、可愛く咲く。
誰に、見られていなくても、たくましく咲く。
可愛いでしょうと、押しつけもしない。
去れげなく、咲いている。
人の在り方を学ぶ事が、出来ました。

先生に、お会いして、お礼が言いたい。
先生、その節は、大変お世話になりました。

何も、お礼が出来ませんでした事を、悔やんでおります。

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