ひとにもらった言葉をあげたくない
ひとにもらった言葉をあげたくない
そんなことをたまに思う。noteに日々のことや考えたこと、過去の経験などを書くなかで、ひとからかけられた言葉を書くことがある。そんなときに、ふと思う。この言葉は私のために、私に向けて紡がれた言葉なのになと。その言葉を紡いでくれた人の顔が浮かんで、その言葉を誰かに分けずに独り占めしたくなることがある。だってその言葉はその人が私に向けてくれた優しさだから。そして実際に独り占めするのだけれど。一方で書いちゃうこともある。
私は高校時代不登校だった。その頃たくさんの人が私に様々な言葉をくれた。いつかそれに関する記事を書きたいと思っているけど、今少し、もう少しだけ、まだ独り占めしていたい。
noteを書いていて、なんだか言葉って公共性をもつ一方で、とてもパーソナルなものなんだなって考えてみた。
ふう、どうにか日付が変わる前に記事がひとつ書けたぜ。
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