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生きるために医学部を目指すことが必要だった。

2021年3月17日。私は医学部に行くことにした。それから約3年が経過し、2024年4月。私は晴れて医学生になった。


さて、なぜ私が医学部を目指したか。理由はひとつではない。その中で最も利己的で不純な理由をひとつ紹介する。

時を戻そう。
2021年3月17日。私は主治医から、精神科の主治医から「なんか、次したいこととかないの」と、問われた。

更に時を戻そう。
2019年5月、平成から令和への改元の10連休、私はなぜか一人だけ16連休だった。そう、私は不登校になったのだ。といっても全く行けなくなったわけではなく、行ったり行かなかったり。1週間休んで3日行って、3日休んで2日行ってという感じだった。どうにか進級しようと、足掻いたが、9月に進級を諦めた。2020年4月、私は2回目の高校2年生の生活をスタートさせた。2021年1月26日、私は全日制高校を辞めた。定期テストは全部受けた。学校も頑張って行った。だけれど、もう後がなくなった。残りすべて行かなければ出席日数が足りず進級できない。でも私の心はもう限界だった(後になって分かったのだけど、本当はまだ出席日数には余裕があった)。頑張って進級したところで先も見えない。もう行けない。心が折れた。そうして私は学校を辞めた。そのまま何となくの流れで通信制高校への転籍が決まった。

学校を辞めて、直接のストレスがなくなったことで、私は精神的に少し安定した。正確に言うと表面的には。
学校を辞めてからは、よく料理をした。他にもお菓子を作ってみたり。
料理が好きで料理をしていたというよりも、何かをしなければいけないという思いで料理をしていた。働かざる者食うべからず。私は当時そう思っていた(もちろん今はそんなこと思っていない。生きているだけで凄いことだと思っている)。何もしていない、何者でもない私は生きていてはいけないと思っていた。一方で死んではいけないとも思っていた。自殺は母を殺すのと同義だった。生きる資格はないけれど、死んではいけない。なんてことを、買い物かごを持ってスーパーのレジに並びながら考えていた。

さて、2021年3月17日の診察室へ行こう。
不登校になってから私は精神科に通っていた。通信制への転籍手続きを終えた私に(といってもすべて両親が手続きをしてくれたのだが)、主治医は先の質問を尋ねた。私はひとまず進級することを目標にしていた。その目標がなくなったから、あの質問だ。私は「医者になりたかった」と答えた。
過去形。精神科に通っている私にはそもそも医学部の受験資格がない。そういった思いから私は過去形で話した。多分声もとても小さかったんじゃないかと思う。
「それは無理だね」って返ってくる思っていたら、まさかの
「ん、出来るんじゃない。IQも低くないし」と主治医が。更に主治医は
「出来ると思うよね」と見学していた臨床実習の医学生に話を振った。その医学生は
「出来ると思います」と。更に横から母が
「なのはなが目指したいんだったら目指したらいいと思うよ。なのはななら出来ると思うし」と。
私の脳内は「医師が目指してもいいと言っている」「えっ、でもほんとにいいの」とカオス。でも少し光が見えた気がした。

私はもう、何も諦めたくなかった。不登校なっていろんなことを諦めた。小学生の時から7年間続けてきた陸上競技をやめた。修学旅行、文化祭の野外劇、課題研究などなど。だから、普通に高校に通えていたころからなりたかった医師という夢をもう諦めたくなかった。不登校にこれ以上私の人生を侵食されたくなかった。
それだけではない。題名に戻るが私には生きる意味が必要だった。私は何者かになりたかった。いや、ならないといけないと思っていたのかもしれない。不登校になって優等生というアイデンティティと陸上選手というアイデンティティを失った。そして高校生でもなくなった。正確には通信高校の生徒ではあったが。でも宙ぶらりん。地面に足が届かなかった。


そうして私は医学部を目指すことにした。


もし今年の受験で医学部に落ちていたら私はもう1年浪人して医学部を目指すつもりだった。でもそれは何のためだろうか。生きるために必要だからか。この3年間で私は確実に成長した。もう、強迫的な理由で医者を目指しているわけではないとは思う。それでも大学生、医学生になったことで私は精神的により安定するようになったのも事実だ。

私が医者を目指すこと、やっぱりそれはとても利己的だ。もちろん私が医師を目指す理由はそれだけではない。だけれど、私がなりたい医師は私である必要性がない。医師になれる人数は限られている。医学部が定員割れすることなんてない。倍率は数倍から数十倍にのぼる。私よりもっと医者に向いている人はたくさんいる。もっと頭がいい人、体力がある人、優しい人。精神的に不安定で体力面に不安のある私より適性のある人はいくらでもいる。そんな誰かの席を奪ってでも私は医者になりたい。


母は言う。「なのはなには人の痛みが分かる。悩んだ経験は絶対役に立つ。きっといい医者になるよ」と。
本当にそうだったら良い。私の弱さがいつか強さに変わる日が来るといい。


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