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寝坊、癇癪、元不登校。

今日、私は寝坊した。7時35分に家を出なければならないのに、目を覚ますと7時17分だった。6時30分にかけた目覚ましは私の耳には1ミリも届いていなかったのだ。私は飛び起きた。急いで着替えて顔を洗って歯を磨いて荷物を準備した。家族が水筒にお茶を詰めたり、お弁当をお弁当袋に入れたり、朝ご飯替わりとしてカロリメートもどきを持たせてくれたりと協力してくれた。そしてどうにか7時35分に家を出ることが出来た。

嬉しかったことがひとつある。
それはパニックを起こさなかったことだ。パニックというより癇癪という言葉が適切かもしれない。
私は高校2年生の時に不登校になった。不登校になるのと同時に精神的にも不安定になり、小さなことでよく取り乱した。とくに朝はよくない。ただでさえ朝は憂鬱なのに、そこに何かが重なると取り乱してしまう。例えば、着ようと思った服が見当たらないといった本当に小さなことで。

私が学校に行けなくなってから約5年が経ち私は今大学1年生である。調子を崩すこともあるが、これまでのところ無遅刻無欠席でどうにかペースを保っている。一度崩すと雪崩のように一遍に崩れるのではないかと不安を抱えている。そんなところに、遅刻しそうなレベルでの寝坊はまずい。

しかし今日の私は凄かった。焦ってはいたけれど、取り乱さずに準備して学校に行くことが出来た。その後、特に調子を崩すこともなかった。

「当たり前だ、何言ってんだ」と思ったそこのあなた、その通り。あなたの意見は至極真っ当だ。寝坊したからといって癇癪を起さないのは当たり前だ。「右足を出して左足を出すと歩ける(COWCOW)」ことよりも当たり前である。
でも私にとっては当たり前ではなかった。たくさんの当たり前を不登校になったときに失ったから。

私は昔から朝に弱かった。しかし、遅刻ギリギリに起きてものほほんと準備し、そしてきちんと学校には間に合った。なんならそれが当たり前だった。
私は最近少しずつ元気な頃に近づいている私を感じている。それが良いことなのかは分からない。でも今はそれが嬉しい。

お読みいただきありがとうございました。


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