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その完璧、ほかの人は求めていますか?

どうせ取り組むんであれば、
完璧でありたいもの。

仕事の完璧。
性格の完璧。
趣味の完璧。
人間関係の完璧。
日常生活の完璧。

人生の完璧。


「完璧」とは、ひとつも欠点がなく
完全なこと。完全無欠。

誰からも指摘する余地はなく、
むしろお手本となる存在。

完璧コンプリートできたときの
天にも昇る幸悦感。

「やっぱり目指すなら、完璧っしょ!」と
考えるのは自然なことです。


でも…


その完璧、
ほかの人は求めていますか?


ときと場合によっては、
”完璧”でなくても十分な場合は多々あります。

不完全ほど、
周囲に喜ばれる場合もあります。

完璧を求めなかったおかげで生まれた
素晴らしい経験があります。



✔完璧という名の
 『自己満足』

再現性の高い
クオリティの高いものについては
「完璧性」を求められます。

仕事は、まさにそのとおり。

仕事=お客様という構図の関係上、
曖昧な商品、サービス、コンテンツを提供するのは
お客様にとってすれば大問題。

高品質で、かぎりなく完璧なものを
届ける使命のもとにビジネスは成り立ちます。

だからこそ、多くのチェックを重ねて
ミスを減らす努力を続けて、
属人化をなくすマニュアルが存在します。

より完璧を求めるために。



では、
コミュニケーションにおける完璧は
存在するのでしょうか。

たとえば、
「今日はイイ天気だね」と聞かれて
「そうですね。いい天気ですね」と答える。

一見、すると共感を得る
素晴らしい返答のように感じますが…

ほかにも良い返事はあります。

「いい天気ですが、自分には暑いと感じます」
「いい天気なので心が晴れ晴れとしますね」
「ホント、素晴らしい天気ですよね」

もう、それこそ
無限大に返答方法はあるでしょう。


何が言いたいのかというと…

こと人間関係において
「完璧は存在しない」ということ。


Aさんの主張が正しいときもあるし
Bさんの主張が正しいときもある。

「おれが正しい」と思っていたことが
明日になれば「わたしが正しい」に
変わっていることもある。

”完璧”は、ひとつも欠点がなく
完全なことであるならば
状況によって変化する事柄において
完璧は存在しないと考えます。


だから、人間関係において悩むとき
「う~ん、自分の考えは間違っていないけどな…」と
完璧思考に傾いたとき、それは
ただの自己満足に走っている可能性が高いのです。



✔わたしも相手も
 考えが違うから楽しい

素直で謙虚な心を持つ人。

つね日頃から感謝の気持ちを忘れない人は、
完璧の持つ危うさに気づいている人です。

育った環境も時代も違う人同士で
おりなす社会の場では、
そもそも「考えの違う人」は存在するもの。

「共感します!」という人はいても
まったくの同思考でピッタリ重なり合う人は
残念ながら、この世に存在しません。

一卵性双生児ですら、
性格は異なるのですから。

だとすれば、人間関係の答えは
”ほかの人へ完璧を求めない”こと。

そして、自分自身にも
他人をとおしての完璧を求めない
ことです。


「Aだから、Bだ」と型にはめた時点で
あなたの思考はこり固まり、
袋小路ふくろこうじに入り込むでしょう。


むしろ
「わたしもあなたも違ってて楽しいよね」と
寛容な心を維持する余裕を持ちたいものです。









はたして、この世に
完璧は存在するのでしょうか。

たしかに
1+1=2という答えのように
”完璧”は実在するように感じますが…

人間が思考し行動する結果において
どれだけ突き詰めても
100%に到達することは不可能です。

99・99999…%を
ひたすらに積み上げることでしか
結果にむすびつかないように感じます。


途方もない完璧を求めるよりも
それなりの成果につながる
「80%」を求めたほうが効率的です。


わたしの毎日投稿も
「80%を得るための旅」だと思うんです。

「ゴールはない」

ひたすらに自分の思考を磨き
考えを共有し、自己成長を続ける場所。

だから、けして100%になるなんて
ありえなくて、とうぜん完璧にもなりえない。

いや、
完璧にならなくていい。

「完璧!」と分かった瞬間、
そこから人生がつまらなくなるから。


答えの決まった人生なんて
未来の想像できる人生なんて
そんなつまらないものはない。


だから、今日もわたしは
“不完全”を求めて投稿し続けるのです。


では、また。
失礼します。



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