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芸術についてのひとりごと。no.1

 皆様、こんにちは。寒い日がまだまだ続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。そういえば、インフルエンザが流行しているそうですよ。私は小学校から高校まで、インフルエンザにかかることが恒例行事でしたので、気を付けなければ……。


 さて、今回は、前回の予告通りに、私の芸術に対してのひとりごとを綴ってみようかと思います。長くなりそうなので、いくつかに分けて投稿しますね。私個人の価値観と考えなので、引き続き軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。芸術の価値は、人によって全く違ってくるものですから。


 皆様は、「オスカー・ワイルド」をご存じでしょうか。アイルランド出身の、今でいうマルチクリエイターです。詩人、作家、劇作家として活躍していました。一番有名な作品は、絵本「幸福な王子」でしょうか。渡り鳥のツバメが金色の王子の像に恋をして、その身を削って王子の願いをかなえていきます。冬になってしまっても、ツバメは他国へ渡ることはせず、王子のサファイアの目、剣の柄のルビー、そして全身に貼られている金をはがして貧しい家々に届けていきます。読んだことがない方はぜひ、これを機に読んでみてください。本当に綺麗な物語です。

 なぜ私がこの方の名前を出したのかというと、オスカー・ワイルドの言葉に救われたことがあるからです。


 前回お話しした、私の10代の頃の話です。私の大きな苦しさの一つに、「特別じゃない自分」がいました。上には上がいる、ということです。どれだけ頑張っても、頭がいい人、かわいい人、人気者、ピアノが上手な人、絵が上手な人等々……は数えきれない程いることに気づきました。当たり前のことです。人から影響を受けてばかりで結局何者でもない自分。オリジナルじゃない自分。今の時代にアノミー的自殺者が増えるのも分かります。上限がない時代。生きる意味すら分からなくなることもある。


 その時に、ふとオスカーワイルドの言葉が目に入ったのです。


「ほとんどの人々はほかの人々である。彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの情熱は引用である。」

「芸術が人生を模倣するよりも、人生が芸術を模倣する。このことから当然、外界の自然もまた、芸術を模倣している。」


 ……この言葉を見て、どう思いましたか?ちょっと失礼だな、何言ってるんだろうって感じた人もいるでしょうか。私は、この言葉に救われたのです。
 



 人間には必ず周りに「環境」が存在します。親、兄弟、友達などの人も自分にとっては「環境」です。人は、生きているうちに無意識に周りの「環境」に影響されていきます。オスカーワイルドが言う「誰かの意見・模倣・引用」というのは、「環境」から「無意識に受けている影響」だと私は思っています。オリジナルは存在しない、と言い切っていますよね。
 これらの言葉は、私を「このままでいいんだ」と思わせてくれました。



 芸術に関しても、同じことが言えます。表現活動は「今までにないもの」「周りよりも突出したもの」などの苦しみが多いと勝手に思っています。音楽に例えてみましょう。自分だけのオリジナルな歌詞と音。このプレッシャーは、逆に表現の幅を狭めていきます。歌詞は言葉を連ねたものです。既存の言葉の組み合わせは、限られていますよね。音に関しても、音楽はコードの組み合わせからできあがります。コードも無限ではありません。組み合わせ方も、バッハの時代にすべて出し切っているとも言われています。絵画や写真、小説、ダンスなども同じことが言えますよね。




 だからやめろというわけではありません。むしろ、だからこそ何も気にせず、何にもとらわれずに表現し続ければいいと思うのです。
 すべて模倣で、引用で、そして自分の価値観は誰かの意見でもあるのですから。




今回はここまでです。読んでいただきありがとうございました。
皆様の人生が、心が、豊かで穏やかでありますように。


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