なのはな

元不登校。医者の卵1年目。孵るかは不明。 思ったことをぼちぼち書いていきたい。 リアル…

なのはな

元不登校。医者の卵1年目。孵るかは不明。 思ったことをぼちぼち書いていきたい。 リアルで私を知っている人はもし気付いても素知らぬふりでお願いします。

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生きるために医学部を目指すことが必要だった。

2021年3月17日。私は医学部に行くことにした。それから約3年が経過し、2024年4月。私は晴れて医学生になった。 さて、なぜ私が医学部を目指したか。理由はひとつではない。その中で最も利己的で不純な理由をひとつ紹介する。 時を戻そう。 2021年3月17日。私は主治医から、精神科の主治医から「なんか、次したいこととかないの」と、問われた。 更に時を戻そう。 2019年5月、平成から令和への改元の10連休、私はなぜか一人だけ16連休だった。そう、私は不登校になったのだ。

    • 高校やめて医学部を目指すことにしたら自転車旅に出たくなって能登島まで行ってきた話。

      2021年1月26日、私は全日制高校を辞めた。 2021年3月17日、私は医学部を目指すことにした。 詳細はこちら、暇があったらお読みください。 そうしたらなぜか自転車旅に出たくなった。 そういうわけで2021年3月29日私は約19時間かけて金沢から能登島までママチャリで往復約160㎞の旅に行ってきた。(当時諸事情で金沢に住んでいました。) 当時書いたFacebookの記事と書いたけど投稿しなかった記事があるのでそれに加筆修正してお届けします。 金沢から能登島への旅

      • 【詩】迷子のうた

        みつからない 言葉がみつからない いいえ気持ちがみつからない みんなにもあるんだろうか 何も起きてないのに沈むことが 潜水艦みたいに何か新発見を探しに行くのだったらいいのに 心が迷子だ 早く戻っておいでよ 待ってるから

        • 【詩】もやもやぐるぐる

          もやもや ぐるぐる 雨は私を濡らして どこかへ行ってしまった だけど心の曇りはそのままで 雨に濡れた庭の緑は葉を伸ばし だけど私は膝を抱えてしゃがみこむ もやもや ぐるぐる

        • 固定された記事

        生きるために医学部を目指すことが必要だった。

          国語という科目が好きじゃなかったけれど。

          私は読書は好きだけど国語という科目があんまり好きじゃなかった。 その理由は押し付けがましいからだ。特に小説。 私は小説には読者の数だけ解釈があると思っている。小説は読者が読者自身の経験を通して読むからだ。 私は高校時代不登校になって2回留年した。3回2年生をした。それによって『山月記』を3回読んだ。『山月記』は中島敦が書いた小説で人がある日虎になってしまうというお話。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というチグハグなフレーズが印象に残っている人も多いのではないだろうか。2回目

          国語という科目が好きじゃなかったけれど。

          あとがき<生きるために医学部を目指すことが必要だった>

          こういう記事を書いた。まだ読んでいないひとはまず読んできて欲しい。 では上の記事を読んだという前提で始めよう。 普段はあとがき的な内容は「おまけ」として同じ記事内に収める。でも今回は別々にしたかった。その記事をひとつの作品的なかたちにしたかった。といっても作品というほど立派なものではないけれど。2000字程度の記事にあとがきだなんてなんだか変な気もするがまあ良しとしよう。 実は上の記事は書くのが怖かった。だって誰にも言ったことのない内容で、今までのnoteでも隠しながら、

          あとがき<生きるために医学部を目指すことが必要だった>

          マイノリティの言葉を考える。~虹クロを見て考えたこと~

          疲れていると眠れなくなる。この間もそんな夜だった。そこで何となくNHKを見ていたら、『虹クロ』が始まった。 『虹クロ』とは という番組。 なんとなく、NHKのこういう番組ってふとしたときに見てしまう。 そのなかで「クローゼット」という言葉が用いられていた。 クローゼットとは 本来の自分のセクシュアリティーを黙っている状態、打ち明けられずにいる人たちを取り巻く状況のこと だそうだ。 この言葉を初めて聞いたときに「また新しい言葉を使っているよ。『カミングアウトしていない』っ

          マイノリティの言葉を考える。~虹クロを見て考えたこと~

          ダサいけどやっちゃうこといろいろ。

          その1 エンターキーを強くたたいてしまう いや~ダサいしうるさいなぁって思うんだけれどついやっちゃう。 タイピングの速い人たちって小さくカタカタ打ってるんだよね。あれかっこいいよね。 その2 言い訳してしまう 私はいつも言い訳をしてしまう。言い訳をする必要がないときまでしてしまう気がする。ひとに後ろ指さされるのが怖いのかもしれない。ダサいな~っておもうんだけどやっぱりやっちゃう。 その3 自慢話してしまう ついついやっちゃう。褒められたい。なんか頑張ったこととかつい言っち

          ダサいけどやっちゃうこといろいろ。

          都会と地方の匿名性格差を感じる。

          たまに東京や京都などに住む学生が羨ましく感じる。 理由1つ目は詳細を書いても学生数が多く特定されにくいため詳細を書けるということだ。東京大学や京都大学なんて学生数が多く特定されづらいだろう。私は自分の大学について書きたくても学生数がそんなに多くないのでなんとなく書きづらい。まあ、私は医学部なので医学部というだけでどこの大学であれ、大学名を明かせばどこのだれかなどすぐに分ってしまうのだが。 とにかく、自分の通う大学についてのびのび書いている学生を少し羨ましいと思う。 2つ目

          都会と地方の匿名性格差を感じる。

          受験音楽。with鬱。

          夏だ。受験だ。 ???夏だから受験なのかは知らんけど。 人によっては部活動を引退して受験勉強に本腰をいれるころだと思うので私が受験期に聞いていた音楽を紹介したいと思います。需要あるんか知らんけど。 私は、高校2年生のときに不登校→留年→通信制高校→一浪→医学部 という経歴。現在は大学1年生です。こないだまで受験生でした。 私は受験期病みまくってました。というか不登校になる少し前から病んでます。なんなら今も病んでるかも。 というわけで、暗い音楽と明るい音楽、両方を紹介して

          受験音楽。with鬱。

          なんかもやもやするなと思ったら、ひとと自分を比べてた。

          なんかもやもやするな。いろいろ順調なはずなのになんだかな。 はぁ。。。 高校時代私は不登校だった。そこから紆余曲折を経て今年の春私は念願だった医学生になった。5月末ごろからやっと学校にも慣れて少しづつ大学生活を楽しめるようになってきた。 そんななか、最近 はぁ。 ってなることが増えた。 順調なのに。友達はできたし、部活も楽しいし、1学期の成績はよかったし、夏休みの楽しみもたくさんある。体調も悪くない。 メンタル激弱の私にとっては はぁ。 ってなるのは、いつものことと言え

          なんかもやもやするなと思ったら、ひとと自分を比べてた。

          寝坊、癇癪、元不登校。

          今日、私は寝坊した。7時35分に家を出なければならないのに、目を覚ますと7時17分だった。6時30分にかけた目覚ましは私の耳には1ミリも届いていなかったのだ。私は飛び起きた。急いで着替えて顔を洗って歯を磨いて荷物を準備した。家族が水筒にお茶を詰めたり、お弁当をお弁当袋に入れたり、朝ご飯替わりとしてカロリメートもどきを持たせてくれたりと協力してくれた。そしてどうにか7時35分に家を出ることが出来た。 嬉しかったことがひとつある。 それはパニックを起こさなかったことだ。パニック

          寝坊、癇癪、元不登校。

          6月23日。今日が何の日か知ってますか

          今日は6月23日。6月23日は沖縄慰霊の日である。 沖縄慰霊の日とは、1945年6月23日に沖縄での日本軍の組織的戦闘が終結した節目として琉球政府や沖縄県が定めた記念日である。 私はこの日のことを数年前まで知らなかった。もしかしたら小耳にはさむようなことはあったかもしれないが、誰に言われずと意識することなどなかった。 それが変わったのは沖縄の歌手のおかげだ。 以前にも書いたことがあるが、私はCoccoの大ファンである。また、かりゆし58のファンでもある。 このミュージシャ

          6月23日。今日が何の日か知ってますか

          6年後私はどうなっているんだろう。通学路の紫陽花

          こないだ、大学に入ってはじめてのテストが終わった帰り道、紫陽花を見つけた。街路樹(あってる?)として植えてあった。 紫陽花をみて、ふと思った。紫陽花もはじめは小さかったんだなと。普段よく目にするのは十分育った紫陽花が多くて。 紫陽花ってどれくらいの速度で成長するのだろう。 私は現在医学部の1年生なので、あと6年間あの紫陽花が生えている道を通ることになる。6年間の間にどれくらい成長するのだろうか。そしてその間に私はどれくらい成長するのだろうか。 なんてね。来年も覚えていた

          6年後私はどうなっているんだろう。通学路の紫陽花

          いつもみんなのフォトギャラリーを使わせてもらっているけど。

          こんにちは。なのはなです。 今日は「みんなのフォトギャラリー」について書こうと思います。 私は絵を描いたり写真を撮ったりといった趣味はないので、noteの記事のヘッダーには基本的にみんなのフォトギャラリーを使わせてもらっています。素敵なイラストや写真が多すぎていつも選ぶのに悩んでしまいます。記事を書いている時間よりも長い時間が掛かっていることもあるかもしれないです。 以前こういう記事を書きました。そのときふと思ったんです。私のイラストの使い方は作者の意図に反しないだろうか

          いつもみんなのフォトギャラリーを使わせてもらっているけど。

          ひとにもらった言葉をあげたくない

          ひとにもらった言葉をあげたくない そんなことをたまに思う。noteに日々のことや考えたこと、過去の経験などを書くなかで、ひとからかけられた言葉を書くことがある。そんなときに、ふと思う。この言葉は私のために、私に向けて紡がれた言葉なのになと。その言葉を紡いでくれた人の顔が浮かんで、その言葉を誰かに分けずに独り占めしたくなることがある。だってその言葉はその人が私に向けてくれた優しさだから。そして実際に独り占めするのだけれど。一方で書いちゃうこともある。 私は高校時代不登校だっ

          ひとにもらった言葉をあげたくない