発達障害で三角頭蓋の手術をしなかったワケ

当時、息子小1。うちの子に障害があるの?まさか?そんなワケない、何か原因があるはず、とネットの情報をひたすら調べたり、本を読み漁ったりしていた。

親として我が子のことを大事に想うがあまり、どうしたら良いのか判断能力が鈍ってしまうことってあるんだなって思う。

当時を思い出すと、こんな私の性格でも、だいぶ落ち込んでいたし、焦っていたなぁ、と思う。

一生懸命になりすぎて、目の前のことしか見えなくなり、良いかもと思う希望の光が少し見えた時、我が子を救えるのはコレしかないと思ったのだと思う。それがその時は手術。

けれど、その手術には当然リスクがあり、当時まだまだ術後の症例も少なく、賛否のある手術でもあった。大手術をするか、、どうするか。

この手術は成長してからだとあまり効果が無い、みたいな先生の煽りも、かなり焦って迷ったのを覚えている。

この先、脳が圧迫されて、年齢と成長が反比例したり、激しい頭痛、嘔吐が起こるかもしれない、との医者の説明があった。

けれども、今それは起こってないワケだし、万が一そのようなことが起これば、それって大問題だからその時手術すればいいと、少しずつ冷静になって考えていくようになった。

この子が産まれたきたこと自体が、それで良いんだから、今ある笑顔も声も会話ができてることも、今のまんま、そのまんまのこの子で何も問題ないと思った。それを奪うことはできない。

その当時、私の選択に大きな影響を与えてくれた人がいる。

“手術を受けた”という母親のブログ。

これはとてもとてもありがたい情報だった。

私はその方と会って話が聞きたいと思い、お会いした。

“うちは手術をして良かった”と、なぜそうしたかをいろいろ話してくれた。

そのお母さんは、毎日起こっている我が子の危険リスクと、手術が成功して改善する可能性を天秤にかけたのだと。そして手術をするという判断をして、結果、良かったと教えてくれた。

その日、息子も連れていたので、そのお母さんがうちの子をみて、

”う〜ん、手術する必要ないと思うよ”

この時、その言葉にすごーく私のいろんなものが軽くなった。

”今、普通に会話できてるし、歩いてるし、じっとしてるし、何の問題もないのに手術する必要ないよ。自傷行為などもないならなおさらだよ”

その言葉のおかげで、あとひと推しして欲しい自分の判断に自信が持てた。

手術する?しない?後悔するのはどっちだろう、、、今あるこの子の笑顔、笑い声、会話、万が一のことが起きて無くなってしまったら?奪ってしまったら、、、

この子はこうして産まれてきたワケだし、本人が判断できないことを勝手に私が判断して、この産まれてきた身体から他のチカラで奪ってしまうことはできない、と考えた。

いくら親だとしても判断がすごく難しいことだったけど、後々この子に胸張って説明できるのはどっちの選択か。

手術はしない


あれから6年くらいたったのかな。この先、説明する日がきて、例え責められたとしても私は堂々と話すことができると後悔してない。

反抗期が訪れ、変声期で可愛い声からお兄さん声になり、好きなことにとことん夢中になり、問題なく成長してます。

追記.セカンドオピニオン的なこともしました。たまたまというか、頭を打って近くの脳外科に行った時に、その先生に相談してみようと思い立って話を聞いてもらいました。もし仮にこの子の頭蓋のせいで脳に影響を与えているか心配なら脳圧などを測ってから、その結果で手術の判断しても良いと思いますよ、僕はしないで良いと思います。とのことでした。この時すでに手術はしない方向でほぼ決めていたので、脳圧などは測らず(この検査も脊髄がどうのこうので結構リスクあった)この先生の言葉は後押しになった感じです。

私も当事者のブログで救われた経験から書くことにしましたが、あくまでも私の考えです。何か気になることがあれば話もできます。

そして、今では障害って何?そもそも偏見を持っていたのは自分だった?だから当時は驚いたのだと思う。障害者って言葉のイメージにあなたは何を想いますか?みんな同じ人間でともに生きているだけなんだよね。生きよう。

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