幸せの第一段階すらままならない

この2020年の現在、いろいろなものが発達しすぎて、どれだけ頑張っても絶対に叶わない人とか、世界中のいろんな種類の不幸な人とか、そういうのに必要以上に出会ってしまう社会になった。

多様化や選択の自由は良いことばかりとはかぎらない。

どう足掻いてもどうにもならないことの苦しみと、どれを選んでも変わらないことの苦しみは、どちらが重いと言い切ることはできない。

ましてやその2つを併せ持っているのであれば苦しみは計り知れない。

今の世の中は、住んでる所とか性別とか年齢とかそういうものでの差を出来るだけ作らないのが善とされている。だが、古くからの価値観や幼少から染み付いた常識を覆すことはむずかしいし、しかもその価値観や常識を持っている人は、そうじゃない人がいることに気づけない。気づく機会すら与えられることはない。そのギャップが苦しくて仕方がないのだ。

今は世界の距離が近いから、そういう多数派の「普通」が自分にとっても「普通」なのだろうと幼い頃から思い込んでいた。そうじゃないと気づき始めても染み付いたそれが消えることはない。そしていつまでも、その普通を、ただの夢だと自覚しないままずっと夢見てしまう。

だけどその普通は、生まれた時から手に入らないことが決まっている。いや、早い段階でそれが自分にとって普通じゃないと気づき、相当努力する覚悟がつくのならば手に入れることができるが、出来ない人がほとんどだと思う。私達がそうでもしないと手に入れることができないものを、年齢とか性別とか住んでる場所が違うだけでいとも簡単に手に入れられる人がいることがたまらなく悔しいし羨ましい。絶対に叶わない。そうやって、私には到底普通とは言えないその人達にとっての普通を手に入れた人が、またそれを普通だと発信し、自らの手で同じ普通を持つ人を育てる。その人がまたその普通を発信する。

もう私は受け取りたくない。何も知らないまま自分の普通をまっとうして生きたかった。

いっそ生まれた時から将来の仕事とか嫁ぎ先とかが決められている時代に生まれたかった。変えられないものに疑問を抱くのはそれはそれで苦しいかもしれないけれど、ずっと思い描いてきた普通の形と現実の普通が食い違うことはないだろう。

このギャップに私は耐えられない。解決策など何もないし諦めることしかなす術が無いのだが、幼い頃から夢見ていた「普通」を達成できないのはすごく苦しい。「幸せ」を追い求めるために必要な、第一段階の「普通」が手に入らない。私はどうすればいいのだろうか。

今は少し世界の技術が進みすぎだと思う。知ることを追い求めるのは人間の性だと思うけれど、行きすぎるとただの不幸しか待ち受けていないと思っている。だけど知ることをやめられない。こんな私でさえすでに知ってしまったことが多すぎると感じて苦しくなっているのに、まだまだ世界には私の知らないことが多すぎる。それが希望だと思えることもあるけれど、今の私にとってはただの恐怖でしかない。だけれどこの欲は止めることができない。私はこれからどう生きればいいのだろうか。何のために、何を成し遂げるために生きていけばいいのか分からなくなってしまった。人間としての生活すら崩れかけてしまっている現状は何をどうすれば治っていくのか見当もつかない。出口が見つからない。本当に私はどうすればいいのだろうか。

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