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平和で幸せな日 8月31日

「野菜も食べなさい。」
「食べない!」
「食べなさい。」
「いや!」
「食べなさいってば。」
「・・・。」
再三の要求に、彼女はとうとうそっぽを向いて返事もしなくなった。

微笑ましい親子の会話だと思って聞いてくださったみなさん、すみません。
これは成人になって7年目の大人同士の会話です。
この不毛な会話もなんと366日目。
本日は記念すべき一周年の日です。
おめでとうございます!

などと、自分の脳内にナレーションを流す。

彼女は野菜が苦手だ。
ピーマンだけは食べられない、ということなら、いい大人なのだし個性として認めてもいい。
けれども彼女は野菜全般がだめなのだ。
どんな野菜も焼いても、煮込んでも、刻んでも、果ては砕いても嫌だと言う。
まあ、実際には刻むか砕くかすれば気付かずに食べてくれる。
ただし、サラダという分かりやすい敵を用意しておかないと疑われてしまうのが難点だ。
彼女の実家に同棲のご挨拶に行った日、この子になんとか野菜食べさせてやってね、と彼女のお母さんが僕に言った。
その声には苦労が滲んでいたけれど、百戦錬磨の貫禄も感じられた。
そして、彼女の母親からバトンを引き継いだ僕はこの一年、試行錯誤に試行錯誤を重ねてきた。
現在のところ、僕の勝率はだいたい7割というところだ。

しかし、今日の僕には完全勝利の秘策があった。


「野菜、食べないのね?絶対嫌なんだね?」
「やっと分かってくれた?今までの会話が無駄だってこと。」
「絶対、金輪際、どんな野菜を食べないっていう強い決意があるなら僕ももう諦めるよ。」
「私は、絶対、金輪際、どんな野菜も食べない!」

勝った。とうとう僕の勝利だ。
にやけそうになるのを必死に抑えながら、残念そうな表情を作る。
「・・・負けたよ。もう野菜は食べなくていい。」
彼女の顔には勝利の喜びが浮かんでいる。
それを横目に僕は続ける。
「だから、今日のデザートはスイカだったけど、僕が食べておくよ。」
「え、なんで?私も食べるよ?」
「明日、知り合いからメロンを貰えるって話だったんだけど、お断りしておくね。」
「だからどうして?スイカもメロンも私の大好物って知ってるじゃん。」
「スイカもメロンも野菜だよ。」
「・・・え?」

満面の笑みのまま、彼女の表情が固まった。

「ちなみに、」

彼女は絶望の眼差しでこちらを見ている。
「君がこの世で最も好きだと豪語するイチゴも、野菜だよ。」
彼女は崩れ落ちた。


(ね、ね、スイカとメロンとイチゴだけは特別枠で食べてもいいよ?)
(だめ。全部食べるか、全部諦めるかのどっちか。)
(ううううう。・・・食べます。)