椎名林檎

今年に入ってから、社内でかんたんなライティング講座と、これまでの成果を発表する機会が続けてあった。ありがたいことにどちらも評判が良くて、「うちの部にもライティングという特殊スキルを持ったプロフェッショナルが入ってきてくれて嬉しい」と言ってもらえた。自分がジャンプ漫画の特殊能力を持った人間(幽遊白書の禁句の能力者海藤的な)になれたみたいでとても嬉しかったのだけれど、最近考えているのは、何故自分が能力者になれたのかということだ(能力者ではない)。

ライティング講座でも「ライティングは才能やセンスではなく技術です。正しいトレーニングをすれば誰でも上手くなります」なんてことをドヤ顔で言っているのだけど、どちらかというと自分は才能やセンスで乗り切ってきた部分が多く(自分で言うな)、だとすれば自分の才能やセンスがどのように形成されたかを紐解く必要があると思ったのだ。

そんなことを考えていた時に、一冊の本に出会った。三浦崇宏さんの著書『言語化力』だ。

本書の「言葉のセンスは磨けるか」と見出しがつけられた部分に、このような一節がある。

よく読書が大事というのはこの部分で、様々な言葉を知っていればいるほど言語化の技術、表現の幅は広がっていく。もちろん、漫画でも映画でもいいし、もっと言えば、身近な人の中で、話が面白い人、説明がうまい人がいたら彼らとずっと話しているだけでもいい。驚いたり、笑ったり、感動したり、感心したり、と感情が動くたびに、確実に一つひとつの言葉はあなたの脳に、心に刻み込まれていく。

これを読んでわたしはハッとした。本はもちろん、漫画、アニメ、映画、広告、そして何より音楽など、わたしは好きなことがめちゃくちゃ多いのだ。そして気付いたのである。「好きなことが多い」ということが、言葉のセンスと関係があるかもしれないことに。

お金を好きな物にかえる人生

女優の石田ゆり子さんがアナザースカイに出演した際、こんな名言を残している。

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お金って紙だから
紙がいっぱい残ってるか 経験があるか
経験にかえていきたい

これまでの人生を振り返ると、わたしもお金を経験にかえるタイプの人間だった。

中学生の頃、弟はお年玉がどんどん貯まっていったのに、わたしは常にお金がなかった。欲しいものがたくさんあったからだ。プレミアのついた2万円もするビジュアル系の限定版のCDを東京のお店から通販で買ってみたり、エヴァンゲリオンにハマって関連書籍を買い漁ったりしていた。

大学生の頃は、典型的なサブカルかぶれだった。友達もいなかったので、大教室の後ろの席で授業中に谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んで自分は特別な人間だと思い込んでいた(痛い)。授業が終わると鬱屈したこの気持ちをなんとかできないかと、ヴィレッジヴァンガードに通い詰めるような日々だった(ポップを書くバイトに憧れたものだ)。これも、その当時好きだった本の影響が大きい。その時のわたしのバイブルは、大槻ケンヂが書いた『グミ・チョコレート・パイン』だった。

ボンクラ高校生・賢三(本名の賢二をもじったもの)を主人公とした大槻ケンヂの自叙伝的小説で、例えばこんな一節がある。

「自分は人と違った何かがある」と信じながらその自信になんの根拠も見出せないでいる賢三は、せめて読んだ本の数、観た映画の本数を増やすことで、クラスの他の者たちと差異をつけたいと思ったのだ。

これを読んで当時わたしは「自分のことが書いてあるのか?」と思うほど酷く共感したのだ。大学生の頃のわたしはとにかく本を読んだり映画を見たりしていたのだが、それが「自分は人と違った何かがある」と信じたかったからだったのだ、と気付いたからだ。

そして就活のタイミングで広告を好きになり、なぜかその辺りで突然アイドルにハマった。

こんな学生生活を経て大人になったわたしに、一体何が起こっていたかを今振り返ってみると、ひとつわかったことがある。好きなものが増えるたびに、好きな言葉も増え続けているのだ。

映画だと『耳をすませば』の雫のお父さんの「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ」というセリフが好きだし、アニメだと旧エヴァ劇場版のミサトさんの「ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ」というセリフが好きだし、漫画だと『NANA』の「あたしは運命とか信じちゃうタチだから、これはやっぱり運命だと思う」が好きだし、広告のコピーだとタワーレコードの「no music, no life.」が好きだ。そして何より音楽が好きなので曲を聴くたびに「ここの歌詞が好きだな」と思うのだけれど、このnoteもアイドルの好きな曲の歌詞で書き出すことがあったり、最近の曲だとLiSAの紅蓮華の「打ちのめされて負ける意味を知った」がとても心に残っている。

こうして好きなものに触れ、好きな言葉が増えていくたびに、言葉のセンスが磨かれていったのだと思う。なぜなら、センスはジャッジの連続から生まれるからだ。

センスの磨き方

そもそも、センスとは一体何なのか。センスを考えるうえで、とても参考になるのが、Takram代表取締役の田川欣哉さんの著書『イノベーション・スキルセット』だ。

本書ではセンスとは何か?の答えとして、「センスはジャッジの連続から生まれる」という言葉が紹介されている。

センスというと、漠然としたものになってしまいます。しかし、目の前の物事に対して「Yes/No」とジャッジをしていくことだ、と考えると、それはぐっと身近なものに感じられてきます。
(中略)
熟練のデザイナーのセンスも、その方向性はデザイナーによって千差万別です。ただ、共通しているのは自分の中での好き/嫌いが、一般の人よりも非常にはっきりとしているということです。

これはデザインのセンスについて言語化している部分だが、きっと言葉のセンスもこれと同じことが言えるのではないかと思う。言葉のセンスがいい人は、言葉の好き/嫌いがはっきりしているのだ。

同書では具体的なデザインのセンスを磨く方法として、「ふせんトレーニング」を紹介している。

1.赤・青・黄の3種類の小さいふせんを準備する
2.デザイン系の雑誌やデザインの写真集を買う
3.自分がいいと思うものに「青」、ダメだと思うものに「赤」、どちらでもない、もしくは、よく分からないものに「黄」のふせんを貼る

これが言葉のセンスを磨くトレーニングにも適用できるとするならば、わたしは本を読んだり映画を見たり音楽を聴いたりするたびに、そこで触れた好きな言葉に対して、青のふせんを貼り続けてきたのだと思う。その積み重ねがきっと、わたしがいま持っている「言葉のセンス」なのだ。

この記事を書いていて気付いたことがある。大学生の頃、大槻ケンヂの『グミ・チョコレート・パイン』を読んで、「自分は人と違った何かがある」と信じたかったわたしは、あれから10数年の時を経て、人と違った「言葉のセンス」を手に入れていたのだ

椎名林檎は楽曲『月に負け犬』で、こう歌っている。

好きな物や人が多過ぎて 見放されてしまいそうだ

椎名林檎も「言葉のセンスの人」なのだと思うのだけれど、好きな物や人が多過ぎるからこそ、彼女自身の言葉も磨かれていったのではないだろうか。

わたしはこれからも、見放されるほど好きな物や人が多過ぎる人間でありたいし、新しく好きな物に出会うたびに、好きな言葉を見つけ、言葉を磨いていきたいと思う。

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